た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

子安温泉

2018年06月26日 | essay

 休日、温泉地に行って遊歩道を歩けば、もうミドルエイジどころかシニア世代の仲間入りである。そんな休日の過ごし方をすることが、ここ最近多くなった。危険を感じるが、何しろ平和である。温泉に遊歩道。鬼に金棒よりも両者の粘着力が強い気がする。何しろ、たいがいの温泉地には遊歩道がある。その中にはいい加減に作られたものもある。鴎外の道とか芭蕉の道とか、あたかもいにしえの文人・文豪達が歩いたかのような表題を掲げているが、果たして当人が本当にそこを歩いたかははなはだ心もとない。たとえ一度歩いたことがあるとしても、それくらいで誰それの道とか名づけるのなら、日本中が文豪の道で溢れかえることになろう。

 先日は連れ合いと高山村の温泉に赴いた。図書館で借りた信州温泉巡りの本で調べて行ったのだから、この辺のやり方もまことにシニア的である。危険をより強く感じるが、二人とも見栄より湯船、若さより安らぎ派である。

 初めての土地であり、まるでバス停のようにあちこちに温泉が点在している。どこに入るか迷うところだが、一番とっつきにあった『子安温泉』にまず入った。お湯が淡く茶色に濁っており、体にゆっくりと浸透する。高い天井に湯気が舞い、天窓から差し込む光に煌めく。  

 二人ともほどよく茹で上がると、温泉のはしごを目論み、さらに奥地を目指す。

 山田温泉郷で足湯に浸かり、遊歩道があるというので遊歩道を歩く。順番が逆のような気もするが、行き当たりばったりなので仕方ない。ところでその遊歩道が、枯葉が敷き積もりぬかるみもあるような悪路である。しかも熊よけの鐘がそこここに設置されている。不気味であることこの上ない。誰一人すれ違わない。数百段もの階段もあり、三十分も歩けばへとへとになった。本物のシニアであればこの辺もしっかり下調べして、避けるべき道は避けるだろうから、むしろ無鉄砲さが若さの証拠かと自分たちの愚行を慰めた。 

 山田牧場で牛たちを同類のような顔で眺めた後、七味温泉に入り、帰路に就く。七味温泉の硫黄は強烈であり、翌日まで体から臭ってくるような気がした。

 カメラを忘れたので、写真はない。

 連れ合いはすでに次なる温泉地を物色し始めている。温泉はともかく、遊歩道はしばらく考えてもいい気がする。

 

 

 

                

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大阪北部地震

2018年06月19日 | essay

 

 大阪で地震が起きた。死者も出たという。

 

 震災が起きるたび、思い出す古い記憶がある。

 一つ目は、以前ここに書いたかも知れない。

 二十年以上前、阪神淡路大震災が起きた時、私は大阪にいた。地震が来て三日目、実家の両親が三宮(さんのみや)にいるという先輩に、水と弁当を実家まで届けたいから手伝ってくれないかと依頼された。私と先輩は互いの自転車の荷台に積めるだけの弁当とペットボトルを括り付け、被災地に向かった。途中、あらゆるものが倒壊した街を目の当たりにした。原爆が落ちたのではないかと疑うほどの惨状であった。被災者たちが列をなして駅に向かって歩いていた(電車は線路の損壊により不通だった。それを承知の上で、住む所を失った彼らは駅に向かったのだ)。その中で一人、道端にうずくまっている男がいた。隣には鳥かごがあり、インコらしき鳥が入っていた。着の身着のまま家を飛び出した際、彼は一番大事にしていたペットの鳥を持ちだしたのだ。その姿を見た被災者の一人が、「こんなときに」と吐き捨てるように呟いて通り過ぎていった。

 

 もう一つは、それから四年ほど経った、熊本の地である。

 当時大学院生として熊本にいた私は、仲のいい五、六人のグループで喫茶をしながら雑談をしていた。そのうちの一人の女性が、出身が神戸だと打ち明けた。四年前の被災により、遠く九州まで移り住んだのだ。この告白で普段押さえていた感情が噴き出したのか、彼女は長々と自分の境遇に対する愚痴を述べ始めた。あまりそれが続くものだから、場の雰囲気を推し量った私は、そんなに否定的な言葉ばかりみんなの前で口にするものではない、という趣旨のことを忠告した。それに気を悪くした彼女は、以降ぷっつりと黙り込んだ。その後どれだけ日が経っても、彼女が再び私の前で口を開くことはなかった。

