住宅設計の仕事をしながらよく思っていること。それは、できあがったすぐの姿ではなく、それから何年も経った時の姿のこと。単純に、ものごとが古びていくことに、僕はとりわけ思い入れがあります。
たとえば、こんな写真。
これは、自由が丘の家のダイニングテーブル。桜の木でできています。築7年経って、もうすっかり傷だらけですし、いろいろなものをこぼしました。その跡や染みがひとつひとつ表情となって、味わい深い雰囲気になりました。このテーブルで毎日、当たり前のように食事をしたり、ティータイムを過ごしたり、新聞を読んだりして、片付けてフキンでふきます。それがいつの間にか美しいツヤとなって表れました。毎日テーブルを凝視しては、カタチがカッコイイだとか思っているわけではありません。毎日目にしているから、むしろカタチなど覚えていないぐらいです。でも、そこにある古びた質感と共に過ごしていると、確かに独特の安心感と居心地の良さがあります。建築家ができることなんてせいぜい、このテーブルのために、古びた質感を美しく浮かび上がらせるための、静かで穏やかな自然光を取り入れることぐらいでしょうか。
変わらない光と、古びていく物。その関係だけが、独特の美しさをつくっているように思います。そういえば、かつて旅行したリスボンの街はそんなイメージに溢れていました。そんな感覚が点から面へ、一軒の家から街全体へ広がっていってほしい、そんな思いで住宅をつくっています。
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