万物は回転する
漆黒の時空を超えて
(つまり高速も低速もないわけだ)
哀しみと歴史は共鳴し
過ちと愛は重複する
波動は終わりと始まりを繋ぎ
引力はあなたを今に引き寄せる
だから、ほら
惨めなまでにちっぽけなこの私でも
生きる愉しみが尽きないじゃないか。
知人に連れられ、黒部ダムに釣りに行く。釣りは小学生の時以来である。
雨の降りしきる中、糸を垂らす。山間に雲がたなびき、水面は滴に踊り、吾の他人影無し。
魚はいても構わぬ。いなくても構わぬ。釣れれば良し。釣れなくてもまた良し。
世俗を忘れ、自分を忘れ、静寂すら忘れる。
そんなしっとりと重みのある時間を久しぶりに感じた。
ひとつ美ケ原の雲海を見てやろうと、真夜中に車を走らせ、午前四時に美ケ原美術館の大駐車場に。雲は上にできて下にはなかった。まあこれはこれで見ものであった。
日の出を待って下山。熟睡した後、今度は犬を連れて長峰山へ。想定以上に苦労して登ったが、頂上付近に道路が通じていることを知ってがっかりした。まあこんなものだろう。
頂上の芝生の上では、若いカップルがテントを貼って涼んでいた。
街は今日も彼を無視した。
信号待ちをしても、同じ信号を待つ人々の誰も彼に目を合わせようとしなかった。あらゆる建物は不景気に顔をしかめ、異物の混入を拒み硬く口を閉ざした。彼には行きたい場所がどこにもなかった。行ける場所はなおさらだった。
もちろんすべて、彼の妄想である。貧困にあえぎ孤独にふさぎ込む日々がもう何年も続いているせいであった。こんな冷たい街なんてうんざりだと、何百回思ったろうか。だが同時に、こんな風によそ者の自分を無視してくれるこの街の優しさを彼は愛した。
彼はいつも同じカーキ色のシャツを着た。もともと何色だったかは正確にはわからない。自転車にまたがり、ハンドルに両腕と顎を乗せ、通行人のいないところを睨んだ。自転車は彼に許された唯一の贅沢であった。自転車に乗れば、軽々とこの不機嫌な街を横断することができる。ペダルを漕ぎ地に足を付けなければ、少し高いところからこの軽蔑する街を見下ろせる。だが実際には、ハンドルに両腕と顎を乗せたまま、なかなか漕ぎ出そうとしなかった。信号の色が二度三度と変わっても、同じ姿勢で同じ交差点に留まっていることもしばしばだった。
ようやく気怠そうに自転車を漕ぎ始めるとき、街路樹に向かってよく痰を吐いた。彼はもう六十に手が届こうとしていたのだ。
世界は一つしかないが、それを観る人は無数である。
ある人は世界を丸い、と観る。ある人は四角く観る。慈しむ人もいれば、唾を吐く人もいる。世界観は人の数だけある。同じ人でも時を経てころころと変わる。みながいつでも同じにしか世界を観なくなれば、面白くなかろう。かと言って誰ともどんな部分でも共感できなければ、なお面白くなかろう。
そこが芸術の難しいところだと思う。
蓼科山に登った。
麓から仰ぎ見れば、長いスカートの裾を広げた貴婦人のようであるが、登ってみれば、岩のゴロゴロした急登が真っ直ぐ頂上に向かって伸びているだけの、なかなかしんどい山である。知人のMさんと、私の妻と、三人でこの山に登った。Mさんは私より二回り年上で古希を過ぎているが、いまだに健脚である。何でも高校時代、登山部に所属していたらしい。ついでに毒舌の方も健在である。自分は年下であるし、軽率でもあるから、よくMさんにやり込められる。自分が書き散らしたものをその度に見てもらっているが、大概けなされる。「あれは駄目だ」と、Mさんは太い声ではっきり言う。たまに褒められることもある。
今回の山登りはこちらから声をかけた。
新緑の眩しい季節であった。日曜日なので登山客が多い。びっしりと苔むした森が、ぞろぞろ列をなして登る人間たちを黙って見送る。岩は登りにくい。登りにくいが登らなければ、何をしに来たことにもならない。青空に近いところで小鳥が、ピーッと鳴く。
岩から岩へひたすら跨ぐのもやがて飽きてくる。私はMさんに話題を振った。
「最近映画は見ていますか」
Mさんは映画好きである。
「うーん、去年はほとんど観に行ってない。これというのがなかった」
「小説はどうですか。読んでますか」
Mさんは読書家でもある。
「ああ。相変わらず乱読だ」
妻が後方に遅れ気味なので、二人とも立ち止まって振り返る。砂浜の小石ように煌めく街並みが遥か遠くに沈み、さらに遠方には、雪を被った連山が空に浮かぶ。
Mさんは帽子を取って額の汗を拭う。
「だが、SFはどうも苦手だな」
私は彼を見る。
「そうですか」
