高ボッチに登り、一面のすすきを見たら、なんだか無性にサンマを焼いて食べたくなった。
秋雨が続く。
近所の老人は小雨が降る中でも杖を突きながら買い物に出る。
私は窓から秋雨を眺める。
子供の頃、秋の匂いと言えば、枯葉積もる山道に落ちた栗の匂いだった。
栗拾いによく行かされた。火箸とビニル袋を持たされて、袋一杯取ってこい、というわけである。家の裏山には何本も栗の木があった。おそらく植えたものではなく、自生したものだろう。栗の木がたくさん生えていれば、当然落ちた栗も無数にある。栗のイガを両足で踏みつけると、開いた口から艶やかな栗の実が顔を覗かせる。少しすえた様な、甘ったるいような香りが鼻を突いた。秋は冷ややかでしっとりとした風が吹き、雪深い冬の到来を肌身に感じながら、物寂しさと、秋の実りやら炬燵やら雪合戦やら、これから始まる新しい季節に対する穏やかな興奮がないまぜになって、幼心にも妙に印象深い季節であった。
あの匂いは、今の生活にはない。
秋雨の中を、杖を突いた老人が小さなビニル袋を提げて戻ってくる。
私は窓から静かに離れる。
私は頭がでかい。
でかいなんて、品性を欠く表現だが、大きい、では収まらないのである。でかい、と言わなければ、伝わらないものがある。
小さい頃から後頭部が目立っていた。当時NHKの人形劇で『プリンセス・プリンプリン』が流行っていたので、「ルチ将軍」という、後頭部のやたら肥大した登場人物の名をあだ名に付けられた。「火星人」と呼ばれたこともあるが、こちらの登場人物は予言ができる男で、別に後頭部が大きいわけではない。子どもながらに混同したのであろう。
単純に、「頭でっかち」とも呼ばれた。
最初は嫌だったが、やがて開き直った。後頭部がやたら大きなキャラクターを作り、ノートにサイン代わりに描きこんだりした。我ながら打たれ強いところがある。頭が大きい分、脳みそがいっぱい詰まっているのだろうとも言われたが、どうやらそういうわけでもなかった。今の自分を見ればわかる。来た道を帰るときには迷う。何しに階段を降りたのか忘れる。諦めて階段を登ったら思い出す。お金の計算ができない。経営というものを何年経っても理解できない・・・・。どちらかと言うと事あるごとに自分の間抜けさ加減にあきれ果てる始末である。おそらく私の頭蓋骨の内側には隙間があり、振ればカラカラと音がするのだろう。
夏目漱石は大きな脳をしていたという噂があるが、頭でっかちでもあったのだろうか。私は頭でっかちではあるが、大きな脳をしている、という確証は今のところない。
大人になるにつれ、体が成長したせいか、「あなたの頭は大きいですね」とは人に言われなくなった。人が遠慮して言わないだけかも知れない。決して頭が委縮したわけではない。それが証拠に、いまだに帽子を買うのに苦労する。私の頭に合うサイズが見つからないのだ。
帽子屋を覗く。素敵な帽子が幾つもあり、思わず欲しい気持ちになる。奥から店員が恭しく出てきて、試着をどうぞ、と笑顔で勧める。その途端、こちらは己の身体的特徴を思い出し、急速に顔が強張ってくるのを自覚しながら、「いや、ちょっと小さいんじゃないかなあ」などと曖昧に切り抜けようとする。私の気持ちを知らない店員は、依然笑顔のまま、「いえ、これはXLですから、かなり大きめなので大丈夫だと思いますよ」などと、よく知りもしないでいい加減な勧誘をしてくる。私もそう言われるとつい信用したくなり、今までの失敗も忘れ、「じゃあ」と頭に被せてみる。
これがものの見事に頭に入らない。チャップリンの山高帽よりもおかしな具合に頭に乗っかる。店員はちょっと驚いた顔をするが、内心は吹き出したいのだ。笑いを必死にこらえながら、「ううん、そうですか、それよりも大きめとなると・・・」と店の商品を探すふりをして、「すみません、うちではそれ以上の大きさは扱ってないんです」とさも申し訳なさそうに言う。だが私は知っている。その時でさえ、内心は吹き出したくてしょうがないのだ。そして、本当はこう言いたいのだ。「それ以上の頭の人は、うちでは客として扱ってないんです」と。
