正月用に玄関に飾っていたかすみ草。他の花と一緒に活けてありましたが、今はかすみ草だけが残って活けてあります。普段はドライフラワーとなったものを、模型の樹木表現に使うことも多いのですが、本来の姿をあらためて眺めたのはひさしぶりでした。
青みがかった釉薬の花器に、うぐいす色の細い枝が綺麗な直線で枝分かれし、白い小さな花は幾重にも花びらをもち、静かな陰翳を宿しています。そのまわりでこれから咲かんとする小さなつぼみは、何かを一身にためこんだように丸まり、とてもかわいい。そこに、天窓から光が静かに降り注いでいる、そんな情景。
決して目立つ草花ではないし、主役を張るような存在ではないのですが、美しいなと思います。「日本的」な心情を言葉で定義するのは難しいですが、今、目の前で見ているこの情景の色や姿かたちのニュアンスは、やはりどこか日本的な、というべきものなのだろうと思います。
最近になって、少しずつ日本画が好きになってきました。寺が好きなのは、仕事のせい?ということもあるけれど、そのうち、仏像なんかも好きになってくるのかな。日本で、京都で生まれ育つ中でできあがった価値観の回路が、年を追うごとに少しずつスイッチオンされてきているのでしょうか。そしてそれは、ひろく共有できるはずの感覚なのだろうと思います。
年末年始に、新聞やニュースでは世の閉塞感がさかんに言われていました。たしかに経済的にはそれを実感するけれど、そんななかでも、心の豊かさをを大切にしたいですね。あらゆるものが満たされていなくても、その日常のなかに、豊かに思える感情はあるはずだと思います。日本的な美意識って、日常のなかにおのずと含まれている豊かさを見出すことにあるように思います。足りないモノを足していくような在り方ではなく、たんなる日常が豊かなものだと感じ取れるような居場所を、ひとつずつ創っていきたいと思います。日常こそが美しく豊かで幸せであると感じられなければ、世の中はずっと無いモノねだりの不足感のままだと思うのです。