村野の文学部

2007-10-19 15:25:45 | アート・デザイン・建築

少し前の話になりますが、朝日新聞に「村野藤吾は終わらない」と題したコラムが掲載されていました。老巨匠になってからの優しそうな顔写真を見慣れていた僕にとって、中年の頃の写真が載っていたのは新鮮でした。厳しそうな顔。たしかに、これほどの数の名作を遺した作家が、優しいだけですまされるはずはないでしょう。村野の図面チェックを受けるスタッフは、傍らで直立不動であったことも書かれていました。

その村野の名作のひとつ、早稲田大学文学部校舎に行きました。11月になれば、その高層棟の部分が解体され建て替わるとのこと。キャンパスの風景もすっかり変わってしまうのだろうと思います。その前に、心に深く刻んでおきたいと思ったのでした。

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思えば、ここに来るのは学生時代以来でした。今、設計を職業とする身になってあらためて見て回ると、村野がどのようなイメージを持とうとしていたか、少しわかるような気がします。ローコストであっただろうことは、想像がつきました。簡素な材料。優れた設備が備わっているわけでもありません。それでも、だからこそ、学校校舎として大切な何かが、きちんと力強く示されているように思えたのです。それは、学生が卒業していった後に心に残るものとして、しっかりとした原風景を生み出している、ということです。どこか修道院のような中庭型の配置構成のなかに、学ぶ場としての静けさと親密さが、簡素で穏やかな表情の仕上げに包み込まれていました。

厳しい眼差しのなかから生まれた建物が、時を味方につけて幽玄な優しさとなったようです。そのかけがえのない遺作が失われる。残念でなりません。

先日、同じく時代をリードしてきた黒川紀章が去りました。日々のニュースでは、地球温暖化が、歯止めがかからないような勢いで進行し、切迫感がいよいよ強まってきました。当然ながら居住環境のあり方にも影響がでてくるでしょう。

ひとつの時代が終わって、新しい時代にはいっていく気分を、強く感じています。村野の時代の、黒川の時代の、その次の時代へ。

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