人を馬鹿にしている。
もう少し親切な店員になると、「同じXLでも、メーカーによってサイズが異なりますから・・・このメーカーのXLは少しサイズが小さめなんでしょうね」とフォローを入れてくれる。が、まあ、ほとんどフォローになっていない。いずれにせよ、私はうらぶれた気持ちを抱えながら、表情だけは無理して明るく、自分に合うサイズがないなんて大したことではないから、店側も気にしないで、といった雰囲気を漂わせながら店を後にするのだ。
まったく、頭が大きくて得したことなどほとんどない。
先日、散髪屋に行った。髪を切ってもらいながら、ふと、頭の小さい人の二倍くらい髪を切る面積があるのに、料金が同じだとすれば、これは結構得なんじゃないか、と考えてしまった。いや得なのだろうか。少なくとも店側は損である。「あ、二倍の奴が来た」と、私が店に行くたびに内心思われているのかも知れない。やっぱりこれも、得ではない。
よく肩が凝るのも頭の重さのせいかもしれない。よく頭を打つのもそうだ。仕方ない。量販店に行ってもっと小型で軽量のものに買い替える、というわけにはいかない。
頭を洗った後、髪を乾かすのが面倒で、濡れたままの髪でうろうろして、よく家人に叱られる。頭が大きいから乾かすのも一苦労なんだよ、と勝手に思っていたが、こちらはどうやらただの無精らしい。
気が付いてみれば、半生を共に歩んできた頭である。愛着もある。髪くらいもう少し丁寧に乾かしてやろう。
帽子ももう少し、諦めずに探してみよう。
長い山道であった。下手の斜面にはシダが生い茂り、もし滑落したら餌食として食べてくれる動物には事欠きそうになかった。上手の斜面を見上げれば、情念の塊みたいに根を張り枝を伸ばした落葉樹が今にも覆い被さらんとしていた。山道というよりははるかにけもの道というにふさわしい道であった。
男は二人とも、首も背中もぐっしょりと汗で濡れていた。
「おい山頂はまだか」
後方の男が膝に手を当てて登りながらつぶやく。
「この調子だと、山頂に着いても、この調子かもな」
前方の男は帽子を団扇代わりに仰ぎながら答えにならない答えを返す。
「おい、そりゃどういうこった」
「景色が開けているとは限らん、というこったよ」
「なんだよ、おい、それじゃ登る意味ないじゃないか」
「登ってみないとわからんだろう」
「おい勘弁してくれよ」
「ぶつぶつ言わずに登りなさいよ」
「暑いんだよ」
「暑い。確かに暑いなあ」
二人のゼイゼイと息を切らす音がしばらく続いた。
「でもなあ、おい、登ったところで、景色が見えないんじゃどうなんだ」と後方がまたぼやく。
「だから、登ってみないとわからんって」と前方。
後方はついに足を止めた。顔をタオルでくしゃくしゃに拭き、天を仰ぐ。「わからんのは勘弁だ」
前方も立ち止まってペットボトルの水を口に含む。「お前さんは何かい、登ったら何が見えるか、知っているところに登りたいのかね」
「ああそうだね」
「そりゃ山登りじゃないよ、俺に言わせれば。わからない結果を求めるのが冒険、ってなもんだろう」
そう言う彼も随分荒い息を吐いている。
「ちぇっ、自分の下調べ不足を棚に上げやがって」
「じゃあここで引き返すかい」
「引き返すって、おい、ここまで登ってきた苦労をどうしてくれるんだい」
「いや、引き返す方が利口かも知れん。と言うのも、こりゃほんとに先が見えん」
「なんだ、お前も引き返したいのか」
「さっき、山頂まで0.5キロって看板があったが、あれから五百メートルは歩いたはずだけど、ほら、また0.5キロの標識だ」
「どれ。おいほんとだ」
「こりゃひょっとして、魔の山かも知れんな」
「魔の山だ。引き返そう、引き返そう」
「うん、引き返そう」