た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

無計画な死をめぐる冒険 1

2006年02月26日 | 連続物語
※表題が無計画に立てられたように、本文も至って無計画に書き進められます。

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 私がいつ死んだかは定かでない。人は自分が生まれた瞬間を意識できないように、自分が死ぬ瞬間も意識できないらしい。人生の二大恐怖を無意識のうちに迎えることができるのは幸いである。生まれるときに頭が働いていたら、私はよっぽど生まれてくるのを止したろう。いや、自分がどんな人生を送るかなんて赤子の自分にはわからないから、ひどい怯えと憂鬱の中でぎゃあぎゃあ泣きながらやっぱり生まれてきたかもしれない。でもこんな不細工な顔に生まれてくることが想像できたら、やっぱり止したかしら。誕生は最初の失敗談である、と世の賢き飲兵衛たちは一杯機嫌で自分の過去を嘲笑する。
 しかし今は死んだ私が問題である。呑み助の自嘲が問題なのではない。それどころではないのだ。私は気づいたら、自分の死体を見下ろしていたのだから。
(つづくはず)
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無計画な死をめぐる冒険 2

2006年02月26日 | 連続物語
 自分の死体を見下ろす。
 こんなことを言うと、世の人は何を奇をてらった物言いをするやつだと鼻白まれるやも知れない。自分を自分が見下ろすとは何事だ。ましてや、自分の死体を見下ろすとは。しかしその批判の前者に関して応えれば、自分を自分が高いところから見下ろしている、いわゆる幽体離脱という経験は結構多くの人がしているのである。私が小学生のときの用務員のおじさんもしたことがあると話していた。「ああ、自分はなんて猫背なんだと、そのとき思ったよ」と囁くおじさんは真顔であった。「おじさん、昔は猫背だったの?」「そうさ。背中を叩いてやりたいような猫背だった」。その日以来、彼は自分の背筋を伸ばすことをつねに意識し、それは後年大きく実を結んだ。用務員としての彼は、校長よりもふんぞり返っていた。それはともかく、人間は眼球でしかものを見ないというのは、まさしく視野の狭い見識である。感覚は現象である。たしかフッサールもそう言っていた。いやフッサールはちと怪しい。フッサールは私の専門外である。院生のころ箔を付けるため濫読した岩波文庫を当てにするのはよそう。いずれにせよ、感覚は刺激という現象である。現象なら、怪奇現象もありえる。かげろうのように、あるいは電池も無いのに静電気の生じる冬のドアノブのように、現象という奇跡は自然発生する。意外な空間にぽっかりと自分の視点が生じて、そこから感覚刺激を得てもさほど不思議ではないのである。
 ただし私の場合は同じ自分でも死体を見下ろしていた。
 それは、自分のした寝小便を見下ろすようにやるせなく惨めなものである。
 (つづくはず)
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無計画な死をめぐる冒険3

2006年02月26日 | 連続物語
 私は居間のソファーで、不自然きわまる姿勢で死んでいた。右腕を首の後ろに回して五本の指を柳のようにぶらぶらさせ、右足を肘置きの上に乗せてスリッパをぶらぶらさせ、酔っ払いでもしないような格好で死んでいた。こんな不細工な格好で青白い顔をして動かないのだから、死んでいるにちがいない。寝ているだけなら自然ともう少し楽な格好になりそうなものである。私は確かに死んでいた。壊れて捨てられたこうもり傘のような姿で、春うららかな日差しの差し込む朝、居間の毛羽立ったソファーの上に、息を引き取った私がいた。
 それを私は天井の辺りからじっと見ていた。
 (つづくはず)

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無計画な死をめぐる冒険 4

2006年02月26日 | 連続物語
 まあしかし、ありえないことは現代においてはもっともありえることである。児童が幼児の首を切り落とし、地下鉄が傘の先っぽ一つで墓場に変えられ、国の借金が国民の借金として計算され、それでもまだ借金しようとする政治家を国民は選び、風呂に入りたがらない女子高生が現れ、人に会いたがらない寂しがり屋が急増した。自分の死体を見下ろしたくらいではもはや人は驚きそうにない。おおそうか、お前の馬鹿面に生えた剃り残しのひげの多さにやっと気づいたか、と言われる程度であろう。ああ、人類は驚きを失うほどに年老いたのか。

