自分のルーツを知ることは、なかなか楽しいことでもあると思います。自分自身が建築の作家として活動している以上、自分の根源にあるものを自覚しておきたい、そんな気持ちがあります。弟子入りしたという意味では、故・村田靖夫の存在は僕にとって最大級なものですが、それ以前の大学時代に、僕が在籍した研究室は、師から弟子へと教育の場がバトンタッチされていく一本の文脈のなかにありました。その源流をたどると、今井兼次という一人の建築家に辿り着きます。
今井兼次の存在は、現在では大きく取り扱われることがあまりありません。というのも、20世紀前半の合理主義の渦中にあって、今井先生は、建築における精神的な深まりをもっとも大切にしたことにより、同時代の建築界から非難をあびたそうです。孤立無援のような状態でありながら、門弟たちに大きな印象と記憶をのこし、20年ほど前に世を去ったそうです。その後になって建築を志した僕も、師の志を汲む研究室に在籍し、今井兼次に思いを深めるようになりました。
多摩美術大学美術館で開催されている今井兼次展に行きました。流行の人気作家というわけではないから、日曜日といえども人はまばら。その中に散りばめられている、今井先生の手の痕跡の数々。パステル画、スケッチ、設計図、石膏模型。これまでも機会があるごとに見てきたものばかり。でもなぜか、今回は胸がつまる思いがしました。ひとつの建物を生み出すのに、ここまで情熱を傾けるのは、なぜか。図面や模型に示されたものは、象徴の造形の数々。それらは装飾となって、建物の内外にちりばめられていくことになります。シンプル志向の現在からすると、それらは時代遅れのものとして扱われるかも知れません。でもそれらは、恐ろしいほどの存在感をはなっています。これみよがしなものではなくて、静かで荘重なものです。もっと魂をこめなさい、そんな風に語りかけられたような気がしたのです。
今井兼次が残した作品は、数としてはとても少ないと思います。でもその多くが、今でも大切に残され、使われ続けています。特に教会建築は、生きた場所として今でも健在です。そのひとつ、カトリック成城教会。
師いわく「外観は平凡と申しますか、出来るだけ目立たない、ふつうのお聖堂のように、しかし、お聖堂の中だけは、聖タデオのお心を清らかに伝えるものでありたい。」とのこと。なるほど、とりたてて目新しかったり、シンボリックな建物ではありません。むしろ控えめで地味なものです。できあがってから数十年経ち、古びてもいます。そのなかに丹念に作り込まれた宗教的な含意のある造形に包まれていると、落ち着きと調和と、心の拠りどころを感じます。時折、今井兼次の空間に身を置きながら、そんなことを考えてみたいと思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます