た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

秋山一句

2023年10月27日 | 俳句

先週日曜日、美ヶ原に登る。天気良好、暑くも寒くもなく、誠に気持ち良い。

 

猛暑逝(ゆ)き 火照りを遺(のこ)せし すすきかな

 

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八ヶ岳山麓にて一句

2023年09月25日 | 俳句

 

 

まあだ、まだ、と 枯れて実の成る 蕎麦の言ふ

 

 

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一句

2023年02月18日 | 俳句

 

がたがたと 壊れていくは 世か吾か

 

 

 

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いろいろあり過ぎる夏でした。

2020年08月19日 | 俳句

 

ちくしょう、と瞑(つむ)る暑さも送り盆

 

※写真は爺ヶ岳

 

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人生相談

2020年02月22日 | 俳句

 去年から今年にかけて目覚めたものがある。

 登山と人生相談である。

 随分かけ離れた二つである。登山。登山については今更言うまでもない。道具を揃え、計画を練り、リュックに荷物を詰める。当日朝早くに登り始め、山の斜面に息を切らし、木漏れ日を仰ぎ、ついに頂上を制覇するとすぐさまコンロで火を沸かし、お握りにかぶりつきながらラーメンを啜る。ひと息ついたら、ようやく広大な景色に目を細める。その全過程が楽しい。

 一方で人生相談である。人生相談とはもちろん、AMラジオで午前11時過ぎ、しっとりしたBGMとともに始まるあの人生相談である。五十代の知人がすでにはまっている。九十を過ぎた同居する義母も毎日欠かさず聞いている。四十代の自分にはまだ早いかと半信半疑でラジオを付けてみたが、これが想像以上に面白い。日々その時間に合せて他の用事を済ませるまでになった。

 他人の不幸は蜜の味とはよく言ったものだが、現実に悩みを抱えた人が現実の声で相談してくる内容は、陳腐なドラマよりよほどよくできた物語である。電話をかけてくる相談者が、思い切りと覚悟をもって(当たり前だ。ラジオで放送されるのだから)臨んでいるのが、言葉の端々に伝わる。回答者はスナックの片隅でずばずば人生を切り取る常連のように、相談者の甘い見込みを撫で切りにする。ときとして相談者の質問内容とズレた回答をしている気がすることもあるが、むしろ相談者の狭い思考を意図してズラし、揺さぶることが、人生相談には必要なのだということを思い知らされる。「妻は帰ってくるでしょうか」「あんた、奥さんが帰ってきたら幸せが戻るの?」という具合である。

 それにしても、ラジオの人生相談に耳を傾けるなんて、自分も歳を取ったものだと思う。人生についていろいろ経験を積んだからだろうか。大して経験を積まないまま人生を過ごしてきたからだろうか。聞きながら大笑いすることもあるが、ひょっとしてどこかで、自分の人生についても相談したい、という欲求があるのではなかろうか。もし自分が相談するとしたら─────時間の余裕を十分与えられるなら、一番相談したいことは何か。

 自分の人生を全て相手に語り尽くした後で、聞いてみたい。いつどの時点で、何をどうすればよかったですか。もし私の生き方が間違っているとしたら、一体どこで間違えましたか。

 それを聞いてどうする、と言われたら、確かにどうすることもできない。ただ、ああそうか、自分の人生はあの時ああすれば、もっとこうなっていたんだ、という理解を深めた上で、残りの生涯をやっぱり現状のまま粛々と生きていくことになるのだろう。それが幸せなことなのかどうかもわからぬまま。

 まだしばらくは、ラジオで聞く側にいていいのだろう。

 午前中にてきぱきと仕事をこなし、ラジオの人生相談を謹聴して、それから早めの昼食の準備に取り掛かる。これが、自営業の自分に許された至福のコースである。

 これでいいのですか、と、相談したい。

 

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一茶館

2020年01月27日 | 俳句

 『父の終焉日記・おらが春』(岩波文庫)を一読。ついでに高山村にある『一茶館』に足を運ぶ。

 一茶というのは大変な人であった。浄土真宗の熱心な門徒の家に生まれたと言うが、その生涯は煩悩と苦悩に満ちている。

 三歳で母と死別。継母にいじめられ、それがもとで江戸に奉公へ。長じて俳諧師となるが、生活はつねに不安定であった。父の介護の最中、遺産問題で腹違いの弟ともめる。三度結婚するが、生まれた子供に次々と死なれる憂き目にも遭う。

 まったく、心の安らぐ暇がない。

 そんな中で彼の紡ぎ出した俳句は、不思議なほど穏やかで、優しい。

 

 「今迄(まで)は 踏まれていたに 花野かな」 一茶

 

 私は何だかこの句が一番好きである。一茶自身の境涯に対する嘆息と、諦めを通り越したところにある朗らかな笑い声が聞こえてくるような気がしてならない。

 投句箱があったので、拙作も一つ入れておいた。

 

 「日だまりの 雀に一茶の 生を問ふ」 阿是

 

 詠み返してみるにつくづく拙い。一茶のように深く足をぬかるみにつけて歩んでいない証拠だろうか。

 

 

 ※写真は『一茶館』にある<一茶逗留の離れ家>

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漠然とした不安

2019年10月21日 | 俳句

 

 

来たり去る 人ばかり見て 千の秋

 

 

 

 

 

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初秋一句

2019年10月01日 | 俳句

 

   ゆく道を ふみたがえても 秋の空

 

 

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再びスキー

2017年01月20日 | 俳句

 

   今シーズン二度目のスキーは、意外に早く実現した。初滑りがあまりに悪天候に見舞われ、翌週あまりに好天が見込まれたためである。しかしさすがに毎週は・・・と気が退ける運転手の私を慮ってか、同乗者の酒乱スキーヤー二人は、ガソリン代として昼飯を二回もご馳走してくれた。ちなみに二回ともカレーである。これは私なりに謙虚に値段を配慮してのことでもあるが、ともかく、スキー場ではカレーを食べるべきだというラジオか何かに洗脳された単純思考からである。白銀と青空を分かつ稜線を窓越しに眺めながらの食事だと、胃袋が一回り大きくなるから不思議である。

 場所は野麦峠スキー場。ゲレンデに立つと、はるか遠くに石川の白山まで認めることが出来た。確かに、近年にない好条件の揃った一日であった。

 

 

              雪原や 獣に戻って カレー二杯

 

 

 

 

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秋雨一句

2016年09月19日 | 俳句

  ひととせを  重ねてうがつ  樋(とい)の雨

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