た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

犬の散歩がてら、歌一首

2012年10月30日 | うた
日々歩み 日々山を見し あぜ道を

       吹くはやまとの いにしへの風  

 
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しゃぶしゃぶ

2012年10月27日 | 断片
 しゃぶしゃぶをご馳走になる。
 しゃぶしゃぶという言葉に、何だか赤ワインに金箔入りの風呂に入るような冒涜的な響きがあっていい。高級だがこんなことしていいの、という軽い後ろめたさが食事の高揚感を後押しする。だいたい名前の付け方が安直である。赤子が玩具の車をぶーぶーと名付けるのと同じ次元である。その気軽さでもって、ハイソサイエティーな空気を演出するから、人々は飛びつくわけである。ちょっとバブルの時代のにおいもする。
 と、いろいろ理屈をこねたが、しゃぶしゃぶは実に美味しかった。
 教訓。ご馳走は黙っていただけ。
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病院

2012年10月17日 | essay
 長いこと咳を患っていて、観念して近所の病院に行く。
 家人はもっと評判の高い病院に行けとしきりに勧めたが、私は散髪屋でも居酒屋でも近所から攻めるのが好きな性分である。なるほどその病院は、近くにあるというだけで、いつ通っても不思議なくらい人けが感じられない。門構えがやたら立派で、逆に閑散とした雰囲気を醸し出している。ひと時代前に廃業した旅館のような趣がある。人が出入りするのをついぞ見たことが無い。だからこそ興味をくすぐるのである。まさか串刺しにして焼かれたりするわけではあるまい。私は意を決して、マスクをかけたまま門をくぐった。
 中に入れば、思ったよりもちゃんとした病院であった。すでに待っている患者もいる。あとから来る患者もいる。いい加減な観察で判断してはいけないのである。待合室に「さざえさん」と「いじわるばあさん」が揃っているのが好感を誘った。いや「さざえさん」はいいのだが、「いじわるばあさん」もここの医者の趣味なのだろうか。「いじわるばあさん」が好きな医者、というのは少しく胸騒ぎを覚えるが、さすがに仕事に趣味を持ち込んだりはしないであろう。
 受付で、体温測定にレーザーガンのようなものをおでこに当てられた。最新式である。なかなか侮れない。大病院のような待ち時間もなく、「いじわるばあさん」を手にとって読み始めたらすぐに名前を呼ばれた。
 血液検査をし、X線を撮る。X線室まであるのには驚いた。まったく、我々は侮っていたのである。帰ったら家人によくよく説教しなければいけない。特に異常はない旨を教えられて、八種類もの薬を出された。
 八種類は多いな、と思ったが、それぞれの薬の役割、というのも詳しく教えられて、それなりの安心感を覚える。食前に、これ、食後にこれ、寝る前にこれ、朝起きたらこれ。まあこれだけ飲んでいたら何かしらが上手く効いて咳の虫も退散するであろう。この安心感が現代なのだ、と、普段薬を飲まない私はしみじみと感じた。充実した機能に対する安心感。ただし本質は、私がもっと健康的な日常生活を送ればいいというように、もっと違う所にあるのかも知れない。
 それでも何だか仕事をたくさん抱えた秘書のような使命感を帯びて、朝起きたら一錠、朝食前に一包、と、けなげに指示を守って飲んでいる。私の知人に大の薬嫌いの人間がいるが、彼が聞いたら憤慨しそうな薬漬けの生活である。
 それでいいのである。正しくもおかしくも、これが現代なのだ。
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歌一首

2012年10月15日 | うた
この径(みち)は 郷里(くに)に続くや ほおづきの
 
                     思ひ出の紅(あか)に 犬と佇む
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10月7日

2012年10月08日 | essay
 知人のお子さんの結婚式に、座興というか必要に駆られてというか、寿司職人の衣装を着て手伝いに行く。着るのは初めてである。寿司を握ったことなどもちろんない。手伝いと言っても、本物の寿司職人が握って皿に並べるのをさらにテーブルに並べるくらいのことである。仕事は単純だが、慣れないことなので相応に疲れた。

 横目で観察していたが、本物の職人は、さすが職人だけあって、二時間ばかり、八十人の出席者を相手にただひたすら寿司を握っていた。大したものである。ただ握るのではなく、美味しそうに握り、美味しそうに盛り付ける。客が来て話しかければ、当意即妙な受け答えをする。そんなことをしながら手だけは動かして握り続ける。とても私にはできそうにない。今後、たとえ再就職先を探す必要が出てきても寿司屋だけは外そうと心に誓った。今のところ、そうやって再就職の可能性から外されたのは、警察官と建築士と医者と会計士と寿司屋である。他にもまだあった気がするが、思い出せない。いずれにせよ、今の仕事を続けるのが無難である。

 結婚式は華やかに進行した。やはり華やかというのはいいものである。こちらは新郎新婦の父親並みに汗をかいたが、楽しい経験をした。
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