た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

犬トシテ生キル

2020年09月28日 | essay

ワタシハ立派ナ犬ニナリタカッタ。

断崖ノ上デ遠吠エヲスルヨウナ

一族ヲ率イテ森カラ森ヘ旅スルヨウナ

立派ナ犬ニナリタカッタ。

トコロガ実際ニハ

首輪ヲツケラレ鎖デツナガレ

餌ガ与エラレルノヲヒタスラ待ッテ日ヲ過ゴス

人間ノ犬ニ成リ下ガッタ。

懸命ニ愛想ヲ振ッテハ頭ヲ撫デラレ

チョットノ散歩デ喜ブヨウナ

人間ノ犬ニ成リ下ガッタ。

確カニ コレデ幸セカト訊カレレバ

飢エルコトナク長生キデキテ

幸セデアルニハ違イナイ。

鎖ヲ切ッテ逃ゲタイノカト訊カレレバ

ソウスル勇気ハトウニ失ッタト言ウシカナイ。

ソレデモ時折

己ノ運命ニ耐エラレナクナリ

誰カニ無性ニ噛ミツキタクナル。

タトエバワタシヲ見下シテイル

猫ノヤカラガ通ルトキトカ。

コンナワタシヲソレデモ嫌ウ

人間ドモニ会ッタトキトカ。

 

 

 

 

 

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言葉。

2020年09月15日 | 写真とことば

 

言葉は、存在だ。

 

この当たり前のことが、最近ようやく痛みに似た感慨を伴って、心から、理解できるようになった。

 

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蝶が岳ひとり登山

2020年09月02日 | essay

 約束の蝶が岳へ。

 約束というのは、先輩M氏が、日帰り登山の入門編として蝶が岳を私に勧め、私もそこまで勧められるなら行きますと口約束した、その程度のことで、たいした意味はない。ただ約束の蝶が岳、というフレーズが気に入って使ってみただけである。

 今回は一人。

 朝五時に家を出、途中、湧水をステンレスボトル二本分汲み、安曇野へ車を走らせる。何しろ熱中症が心配である。トイレ休憩に立ち寄ったコンビニで、迷った末、500㏄のスポーツ飲料を買い足す。六時駐車場着。何台か車がすでに集結している。靴を履き替え、手袋をはめ、リュックを背負っていざ出発、と思ったらいきなり道に迷ってしまった。細い階段の道と、広いが「関係者以外通行禁止」と書かれたバーの降りた道と、二つある。蝶が岳登山口とはどちらも書いていない。なぜ書いてないのだ。低い山なら細い階段もありうる。が、さすがに北アルプスの登山口としては広い方か。登山者は「関係者」なのか。誰かについて行こうと思っても、折り悪しく誰も歩き出さない。いつも道に迷う我が習性から、確かめずにずんずん進む怖さは身に沁みている。仕方ないので、バンの傍らで登山の準備をしている夫婦に聞いた。当たり前のことのように広い道を指さされた。出発からこれでは先が思いやられる。

 八百メートルほど歩いたら、小屋が見えた。登山計画書のポストもある。登山口と大書した看板も。これなら熊でも登山口とわかる。考えてみれば、「関係者以外通行禁止」とは、一般車両の通行が禁止ということなのだろう。わかりにくいことを。それより、登山口に辿り着くだけですでに汗だくである。こんなことで今日の登山を乗り切れるのか不安になったが、今更引き返すわけにもいかない。迷いを振り切るように威勢よくポールを突いて山に向かった。

 自然林が広がり、倒木は見事に苔むしている。そんな中を歩くのは気分がいいものだが、何しろ暑い。ティーシャツはバケツの水をくぐらせたように汗みずくになった。前髪からも後ろ髪からも汗が滴り落ちる。携帯する水を、少しずつ飲んでは進む。

 初老の夫婦で、奥さんが旦那さんの手をひきながら下山する姿とすれ違った。どうやら旦那さんは目が見えないらしい。あのやり方で上まで登って下りてきたのだとしたら、大したものである。

 木製の階段が続く。整備されていて歩きやすいが、いつまで経っても階段である。息が切れる。話し相手はいない。平日のせいか、行き交う人も滅多にいない。考え事をしたいが、暑くてそれすらできない。足が重い。休憩のときは崩れるように腰を下す。水を噛むようにして飲み、プチトマトを頬張る。トマトの甘酸っぱい果汁に生き返る心地がする。長く休憩すると嫌になるので、すぐに立ち上がる。

 若夫婦で、奥さんが赤ちゃんを肩車して登ってくるのに追い抜かされた。奥さんは小柄だが旦那さんと陽気におしゃべりをし、しかも足が速い。旦那さんの方が少々バテ気味である。

 いろんな人が山に登る。

 第二ベンチを過ぎ、最終ベンチを過ぎる。

 標高が上がって空気が薄くなってきたのか、息の切れるのが尋常でない。

 なぜ登山なんかするのだろう、とぼんやりと思う。

 おそらく、引き返せないからだ。いったん登り始めたら。

 四時間ほど登り続けたら、松が腰ほどの低さになり、空が開けた。頂上だ。

 

 

 この景色を見に来たのだ、と納得しながら、見晴らしのいい場所に大の字になり、半時ほど寝てしまった。

 お握りを食べ、稜線をうろつく。上高地を見下ろせる場所に腰を下し、紅茶を沸かして飲む。

 十二時に下山開始。足にどれだけ疲労が溜まっているのか想像もつかない。水の残りを気にしながら口に含む。

 

 

 三時間ほど下り続けると、登山口が見えてきた。残り百メートルで、ランニングしながら涼しい顔で下山する青年に追い抜かれた。

 呆然と見送る。

 いろんな人が山に登るのだ。

 

 

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