 あの時の私の判断は、間違っていたのだろうかと、今でもよく自問する。たとえどんなに辛い思いをしてきたとしても、その出し方を間違えれば、周囲に悪い印象を与えてしまう。だから私が諌めたことは決して間違っていなかったとも思う。しかし、私の一言で意思疎通を放棄するほど、彼女の心の傷は深かったのだ。もしかして、震災以降自分の殻に閉じこもりがちだった彼女が、自分をオープンにしようと試みた貴重なチャンスだったかも知れない。私の心無い一言がその機会を永遠に葬り去ったのだ。そう思うと、背筋のぞっとするような後悔がある。

 震災は、起きてからが、途方もなく長い。経験した者にとっては、ほとんどそれは永遠に続くと思われる長さである。そのことを、私は身をもって知った。水も食料もない中、役に立たないインコなぞを持ち出したあの被災者も、四年経ってなお私の前で心を閉ざしたあの女性も、誰も、責めることはできない。

 震災はそれだけ、圧倒的なのだ。

 

 今日の大阪は雨だという。激しく揺さぶられ、打ち砕かれた数知れぬ心がそこで濡れている。一日も早く、あたたかい日差しに包まれることを、切に願う。

 

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旅立ち

2018年06月16日 | essay

 玄関に腰を降ろし、靴を履く。靴紐(くつひも)の結び目を確かめる。紐を左右から引っ張り、結び目の固さを再度確かめる。普段は気にしたことなんてないのに。普段はその存在を忘れるくらい履き慣れている靴なのに、今、急に気になったのだ。自分は本当に、この靴で、これから見知らぬ土地へ行き、歩き続けることができるのか、と。

 住人が旅人に変わる刹那(せつな)である。

 友人が、海外へ旅立つという。ただの観光旅行ではない。どちらかというと仕事を見つけに行く旅である。人生をやり直すには遅すぎる年齢かも知れない。しっかりした見通しがあるわけでもない。健康上の不安も抱える。傍目(はため)に危うい。それでも、出立を決意したことに、近しい知人として、靴紐をきゅっと結び直すような心地よさを覚える。

 深く息をつく。両膝に手を置き、よし、と一つ呟(つぶや)いて立ち上がる。その言葉は誰に聞かせるためのものでもない。自分の生きてきた過去と、それと断層を成して続く未来とを、その一言によって結びつけ、認め、他の誰でもなく自分自身を納得させ、旅人は出かけていくのだ。そうしなければ、全く新しい環境で生きていくことなんて到底できないのだから。

 

 

 

 親友として、エールを送る。良い旅を!

 

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電車ではしご酒!の旅  ~信州ワンデ―パスを使って~ 《後編》

2018年06月07日 | 紀行文

 小淵沢駅で一本電車を見送り、歩いて大滝神社を目指す。

 まだ雨は落ちない。朝の涼風が爽やかに首筋を撫でる。

 もともと住む人が少ないのか、あるいはこの時刻帯にはみんな別の場所に行っているのか、ほとんど誰も見かけない閑静な田園地帯を、我々三人はほろ酔い加減で適当なことを声高にしゃべりながら十五分ばかり歩いた。

 やがて道路端に大きな鳥居が現れた。鳥居をくぐり、さらに遊歩道を歩く。道端の側溝には透明度の高い清水が豊富に流れ、ニジマスが泳ぐ。神社に湧水があるというから、そこからの水なのだろう。線路下に、人が歩いて通れる高さの小さなトンネルが見えた。トンネルを潜ると、目指す神社の出現である。石垣を築いた上にそびえ建ち、巨木に囲まれ、なかなかに立派である。すぐ脇に苔むした樋が突き出て、大量の湧き水が滝になって流れ落ちている。滝の落ちた場所では湧き水を利用してわさびを栽培している。

 清涼な神社である。森の匂いが鼻をくすぐる。湧き水を口に含むと、酒よりもずっと美味しく感じる。それでも酒を飲むのに変わりはないのだが。私は大きく伸びをする。水、空気、森、静寂。なるほど、巷(ちまた)で言うパワースポットとは、何か特別なものがあるのではなく、かつて当たり前にあったものが、現代になってもまだ残っている場所なのではないかと、ふとそんなことも考えた。

