た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

佐渡へ渡る!(その7)

2024年11月27日 | 紀行文

 日本海に面した岸壁に建つ、いかにも海辺の民宿。そこで我々一行は、久しぶりに帰郷した親族の一員のように、実に温かく迎え入れてもらえた。よかったらうちの使っていない犬小屋使って、という感じである。この宿で一泊する間に、私は、この島の住民の特性というものをはっきり意識した。細かいことにこだわらない。おおらかで、壁を作らず、親近感が強い。聞けば佐渡島は、雪深い新潟の一部に属しながら、冬も雪は少なく、気候は一年を通して過ごしやすいという。自然豊かで、寒い地方と暖かい地方の両方の植生がある。「佐渡島にはすべてが揃っている」とある人は言う。その豊かさが、独特の島民性を形作っているのかも知れない。我々としては、佐渡と聞けばすぐに金山を連想するが、実際の佐渡には「金(きん)」よりももっと貴重な自然環境があり、そういう意味では満ち足りており、だからこそ島民は今一つ「金(かね)」にこだわっていなかったりする。そこが一番の、佐渡の魅力なのだ。

 適当な推論をした。

 先に述べたように、民宿では心温まるもてなしを受けた。珍しい海産物も食べたし、犬もかわいがってもらった。それなのに我が駄犬ときたら、慣れない場所のせいか、興奮気味でいろいろ粗相をしてしまった。が、それに対しても嫌な顔一つせず、「犬はこんなものだから」と何事もないように接していただいた。島民の寛大さを目の当たりにした。お礼の言葉もない。

 話によれば、夜になると、犬が三頭くらいどこからともなくやってくるという。一応どこの飼い犬かは見当がついているらしいが、こうなるとほとんど野犬である。佐渡の犬は伸び伸びと育っているのだ。

 翌朝、自家製の佐渡米のお土産までいただき、宿を後にした。

(つづく)

 

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佐渡へ渡る!(その6)

2024年11月07日 | 紀行文

 海岸に出る。日は少し西に傾いている。潮風が心地よい。

 そこは「千畳敷」と呼ばれ、海面すれすれの平らな岩場からなる浅瀬が広がっていた。「万畳敷」も別な場所にあるらしいが、とりあえず「千」で充分である。小さな防波堤に橋が架かって遊歩道になっており、防波堤の先端では、階段を降りてくるぶしまで潮水に浸りながら浅瀬を歩くことができる。犬はついて来るのを嫌がった。幼いころ、近くの川で無理やり水遊びをさせたことを、いまだに根に持っているらしい。油断すれば海に放り込まれるとでも思っているのだろう。

 海水にサンダル履きの足を浸ける。温いさざ波を感じながら腰に手を当て、大海原を眺める。眺めているうちに、自分の生きてきた半生もそんなに悪くないか、という気持ちになってきた。海は人を楽天的にさせる作用があるのか。それは私だけなのか。毎日毎日、情緒も感動もなくあくせく働いて日銭を稼いでいるが、ま、たまにこんな景色を眺められるなら、それはそれでいいか、と思ってしまう。海を見て、このま まではいかん、と思ったら、それはよほどこのままではいけない状況なのだろう。

 遊歩道で、釣り糸を手に歩く地元民とすれ違った。それも二度。聞けばタコを釣るらしい。二度とも二人組で、一度目は親子、二度目は夫婦だった。テグスの先におもちゃみたいな疑似餌をつけ、手に持ったまま垂らして、針に引っ掛けて釣るらしい。そんなので釣れるのだろうか、と思ってしまう。サンダルに短パン半そでの軽装で、ちょっと散歩がてら夕餉のおかずを仕入れに来た、という感じである。

 宿にチェックインするまでにはまだ少し時間がある。少し車を走らせ、高台にある陶器のお店に立ち寄った。旅の記念に手頃な値段の皿を買い求めてから、来た道を戻り、宿へ。

 

 民宿『たきもと』。それが旅程一日目の終着点だ。

(つづく)

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佐渡へ渡る!(その5)

2024年11月01日 | 紀行文

 そこは開放感に溢れていた。芝に覆われた広大な空き地に足を踏み入れれば、いつもより大きな空が出迎えてくれる。右手には廃墟となった浮遊選鉱場が見える。かつては、金を浮かせて採集する巨大な施設だったらしいが、今はその形骸を残したまま緑に覆われている。文明が滅びた後に自然に占拠されたようでもあるし、自然が文明の傷を優しく包んで癒してくれているようでもある。

 左手には小川が通っており、その向こうには喫茶店。テラス席に男二人が腰かけて談笑している。一日中でものんびりできそうな雰囲気だ。もっと奥、切り立った山の斜面には円形競技場のような、面白い形の廃墟が、これも緑を被って佇んでいる。

 とにかく緑が多い。天空の城ラピュタのような、と形容されたりしている。私はその映画をしっかりと観ていないが、多年にわたる戦闘のための城が朽ち、草花に覆われてむしろ以前より美しく変容した場面を断片的に覚えている。確かに、美しい。というより、気持ちいい。両手両足を思いっきり広げたくなる。妻にカメラを向けると、バレエダンサーのようなポーズを取って見せた。その技量はともかく、気持ちは伝わった。犬にカメラを向けると、普通だった。犬にはこのスケールの大きさは伝わらないかもしれない。

 説明書きを読むと、明治に建てられたものゆえ、江戸時代の遺物である金山を中心とした世界遺産からは外されたとか。

 しかしここの方が、ずっと良かった。

 

 

 

 幾度も振り返りながら、再び車へ。

(つづく)

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