(つづくはず)
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無計画な死をめぐる冒険 5

2006年02月26日 | 連続物語
 いかん。人類を嘆く前に自分の境遇を嘆かなければいけない。私は知らぬ間に人生を終えてしまったのだ。たとえそれが不満の多い人生だったとしても。たとえそれが後悔と懐古と舌打ちと耳掻きに満ちた人生だったとしても。死を予定したくはないが、予定しない死はやはり乗り遅れた電車のような悔悟を伴うものだということに、死んでから気づいた。気づいても手遅れである。ただ、人間はよほど現金に出来ているらしい。人生を終えてもこうして意識が続き世界を眺められるのだとわかれば、冥界と言えども張りぼての虎、あるいはせいぜい虎の衣を借る狐。正直なところ、身をもって嘆き悲しめないのも確かである。なんだ、死んでも生きてるじゃないか。しかもこちらの方がよっぽど楽ちんである。空腹感も肩の凝りもない。暴飲で長年弱っていた肝臓まで治ったような気がする。あるいは肝臓自体がなくなったのかも知れない。幽体離脱者に内臓器官はそもそも要らないはずであろうから、それもあながちあり得ないことではない。ああ、肉体の重みを嘆いたプラトンよ、汝は真理ではなく幽体離脱者を目指すべきであった。
 つまり私は生の終わりを惜しみながら死の始まりに期待した。この上はどうか下手に成仏してこの意識の雲散霧消しませんようにと手を合わせて、それから私は改めて室内を眺め渡した。

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無計画な死をめぐる冒険 6

2006年02月26日 | 連続物語
 白いレースのカーテンから差し込む日差しはあくまでも暖かく、部屋にいる者を蝶のように舞えとばかり外へ誘う。贈り物の酒ばかり仰々しく並んだ食器棚に、アル中よろしく酒樽に挟まれて吐息を吐く色褪せたフランス人形は、春の日差しが嫌いな顔をしている。あれは美咲と結婚したときに美咲の友人が贈ってくれたものだ。友人の方が新婦よりも可愛かった。不幸である。テレビ。これは買い換えて三度目だ。買い換えるたびに大きくなり、その度に写すものは下らなくなった。何も写さなければ溝鼠色でなお一層無粋である。春日を避け、部屋の床の薄暗がりの方を向いて、彼も春の日差しが嫌いである。この部屋にある調度はだいたいが春の日差しが嫌いなのだ。テーブルに蓋も無く置かれてわずかに残った液体を静かに干からびさせつつあるローヤルの四角い瓶に至っては、すがすがしい朝の到来をはっきりと嘲笑っている。そして最後に部屋の中央、手入れも悪く毛羽立ったソファーの上、嘲笑うほどの自尊心もなく、一日の朗らかな始まりに戸惑いを隠しきれずにいるのが、私の死体である。
 私の死体は誠に醜い。
 私は顔をしかめて腕を組み、誰も入ってこないドアの方を向いた。しかしそれにしても、と思う。私はなぜ死んだのか?

(つづく)
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無計画な死をめぐる冒険 7

2006年02月26日 | 連続物語
 そこが謎であった。もっと早くにそこを気にすべきであった。昨日まで私は生きていた。息をして足の裏を掻いて欠伸をしてテレビを観ていた。昨日と今日の間に何があったのか。四十九歳で天寿の全うもなかろう。昨晩はウィスキーをロックで飲みながら意識を失ったらしいから、急性アルコール中毒というやつか。しかし急性アル中はこんなにまったくの無自覚のまま死ぬものなのか。その前にもがき苦しんだり呻いたりしないのか。いや、こんなものか。そういや、篠田君が三年前だったか、忘年会のとき急性アル中になって病院に運ばれたときも、本人は倒れたときの意識が全くなく、気づいたら美人の看護婦に眺め下ろされていましたと言っていた。うらやましい限りである。私はせっかくアル中になって倒れても、美人に見下ろされる前に死んでしまった。
 だが本当にアルコール中毒で死んだのか。本当にそうなのか。私の体は割合頑健であった。肝臓と肺が酒と煙草で多少弱っていただけで、あとは痩せ気味であるくらいのことであり、学生時代に野球部四番ピッチャーで鍛えた体はそうそう一瓶程度の洋酒で参る代物ではなかったはずだ。私は酒に溺れていたわけでもない。貰ったブランデーやウィスキーを、可哀想だから腐らせる前に飲んでやっていたくらいのものだ。昨晩ことさら酒量が増していたとも思えない。

 私は、殺されたのか。あるいは。

(つづくはず)
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無計画な死をめぐる冒険 8

2006年02月26日 | 連続物語
 栓をしていないローヤルの酒瓶が俄然気になり、私は四角い瓶に手を伸ばした。だがやんぬるかな、非現実が現実である。手がビンの口を素通りして掴めないのだ。ふざけている。瓶の口に触ったことは手の独特の感覚でわかっているのだが、それでも掴めない。私は状況を把握した。初め万能に思えた幽体離脱者にも、どうやらペナルティが課せられているらしい。現実の事物を知覚することはできても、動かすことはできないのである。私は汚い言葉を吐いて、詮方ない、自ら瓶の上に屈みこみ、中を覗いた。古い井戸でも覗き込んでいるようで胸騒ぎがする。私を死に至らしめたものが、あるいはそこに見出されないか。臭いを嗅ごうとしたが、ここにおいて幽体離脱者のぺナルティには別に嗅覚の消失もあることを気づかされた。何一つ匂わないのである。臭くも芳しくもない。腕を上げてみれば、私のワキガさえ臭わない。脚を持ち上げてみれば、足の裏もしかり。何たること。この調子では、まだ他にもいろいろな制限が課せられているのかも知れない。何が幽体離脱だ。これでは大して得ではないじゃないかと、丸で誰かに得すると吹聴されたから死んだような気分になって、私は塞ぎこんだ。
殺されたとすれば、誰に。
それを問題としていたのだった。どうも思考が散漫になっていかん。
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無計画な死をめぐる冒険 9

