石水院の釘隠し

2007-08-16 20:31:17 | 京都さんぽ

先日、京都に日帰りで同窓会に行った際、せっかくなので足を伸ばして、高山寺に行きました。京都駅からバスで1時間弱、栂尾の山中にある小さな山寺です。

僕がはじめて高山寺を訪れたのは6年ほど前、写真家・土門拳の著作「古寺を訪ねて」(小学館)を見たのがきっかけでした。元旦。とても寒い日でした。土門いわく、「冬ざれの高山寺こそ、もっとも高山寺らしい真面目にふれる」そうで、その追体験を求めたのでした。

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今回は、真夏。しかも猛暑つづきのまっただ中。紅葉の名所ですが、冬と同様さすがにこの季節も人はまばらで、蝉の声だけが延々に鳴り響きます。

土門はその著作のなかで、高山寺石水院の釘隠しについて語っています。とにかく、鎌倉時代からの風雪に耐えた愛らしい六葉の釘隠しをなでているだけで、心が落ち着くのだそうな。僕もついでに、釘隠しをなでながら、いろいろなことに思いを巡らせてみました。

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建物は「間に合えばそれでよい」という簡素古朴な佇まい。しかも移築。全体よりも、ほんの小さな釘隠しのなかに、積み重ねられてきた長い年月を感じ取る。

それらはどれをとってみても、現在流布している建築学的な評価軸とは、少し距離があるように思います。しかしながら、とても簡素で美しく、これでいいんだ、と思えるような懐の深い雰囲気に満ちています。

建築を勉強し始めてから、大学ではいろいろなことを教わりますが、いつの間にか、建物の見方の判断基準がかたよってきているかもしれません。ひとつの寺に対してだって、建築学的な見方もあれば、写真家からの見方、あるいは宗教からの見方など、解釈の仕方も評価も様々です。盲目的になることなく、懐の深いモノの見方を養いたいものだと、盛夏の小さな古寺にて、つくづく思ったのでした。

コメント (2)
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