た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

スナックにて

2016年04月27日 | 断片

 グラスの水割りは薄い。いくら呷(あお)っても一向に酔えない。

 Aさんは大きな背中を丸めて、嘆息した。

 「びっくりだよ。とにかくびっくりだ」

 「うん」と私は同調する。

 「あんまり突然だからなあ。ほんとに良くしてもらったんだよ」

 「うん」

 「奥さんと電話口で話して、奥さんもまだ心の整理がつかないって。初めて話したんだけどな、奥さんと。彼の思い出話になって。電話口でボロボロ泣いちゃってさ」

 彼の話を聞きながら、私はまた別の人のことを思う。くも膜下出血で倒れ、植物人間となって生きる知人の女性のことである。旦那さんは、呆然と来る日を待っている。もはや手術もできない状態で、回復の見込みはない。

 私にとって第二の故郷で起きた地震のことも思う。最近、思うことがやたら増えた。

 私はグラスを呷る。「いつ何がどうなるかなんて、誰にもわからんね」

 「うん」今度はAさんが同調する。

 カウンターのママが客に出す用のナッツを頬張りながら、場を盛り上げようとしてちょっと陽気に口を挟む。「とにかくさ、頑張って生きるしかないじゃない。生きてるうちは」

 我々は思い思いの頷き方で賛意を示す。

 店の外が喧しくなってきた。どうやら若者二人が店の前に座り込んで声高に会話しているらしい。しばらく無視して飲み続けたが、一向に声の止む気配はない。それどころかますます声量を上げてきた。明らかに度を越した酔っ払いである。

 「さすがにうるさいね」ママが眉をひそめる。

 Aさんがスツールを立った。

 「行くの?」私も席を立つ。

 ────これが結局、警察官を八人呼ぶ事態へと発展することになる。だがそれを詳細に述べることは、諸事情によりここでは控える。

 

 とにかく、頑張って生きるしかない。生きているうちは。

  

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二つの城

2016年04月23日 | essay

   天気がいい。春が終わり、夏が始まる前で、暑くも寒くもない。午前中の仕事を済ませ、夕方からの仕事の前に自転車を走らせて松本城へ向かう。

   松本に十年以上住んでいながら松本城へ向かうくらいだから、暇なのである。時間を持て余しているのだ。かと言ってじっとしていることも出来なくて、むしろ今日は何だか焦る気持ちすらはたらいて、気持ちいいというよりはどちらかと言うとちょっと陰鬱な気分で松本城へ向かう。

   午前中に熊本の恩師からメールが届いた。私の出したメールに対する返事である。もう1週間も前に出したもので、私自身出したことを忘れていた。しかし本日ようやくインターネットが復旧したということで、無事を知らせるだけでも、と書いて寄越してくださったものだ。

   松本城は花見の季節ほどではないにしても、観光客があちこちにぶらぶらしていた。藤棚のところで自転車を置き、ベンチに腰掛ける。松本城は眺めない。私にとってはそう珍しくもないからだ。目を閉じて、腕を組み、身を固くする。観光客たちの緩慢な足音や陽気なおしゃべりが耳に入る。

   熊本の恩師は、余震が続くので、いまだ公園で車中泊をしている、とのことだった。だがそれもそろそろ限界かな、とあった。車中泊? どういうことですか? まだ熊本は、車中泊をするような事態なのですか?

   目を開けたら、信州松本城がそびえていた。無傷で。当たり前のことだ。青空にそれは美しく映えていた。一方で九州の熊本城は、瓦が落ち、石垣が崩れ、見る者の口に思わず手を当てさせると聞く。熊本城は死んだ、というネットの書き込みもあった。

   私は過去二年半、熊本市内に住み、三年間、南阿蘇に住んだ。

   藤棚の、まだ伸びきらない藤の花を透かして入る日差しは、暖かく私の背中を叩く。

   何なのだ。と私は自分に問う。何なのだ、この、不幸と幸福の近さは。

   こんな風にしてものごとはひそかに時を迎えるのか。こんな風にして人は何も知らされないままその境目に立たされるのか。こんな風にして、人はある日、昨日までとはまったく違った太陽を見上げるのか。

   何なのだ。

   私は立ち上がり、自転車を押して、城を後にする。

 

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祈り

2016年04月17日 | 悲しみの表明

   私が最初に私塾を開いた──それはもう十七年前にさかのぼる──南阿蘇村で、地震があった。それも悪夢のように、何度も。私はいつでも小さく生きてきたし、それは今でも大して変わりないが、南阿蘇村はつねにそんな私を暖かく包み込んでくれた場所であった。

   そこで、いったい何が起こったのか。

   阿蘇大橋ガ崩落シタダト? アノ阿蘇大橋ガ!────

   私が出会った人々は果たしてみな無事なのか。

   私の生徒たちは。親たちは。恩師は。私を支えてくれた数限りない人たちは。

  

   今更ながら、どんな祈りなら、通じるのか。

 

 

 

  

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新装開店

2016年04月09日 | essay

 新しい仕事場での活動が始動した。やることはこれまでと大して違いがないのだが、場所も内装も空気も変わると、気分も一新する。いい気になって、薬缶にコーヒーカップ、ソファーに雑誌など細部をやたら揃え、自分にとっての居心地を追及している。いかんいかん、仕事もきちんとしなければ。

 街の中心部に近くなったので、自転車で買い物ついでに、あるいは買い物がなくても時間つぶしに、ふらふらと街を巡回する。今まで十何年この地に暮らしてきても気づかなかった店がある。改めて風情に気付く小路がある。車で行き来している分には見えなかった風景が、ふらふら自転車だとよく見える。桜が近い。人が近い。

 十年以上前に立ち寄った小さな揚げ物屋を再び見つけ、空腹でもないのに思わず一串買い求める。新聞紙に包まれた串を手にサドルにまたがり、次はどの小路に曲がってみようかと思案する。通りの影が長い。いかん、いかん、仕事もきちんとしなければ。

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