2006年02月26日 | 連続物語
 殺されたとすれば──殺したのは、誰か。真っ暗なダイニングルームへと続くすりガラスに、鼠のように細い神経質な顔が浮かんだ。言いたいことを言わぬのっぺりした頬、見えるものの裏ばかり探ろうとする上ずった目つき、描かれた眉、何のためにするのかわからないパーマ。
 妻の美咲か。私は舌打ちをした。犯人に一番近い存在は、あいつか。可能という意味においても、動機においても。私が晩酌にする酒瓶に毒を混入させておいて、自分は実家に遊びに帰れば事は成就する。飛ぶ蚊を叩き殺すより簡単である。道理である。道理である。ここ一週間ほど、用もないのに実家に戻ったのもまさしくそのためなのだ。なんと単純な計画か。しかし計画は単純なほど完璧になる。帰宅すれば、隣に聞こえるくらい悲鳴を上げる。隣人が駆け込んできたら卒倒してみせる。そして葬式で泣きながら亡き夫の生前の不摂生を愚痴れば、もはや永劫誰にも疑われずに済むのだ。 
 私は強くかぶりを振った。自分の妄想を否定するためではなく、妄想上の妻の所業におぞげがしたからである。誠にやり兼ねない女である。最近のあの女は、自分の人生を私に横領されたくらいに思い込んでいる節があった。私との食事のときは一切会話をしないくせに、あいつの友人から電話がかかってくれば食事そっちのけで三時間でもしゃべり続けていた。料理は買い合わせが増えていた。二つのベッドは掃除の度に距離が離れた。新婚当初は、ああ過ぎ去りし桃色の日々よ、我々の心と心がそうであったように、隙間なく合一していたものだが。
 「あなたが大学で教えておいでの哲学って何だか、私にはよくわかりませんが」
 美咲はある日、ことさら敬語を使って、目を潤ませながら私に言ったことがある。激昂した私がコップのビールを浴びせかけたあとだったから、彼女のよじれた前髪からは薄黄色い液が滴っていた。
 「あなたの人間性を正すにはまったく役立たずだってことだけは、確かね」
 思えばあの頃から、あいつは私に殺意を抱いていたに違いない。

(つづく)
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無計画な死をめぐる冒険 10

2006年02月26日 | 連続物語
 しかし、と私は腕組みをする。考え込むにつれて、段々その想定は怪しく思えてきた。芋づる式、という言葉がある。一つ芋に当たれば、その先には必ず別の芋が数珠つなぎにつながっている。一人に疑惑を覚えれば、他のすべての人が疑惑の数珠つなぎとなって掘り出される。私に殺意を抱いたのが、妻だけとは限らないのだ。 
 息子の博史が積年の憎しみを清算しようと思い立っても不思議ではない。日陰で育った茄子のようなあの貧弱な顔は、我が息子ながら、まったく、何を考えているか推し量りがたい。
 家政婦の大仁田という可能性もある。何でも彼女は、私の小言のせいで睡眠薬を服用する習慣が身についたらしい。眼鏡猿こと助教授の藤岡は、私がやつの推薦文の執筆を拒否した恨みがあるが、ローヤルに毒を入れるチャンスがあったのは、むしろ先週我が家に招待した新山大学の唐島章一郎である。あの俗欲にまみれた享楽主義者め。私が単位をやらなかったため、今年度留年が確定した学生が四名いる。茂木と上田と吉澤奈津子と、後もう一人誰だったか忘れた。
 芽に毒を潜めた芋たちよ。あいつもああだ、こいつもこうだと考えてくるとあな恐ろしや、永劫姿を変え続ける万華鏡のように次から次へと容疑者の顔が目に浮かび、仕舞いには世の中全部の人が私を殺害する機会を虎視眈々と狙っていたような気がして、気分が悪くなったから外に出ることにした。いずれにせよ自分の死体のある部屋に長く留まっているべきではない。精神衛生上よくない。
 それに、と私は戸口へ向かって歩きながら考えた。そもそも、私が単に急性アル中か何かでめでたくぽっくりと一人死んでいっただけだという可能性を、私はいつの間に閑却したのだ?

(つづく)
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