た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

雑感(鯛萬の井戸に咲く花)

2024年04月19日 | essay

 なぜ世の中はこんなにもどんどん変わっていくのだろう。学生時代にポケベルを持たされたと思ったらやがて携帯を勧められ、ようやく携帯を使い慣れた頃に辺りを見渡せば、みんなスマホを握りしめていた。近所の商店が軒並みシャッターを降ろし始め、その理由がコンビニと郊外の大型店にあると気づいたときには、買い物はネットで済ます時代が到来していた。散歩するための用事がどんどんなくなってきている。人と会う必要もなくなってきた。こんな風に変わって欲しかったのか、みんな、と疑問に思う。誰に聞いても、あいまいな答えしか返ってこないだろう。自分たちの意志で変化してきたわけではないのだから。

 おそらく、資本主義はそれ自体、社会的変化を強要するのだ。だってそうしないと儲からないから。常に古いものが廃れ、新しいものが流行らなければ、マネーは世界を巡り、誰かの懐に流れ込まないから。

 だから、淘汰と革新こそが幸福への道だと、我々資本主義の申し子たちは、知らず知らずに洗脳されているのだ。

 だが、人は本性として、安定と落ち着きを求める。動物は皆そうである。ここが、社会の構造と人間の本質が決定的に相いれない部分である。こんな便利な時代────新しいものがポンポン生まれる時代に、なぜ人々が不幸を感じ、情緒不安定になるのか、その主な要因がここにある。

 と、言い切っていいのかはわからない。

 鯛萬の井戸で水を汲み、誰かが鉢植えしたチューリップを眺めながら、ふとそんなことを考えた。

 

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大姥山

2024年04月15日 | essay

 テレビで放映されたから登ってみたいという妻の世俗的欲望に付き合わされ、八坂村の大姥山を登る。番組では70代と元グラビアアイドルが実に気持ちよく登る姿が映し出されたらしいが、案の定、実際は直立する岩と鎖ばかりでなかなか難度の高い山であった。妻は70代と元アイドルが本当に登ったのかとぶつぶつ疑問を呈しながらも、何とか二人とも登りきった。

 大穴と呼ばれる巨大な洞窟や、山頂の東屋から北アルプスの遠景を満喫した。

 

 

 カレーうどんを作り、啜る。

 何でも、大姥山は金太郎伝説の発祥の地らしい。立て看板曰く、大姥と八面大王との間にできた子供だとか。名前からして凄い両親を持ったものだ。昔は鎖とてなかったろうし、こんな峻険な山で育てば、金太郎もさぞかし強くなったろう。

 

 初夏を思わせる陽気に、谷間の微風が心地よかった。木々の枝先は芽吹き、これから全山が新緑に覆われることを強く実感させた。

 

  まだまだに 春で良かろと 山桜

 

 

 

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何だか法話じみているけど、ま、いいか。

2024年04月01日 | うた

 

できないことがあることは

 

    ほんとに不幸なことかしら

 

できないことがあることは

 

    希望を持てることであり

 

できないことがあることは

 

    明日を想うことである

 

できないことがあることは

 

    世界のあらゆる人々と

 

できないことがあるだけに

 

    今の自分の存在を

 

できうる限りの真心で

 

    どちらも尊ぶことである

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