 林の斜面に屹立する大岩や用途不明の洞窟など一通りを見て回った後、駅へと戻る。

 小淵沢駅構内で買い込みをして、いよいよ小海線に乗りこむ。

 

 日本一の高原列車、小海線。

 特急あずさでは缶ビールを開けたが、ここではワインを開けた。小海線にワインが似合う気がしたのである。想像していたよりも木立が多かったが、ときおり視界が開け、広々とした丘陵に綺麗な縞模様を描いて畝が作られているのを目にすると、赤ワインとチーズがことさら美味しく感じられるのだった。こんなのも、フランス農村部を電車で旅するテレビ番組か何かの影響かも知れない。

 佐久海ノ口駅で降り立ち、海ノ口温泉『和泉旅館』へ。電車を乗り継ぐ旅はとにかく駅から近い場所でないと立ち寄れないのだが、そこは駅から歩いて数分である。大変助かる。

 湯殿に入ると、違う種類の湯船が三つ、花びらのようにとなり合っている。非常に珍しい形態である。一つは明らかに源泉とわかる濃い茶色の湯。入ってみると、ぬるく、肌を引っ張られるような刺激がある。二番目はそれを薄めた様な湯。これもぬるい。三番目の比較的大きな湯船は、無色透明に近く、沸かしているのかほかほかと温かい。どうして湯船が三つあるのか、果たして三つ必要なのか、下調べを怠ってきたため、我々はその理由を勝手に憶測しながら湯につかった。

 和泉旅館を出て無人駅に戻る。

 曇天だが、まだ雨は落ちない。ひと気のない小さな駅の待合室に荷物を降ろし、電車を待ちながら長く伸びるレールを眺める。ふと、映画『スタンド・バイ・ミー』を思い出した。いい歳して鈍行電車に揺られ、田舎をうろうろしている我々は、現代のおっさん版スタンド・バイ・ミーなのかも知れない。何か探し物をしに出かける旅。果たして何を探しているのか。

 ちなみに我々は缶ビールを探していた。驚いたことに、酒類を売っている場所がない。自動販売機もなければ駅の売店もなく、地元の人に聞くとコンビニは十キロ先にあるという。

 「何と健全な町だ」と同行者の一人は感動した。「コンビニもないというところが、とてもいい」と。

 とは言え感動だけでは満足しないのが、不健全たるこの三人である。結局、もう一人の同行者が和泉旅館まで戻り、旅館にあった四本の缶ビールを買い占めてきた。一本四百円。執念である。我々は無人駅の待合室で、しみじみと味わいながらそれを飲んだ。

 小海線に乗り、小諸駅へ。市街をうろつき、蕎麦屋に入って飲み直しつつ蕎麦を食う。それにしてもよく飲む。小諸駅からしなの鉄道に乗るころには、三名ともしっかりと昼寝体勢に入っていた。

 目を閉じたまま、電車に揺られながら考えた。

 今回の旅はなかなか良かった。信州ワンデ―パスというチケットの存在も知った。ただ、せっかく観光目的のフリーパスを作るなら、それをもっと使いやすく、かつ気軽に楽しめるような工夫が必要ではないか。今回は一周を試みたが、しなの鉄道だけ別料金というのも解せない話である。一周できなければワンデ―パスの意味がないではないか。新幹線に乗ればいいというのは情緒のない話である。JRは私鉄と協力し、本当の意味での「信州フリー」を目指してもよいのではないか。それに、フリーパスで乗り降り自由を満喫するなら、基本的に駅からあまり離れた観光スポットには行けない。それなのに、途中下車して楽しむすべがあまりにも少ない。たとえばフリーパスがあれば、各駅構内の土産飲食が割引、とするだけでも、人はそのチケットを使うことに魅力を感じるだろう。要所の駅でレンタサイクル無料なんてのもいい。フリーパスを使う旅なら、こんなおすすめコースでこんな楽しみ方がありますよ、というモデルコースをいくつか設定するくらいの、企画としての完成度が欲しい。このマイカー時代にあえて電車の魅力を広く訴え、観光目的の乗客数を増やしたいのであれば、もっと利用者目線のサービスが必要である。そして私は、電車の魅力がもっともっと広がるといいと強く願う一人である。