「映画でもそうだが、空を飛んだり、鉄砲玉を避けたりするのはどうも、な」
「私はそういうのも好きですけどね」
山の高いところに来て、二人の意見は食い違う。この違いは何だろうと思う。
妻が追い付くのを待って、再び登り始める。今度は私の歩みが遅れる。
この違いは何だろう。なぜ私には受け付けて、Mさんに受け付けないものがあるのか。この差は何か。年齢か。いや、Mさんの口調では、若い頃から受け付けなかったようだ。では年齢ではなく、時代か。
生きてきた時代。そういうことか。
私が子どもの頃は、ウルトラマンがあった。仮面ライダーがあった。宇宙戦艦ヤマトがあり、ドラえもんがあり、ガンダムがあった。空想の世界で何でもできた。現実ではありえない世界に遊ぶことが、求められた。そういう環境で育った少年と、朝から家の田仕事を手伝い、暇ができたら野山を駆け巡っていた少年(Mさんはそういう幼少期を過ごしたらしい)とでは、大人になってからでも、共感の適用範囲が異なるのかも知れない。惑星が一つ破壊されるような宇宙空間での激しい戦闘に私は心打たれるが、Mさんはそんなものがピンと来ないのだ。もっと土の匂いがして、あざを作り、心の底から叫ぶものに共感を覚えるのだ。
だとすれば、芸術は、生まれ育った環境にずいぶん制限を受けることになる。難儀なことだ。
山頂付近には、五月下旬でも雪が残っていた。雪の上に立って眺める景色は、薄青い峰が幾つも折り重なり、荘重なバロック音楽を聴いているようであった。
美しいものは、誰が見ても美しい。
これもまた、当たり前の事実である。山に登るたびに、そう思う。何が美しいのかは説明しきれない。どうして山々を見ると感動するのか、小鳥のさえずりや木の葉の風に揺れる音がなぜ心地よいのか、考えれば考えるほどわからなくなる。ただ、そういうものを美しいと思える環境に自分が生まれ育った、としか言いようがない。
また環境か。ちぇっ。
妻がくさめをした。Mさんは遠くを眺めながら煙草をふかしている。
私は首を振った。
仕方ない。振り出しに戻ろう。
登山とはまた、つねにそうしたものなのだから。
一年に一度、旅をしなければ───それも必ず一人旅だ───自分の精神のどこかが異常を来してしまいそうな気がする。気がするだけかも知れない。そういう風な自分でありたい、という願望に過ぎないかも知れない。人生において旅をし続けざるをえない男、といったような。
いずれにせよ、世間は相変わらずコロナコロナで旅どころではない。それでも終息の見えてきたこの春、電車に乗って一人旅をした。
ただし日帰りである。一泊すれば感染のリスクが高まる、と考えている辺りがすでに旅人らしからぬ。地元信州を出なければリスクを極力抑えることができる、となると、さらにさもしい。この場合のリスクとは、どちらかと言うと、感染よりも、感染した時浴びる世間の批判の方である。こうなると、もはや旅人ではない。そんなに安全志向なら、旅などしなければいいのだ。
それでも旅人のフリをしたいらしい。旅人であることを否定したら、自分の心に着せた鎧の大きな一部分が欠落するような不安を覚えるのだろう。
自意識のために、旅をするのだ。
今回選んだ場所は、信州の最南端、飯田。鈍行電車で片道三時間。一日で往復するなら六時間。四十後半にはなかなかきついが、それくらいが達成感を味わえていい。
飯田駅に降り立ったのは、昼前。平日のせいか、人はほとんど歩いていない。車さえあまり見かけない。
だだっ広い道路を自分専用の歩行者天国みたいに我が物顔で歩いていたら、だんだん気分が良くなった。
日差しが暑い。上着を脱いで手に持つ。
交差点で小さな饅頭屋を見つけた。真面目そうな商売である。帰りに土産をここで買おうと算段する。去年暮れまで同居していた亡き義母は、甘い物が大好物で、よく買って帰ってあげたものだ。もう、持って帰っても、食べる人がいなくなった。それでも構わない。買おう。
細い路地を抜ける。猫に見つめられる。また大通りに出る。
市街地を歩き続けること半時、動物園にぶつかった。
動物園か。何年ぶりだろう。入場無料の看板を見て中に入る。
園と言うよりは、牛舎のような手狭なスペースに、イノシシやアライグマやムササビが入っている。観ている人は小さな子を連れた母親が二組くらいである。
ぐるっと回ったら、鹿に出会った。
遠い目をしている。当たり前だが、表情がない。感情も、あるとすれば、ずっと昔に失っている気がする。私を見ているのか、私の背後を見ているのか。とにかくじっと見つめて動かない。剥製と変わらない。だが生きている。
