近所のスキー仲間とスキーに行く。ここ数年の恒例行事である。
メンバーは、六十代の男と、四十代の男と、三十代の男(これは私)。下っ端の私が車を運転し、上二人が朝七時の出発の車内から飲み続ける。スキーの合い間も飲み続ける。帰りの車の中まで飲み続ける。おまけに夜は夜でまた飲み直し、夕方から十時まで仕事で抜けた私が再び合流して結局日が替わるまで飲み続けるという、およそ常識では考えられないスキーツアーである。
ただし今回は四十代男も夕方から仕事とのこと。では日中の飲酒はパスかと思いきや、何のことはない、朝七時のロング缶がショート缶に変わっただけであった。
行き道は吹雪。このままでは終日単なる飲み会になってしまう。しかしスキー場に着くと幸運にも、晴れ間が覗くほど天気が持ち直した。三人とも喜び勇んで滑走。それでも、一時間おきの休憩とアルコール補充を忘れはしない。昼時までにビール二リットル強。それで上級者コースをカモシカのように滑り降りるのである。毎年のことだが信じがたい光景である。一度、六十代の「親分」が豪快に転倒したが、当り前である。
帰り道のトンカツ屋でもビール。これで三リットル。松本帰還後、私と四十代男は仕事。夜十時を過ぎて、スナックで再び合流し、一時まで飲んで歌い、歌って飲んだ。もはや何リットルか計算もできない。計算したくもない。先輩諸氏は声の張りがなぜか普段以上によく、マイクを奪い合うようにして現代ポップスから昭和歌謡までを熱唱した。歌手で言えば三橋美智也からミスチルまで、といったところか。年齢にこうまで開きがあると、曲目も実に多彩である。
それにしても、二人の体力──あえて言えば「飲み力」──は何なのか、と考え込んでしまう。彼らは果たして私と同じ人種なのか。彼らの血には、常時四パーセントくらいアルコールが混ざってやしないか。
私は何だか、動物園で絶滅危惧種でも眺めるような気分で、マイク片手に酩酊する二人に見入った。
大寒の夜の街に、四十代と六十代の背中はふらふらしながら去っていった。次回は二月中旬の予定。
メンバーは、六十代の男と、四十代の男と、三十代の男(これは私)。下っ端の私が車を運転し、上二人が朝七時の出発の車内から飲み続ける。スキーの合い間も飲み続ける。帰りの車の中まで飲み続ける。おまけに夜は夜でまた飲み直し、夕方から十時まで仕事で抜けた私が再び合流して結局日が替わるまで飲み続けるという、およそ常識では考えられないスキーツアーである。
ただし今回は四十代男も夕方から仕事とのこと。では日中の飲酒はパスかと思いきや、何のことはない、朝七時のロング缶がショート缶に変わっただけであった。
行き道は吹雪。このままでは終日単なる飲み会になってしまう。しかしスキー場に着くと幸運にも、晴れ間が覗くほど天気が持ち直した。三人とも喜び勇んで滑走。それでも、一時間おきの休憩とアルコール補充を忘れはしない。昼時までにビール二リットル強。それで上級者コースをカモシカのように滑り降りるのである。毎年のことだが信じがたい光景である。一度、六十代の「親分」が豪快に転倒したが、当り前である。
帰り道のトンカツ屋でもビール。これで三リットル。松本帰還後、私と四十代男は仕事。夜十時を過ぎて、スナックで再び合流し、一時まで飲んで歌い、歌って飲んだ。もはや何リットルか計算もできない。計算したくもない。先輩諸氏は声の張りがなぜか普段以上によく、マイクを奪い合うようにして現代ポップスから昭和歌謡までを熱唱した。歌手で言えば三橋美智也からミスチルまで、といったところか。年齢にこうまで開きがあると、曲目も実に多彩である。
それにしても、二人の体力──あえて言えば「飲み力」──は何なのか、と考え込んでしまう。彼らは果たして私と同じ人種なのか。彼らの血には、常時四パーセントくらいアルコールが混ざってやしないか。
私は何だか、動物園で絶滅危惧種でも眺めるような気分で、マイク片手に酩酊する二人に見入った。
大寒の夜の街に、四十代と六十代の背中はふらふらしながら去っていった。次回は二月中旬の予定。