 もちろん以上のことは、女性客や家族連れや高齢者の利用者層を増やすための話である。おっさん連中はどうでもいい。彼らは適当に缶ビールでも持ち込んで飲んでいれば、それで十分幸せなのだから。

 夕刻五時、松本着。小雨がぱらつく。

 おっさん三名は駅近くの安居酒屋に入り、今回の旅の締めとしてさらに飲んだ。さらにはカラオケまで行った。まったくのところこういう連中は、放っておけば自分たちで何としてでも楽しむのである。

 電車ではしご酒!の旅は、こうして幕を閉じた。

 

(おわり)

                      

 

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電車ではしご酒!の旅 ~信州ワンデ―パスを使って~  《前編》

2018年06月02日 | 紀行文

 時刻表が楽しい。

 別に「鉄ちゃん」を自認しているわけではない。公認されているわけでもない。普段はまったく鉄道に興味がない。しかし、ぶらりと電車の旅でもしてみたいなあと思いながら分厚い鉄道案内をめくってみると、今まで観光地図やネットでは点としてしか見えてこなかった場所と場所が、線でつながれていく。すると、まるで知らなかった沿線の土地まで、観光ルートとして輝きを放ち始める。この路線からこちらの路線に乗り換えたいけど、ここで下車してみるとどうだろう、とか。この路線に乗りながら弁当を広げたら、ここら辺りで車窓に映る景色はどんなだろうか、とか。

 五月下旬、平日の仕事休みに男三人で電車の旅を組むことにした。信州ワンデ―パス。一日乗り降りし放題のチケットである。これを最大限活用し、気ままな日帰り旅行を洒落こむのだ。ただ乗っているだけでは飽きもこようが、気心の知れた知人と酒を酌み交わしながらであれば、車窓は飽きない借景、電車の揺れは心地よいBGM。気の向いた駅で下車し、地元の食堂にぶらりと立ち寄ってはしご酒、なんてのも悪くない。全然悪くない。

 そういういきさつで時刻表をめくってみたのだが、これがなかなか、難しい。接続が悪くて時間ばかりかかったり、せっかく乗り継いでも駅近くに見るものや食べるところがなかったり。それでも調べれば調べるほど可能性が開けてくるのが時刻表のよいところである。いつもは行き当たりばったり主義の私であるが、今回ばかりは時刻と時刻を突き合わせながら四苦八苦して、なんとかぐるりと一周するコースを編み出した。

 松本から中央線を小淵沢まで南下、そこから小海線に乗り換えてゆっくりと北上する。小諸からしなの鉄道に揺られて西に向かい、篠ノ井で折れ曲がれば松本に戻ることができる。

 一周は奥の細道しかり、旅の基本である。悪くない。

 最初の中央線ではスーパーあずさに乗る。ここが肝心である。特急料金がかかるが、その分確実に対面で座れる。ゆったりシートで最初の乾杯といくわけだ。帰りのしなの鉄道が別料金という問題もあるのだが、それを払わなければ戻れないのだから仕方ない。乗り換え待ちを利用してぶらついたり、温泉に入ったり、駅前食堂にでも立ち寄れば、まずまずの一日旅行となろう。格別な観光スポットのない旅程なので、同行者たちの気分次第ではただの退屈な移動旅行に堕してしまう。が、今回のメンバーは酒さえ入れば気分の乗りに問題はない。酒さえ入れば、彼らはだいたい問題がない。

 問題は天気であった。

 当日は曇天。天気予報は午後から雨。車窓の景色が望めなければ、さすがに同行者も不満だろう。ここは断念して予定変更か、と悩みつつ松本駅の集合場所に着くと、メンバー二人はすでに到着している。開口一番、「で、どうやって切符を買うんだ」。ありがたい。天気に関係なく楽しもうという気概である。この面子なので、今回のような多少無謀な旅行計画も組めたのだ。

 午前八時。我々は切符と袋一杯の買い出し品を手にし、意気揚々と、スーパーあずさ新型車両へ乗りこんだ。

 

(つづく)※見出しの写真は別日に安曇野で撮ったもの。

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