猟銃に狙われているのを知りながら、村を見つめて佇む鹿の詩を思い出した。いい詩だった。誰が書いたのかは覚えていない。
覚悟、というものについてひとしきり考えた。あるいは、諦念、というものについて。
動物園を出て、さらに歩いた。駅でもらった観光地図にミュージアムがあったので、立ち寄る。菱田春草の絵を見る。ロビーの向こうで、巨大な恐竜の骨が来訪者を見下ろしている。もし目玉があったなら、あの鹿と変わらない色をしていたろう。
そろそろ歩きくたびれたので、温泉場に向かった。飯田城温泉という。天空の城、とまで歌っている。大層なことである。とにかく展望がいいらしい。
大浴場に入ると、確かに市街地を見下ろせた。だがガラスが湯気で曇る。露天風呂は小さかったが、そちらの方がよく見下ろせた。
知らない街なので、どこをどう見ればいいかはよくわからない。山がある。家がある。道路がある。車が走っている。ぼうっと眺めていたら、いつしか、自分の目があの鹿の目と同じになっているのではないか、ということに思い至った。
湯上りに、併設された飲み屋に入り、生ビールを注文した。店員が大阪出身らしく、ノリがいい。旅先でしたい会話は、そこですべて済ませた。調子に乗って何杯か飲んだ。
今回の旅はこんなものだろう。日帰りだから、致し方ない。
酔っぱらって駅に向かう途上、饅頭を買い求めることだけは忘れなかった。
芸術は綺麗にすることではない。
だが綺麗なものは美しい。そこから芸術の浸食が始まる。
芸術は好きになることではない。
だが好きなものは愛らしい。そこから芸術の腐食が始まる。
芸術は心地よいことではない。
だが心地よいものは所有したい。そこから芸術の堕落が始まる。
芸術は高価なものではない。
だが高価なものは妬まれる。そこから芸術の世俗化が始まる。
確かに
綺麗で、好きで、心地よくて、高価なものにも
芸術は存在する。
しかし決して!
綺麗で、好きで、心地よくて、高価だから
芸術であるわけではないのだ───────。
ああ、まただ。
この辺りから
芸術の際限なき押し問答が始まる。
※写真は、ええと、どこだっけ?
五月の連休というのに白駒池にはまだ雪があった。それは泣き腫らした頬に残る涙のようであった。駐車場ではしっかり六百円取られた。自分はここに何しに来たんだろうと思いながら、靴紐を結び直し、遊歩道に足を踏み入れた。
雪は柔らかく、滑りやすい。冬景色なんて想像もしていなかったのは私だけではないらしく、訪れた観光客はみんな脚を震わせながら歩いている。子どもたちはキャッキャと喜んでいる。登山の格好をした若者は、涼しい顔で颯爽と通り過ぎる。
なんで自分はここに来たんだろうと、また思った。
知人が死んだからだ。
彼女は(仮にSさんとしておく)働き者で、老いた母親と二人の子どもを抱え、シングルマザーとして、つねに気を張って生きていた。子どもの一人は障害児だった。いくつもの仕事を掛け持ちし、言いたいことを言い、甘い物が大好きで、別れた夫を許さなかった。何の兆候もなく、春うららかな日に大動脈が破裂して死んだ。
雪を踏みしめ、森をゆく。雪の下では、びっしりと生えた苔が、なかなか来ない春をじっと待っている。
三叉路に出た。髙見石の方角に向かう。
緩やかに続く登山道を、一歩一歩、自分の足跡を確かめるようにして慎重に歩く。行き交う人はいつの間にかいなくなった。
数年前、Sさん手製のサンドイッチを、一度だけ食べさせてもらったことがある。施設で働く彼女が試作品として作ったので、感想を聞かせて欲しい、とのことだった。なぜ私が指名されたのか、その経緯は覚えていない。シンプルで、飾り気のない、しっかりとしたサンドイッチだった。誠実な味がした。母が脳こうそくで倒れたときは、私よりも早く駆けつけてくれた。そうやって周りの人々に惜しみなく親切を与え、自分だけ先に逝ってしまった。
道の勾配がきつくなってきた。背に汗を感じる。足を滑らし、両手を突いた。
自分はとても無謀な登山をしているのではないか。
木立の先に小屋の屋根が見えた。立ち上がり、先を急ぐ。
歩きながら、今度はウクライナのことを思った。
連日たくさんの民間人が死んでいる。ひどい話だ。誰一人こんなことでは死にたくなかったはずだ。人々の命が、野に咲く草花のように、あっけなく踏み潰されていく。独裁という名のキャタピラによって。誰もそれを止められない。
人類は命について何を学んできたのだろうか?
