文化人類学者のレヴィ・ストロースが死去しました。レヴィ・ストロースの思想や仕事はあらゆるキーワードと共に評されますが、僕が影響を受けた概念は「ブリコラージュ」について。と言っても、彼の著作は僕にはとても難解なので、著作を通して得た、自分なりの考え方のヒント、といったところなのですが。
それは単純に言えば、どんなものごとにも等しく価値があるはずである、ということ。客観的な価値とは関係なく、個人的な思い入れなどの価値が、物事には生まれるはずだ、ということ。一見、何も価値が無いような物事のカケラや断片をつなぎあわて、新たなモノをつくる。そこにはおのずと、新しい価値が芽生えているかも知れません。
昔、スペインの建築家アントニ・ガウディは、地元で使い古された食器やワイン瓶を砕き、そのカケラで建物を覆い装飾しました。キリスト教の含意の込められた図像と文字をつくりあげているのは、なんてことのない、ただのガラクタでした。でも庶民の日常から生み出されたカケラには、おのずと大切は意味があるのです。ガウディはそれらを使って、楽しく美しく、神と生活と建物を結び合わせました。それはまさしく、レヴィ・ストロースが言うところの「ブリコラージュ」だったのだと思います。
自分なりの解釈も加えながら、そんなことをベースに僕は学生時代に卒業設計作品をつくりました。作品名は「もちあわせによる構成」というものでした。「もちあわせ」という言葉は、レヴィ・ストロースの著作「野生の思考」のなかで、身の回りにあるガラクタを指して使われていた言葉です。その言葉を引用し、レヴィ・ストロースへのオマージュとして住宅の案をつくりあげたのでした。他人の目から見れば価値のない単なる物事を、その置き方や組み合わせを工夫することで、かけがえのない意味をもったモノのように感じられるような空間を、案として作りたいと思ったのです。とても観念的な内容の案でしたが、それがベースになって、実作「自由が丘の家」につながっていきました。
観念的な内容を、肩肘はらずに素直な言葉でなんとか表現できないだろうか。そう考えてつくった文章と写真が、この秋に発売された雑誌「住む。」に掲載していただいたコラムです。よろしければ、ぜひご一読いただけますと幸いです。
それにしても、レヴィ・ストロースは満100歳の大往生。最期まで健康で頭脳も明敏だったとか。好きなことをのめり込んでやるのが、一番の健康ということでしょうか。アフリカの民族文化の研究のため、多くの時間を現地で過ごしたとのこと。そのエネルギーに敬服します。
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