た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

三人目

2013年06月21日 | essay
 今年の初夏は遠方よりいろいろな客人が来た。締めは大学時代の恩師であった。

 酒の好きな人で、いい酒場を二、三軒見つけておいてくれないと寄らないよ、と言いながら、電車の旅で日本海を南下中、わざわざ回り道して立ち寄っていただいた。辛口トークも人情でひたせば気の利いたつまみになる。思い返せば大学時代、恩師とは哲学的な話から文学の話、田舎比べに馬鹿話まで夜を徹してやり合った。やり合いながら何杯も酒を飲んだ。古き良き時代であった。



 今回、幸いにも居心地のいい炉端焼き屋を見つけ、薄暗い照明と煙の下、あの頃に戻ったかのように語り合い、罵り合い、笑い合った。恩師は酒が回ると、カラオケもないのに立ち上がって歌い出す癖があるが、さすがに異国の地、一元の酒場である。立ち上がるまではいかなかった。歌うのは歌った。美空ひばりの曲が流れたからである。



 師は還暦を疾うに過ぎている。酒も以前よりは弱くなった。しかし携帯も持たずに電車の一人旅をし、ふらりと訪れ、ふらりと去っていく姿は、なかなかにスタイリストであった。スタイリストという言葉は、ここでは明らかに相応しくなかろうが、現代に対するアンチテーゼのつもりで使ったのである。



 そう言えば、山奥の中房温泉にも連れだって行ったのだが、車中、私の運転に文句をつけ、「もう少しスピードを落としたらどうだ」だの、「まだもう少し生きたいからねえ」だの、実に喧しかった。絶えず難癖をつけていた。やはりあれだけ辛口で饒舌であることが、健康の秘訣か。

 「もし事故を起こしても、削るのは助手席だけにしますよ」と私もまぜ返した。年寄りに負けてばかりはいられないのである。






 
 
コメント
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