お前は?
小屋に到着し、深い息をついた。小屋の脇道からさらに先にそびえる、無数の岩でできた山を見上げる。あれを登れば、頂上だ。十年ほど前、一度だけ上ったことがある。しかしあの時とは季節が違う。岩の日陰部分には雪が残っているではないか。これを登るのか。こんな軽装で。もし万が一足を踏み外し、滑り落ちでもすれば──────。
私は岩に手をかけ、登り始めた。
足を掛ける場所にいちいち迷う。体を変な風に曲げる。息が切れる。四十も終わりに差し掛かった自分の体をひどく重く感じる。十年前の夏は、ずっと楽に登ったはずだが。雪を踏み、バランスを崩しかけて岩に抱きついた。脚がすくむ。自分は何をしようとしているのか。ここで死にたいのか。不本意な死をこれだけたくさん目にしながら、なぜ自分は、どうしようもなく自分の生を揺さぶりたくなるのか。
誰かが呼んでいる。
はっと気づけば、無辺に広がる空の下にいた。呼び声がしたと思ったのは、先に登り詰めていた若い三人連れだった。皆しっかりした山行きの装備をしている。彼らにとっては何の苦労もない岩山なのだろう。爽やかな笑い声が飛び交う。中の一人がサングラス越しの視線を私に注いだ。その視線はしばらく私から離れなかった。
彼らから身を隠すように岩を移動し、平たい場所を探して、恐る恐る腰を下した。眼下には、出発点となった白駒池が不透明な水を湛えて口を開けていた。
夕刻の風が吹いた。
誰かがくしゃみをした。
そうだ。自分はあそこに戻らなければならない。戻るために、ここに来たのだ、と、このときようやく気がついた。
料理人に万雷の拍手を!
今年の大型連休は大したものになりそうにない。新型コロナウィルスの脅威はひところより落ち着いたとはいえ、全く払拭されたわけではないし、天気も晴れたり雨だったりで不安定だとテレビは言うし、諸々の出費がかさんで懐具合は実に頼りなく、大手を振ってバカンスを満喫する勇気もなくなっているからである。
それでも気晴らしは心の健康に必要ということで、連休初日、ほぼ一年振りに海を見に行った。と言っても、本当にただ海を見た、というくらいのことである。今回は犬を連れて行った。日々飼い主につれなくされ、欲求不満の溜まっている我が家の番犬である。おかげで行動には大幅な制限がかかった。犬連れでは、食堂に入り日本海の幸に舌鼓を打つこともできない。誰もいない砂浜を選び、犬を走らせ、久々の自由に興奮した犬が日本海の荒波に脚を踏み入れようとしたところで、まさに潮時だと引き上げた。
帰途、能生の道の駅に立ち寄った。そこは大型連休らしく活気にあふれていた。ハサミを手に蟹を食べている親子連れ、大きな発泡スチロールの箱を抱えて車に戻る夫婦、威勢のいい声で観光客を呼び込む鉢巻きをした兄さんたち────。
いつしか我々夫婦も感化され、何か威勢よく買い物したい気分に駆られていた。せっかく海に来たのだ。このままでは帰れない。ふと見ると、氷を敷き詰めたケースに魚が様々並べられている。どれも一ケース千円。安い。訊くと、さばかずそのまま売るから安いのだそうだ。「新鮮だから、三枚に下ろして刺身でも食べられるよ」と言われ、夫婦ともども三枚下ろしなどしたこともないのに、さらに興奮してしまった。ユーチューブを見ながらやれば何とかなる、とお互いに言い聞かせ、結局、小さな鯛四尾、ホウボウ六尾、名も知らぬ魚二尾ほど入ったケースを買い求めてしまった。
自宅に戻ってからが災難だった。
ただでさえ素人な上に包丁が切れない。三枚に下ろすつもりがいつの間にか細切れ状態である。鱗や内臓が散乱し、手は生臭くなり、食卓に並ぶ頃にはこちらの食欲が減退してしまった。焼いてもみたし、アラ汁も作ったが、そんなに似たような魚ばかり食べられない。
今後二度と分不相応なことに手を出さない、と二人で誓い合った。
店に行き、料理を作って出してもらう、という当たり前のことが、いかにあり難いことか。今回の一件で身をもって知ることができた。だからこそ夜の暖簾をひょいとくぐりたいところだが、そこは懐の隙間風が待ったをかける。
まだ連休は後半を残す。取り敢えず金のかからない山登りをするつもりである。庭の雑草も呼んでいる。
魚たちにも謝っておこう。