た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

腹痛

2015年08月29日 | essay
 深夜、雨音で目覚めると同時に、激しい腹痛を覚える。

 腹が冷えたかと思い、しばらく耐えていたが、一向に痛みが消えない。トイレに立っても、何も出ない。してみると食中毒でもない。だがとにかく痛い。布団にじっと横になっていることもできない。サンドペーパーで内臓を擦られるような、猛烈な痛みである。

 三、四時間は耐えていたと思う。さすがにここまで来ると、身の危険を覚え始めた。幼少期、虫垂炎を患い、薬で散らした経験がある。もしやその再発か。そう言えば、痛みがより下腹部に降りてきたような気もする。虫垂炎は確か、手遅れだと命に関わったはず。さあ、どうすべきか。朦朧とする意識の中で、迷う。

 それでもしばらくは布団に体のあちこちを押し付けるようにしてのたうち回っていたが、結局我慢できず、寝ている家人を起こし、信大の救急病棟へ。担架に乗り、いろんな管をつけられ、複数の救急医に囲まれた。検査に次ぐ検査。脈拍が遅いだの、心電図の様子がおかしいだの、彼らのささやき声が聞こえる。苦痛に目を閉じているから、何が起きているかはわからない。それでも頭の隅でぼんやりと、ああ、自分は腹痛で死ぬんだ、腹痛で死ぬなんて、ちょっと嫌だな、それにいろいろ家の中を片づけておけばよかった、やっぱり日頃の片づけは大事だな、などと、神妙に反省している自分がいた。

 ところが、血液検査の結果は、何も異状なし。そうこうしているうちに、腹痛も嘘のように消えていった。まさに、何でもなくなったのである。症状の判断がつかないので薬もなし。まあとにかくお大事に、と言われて、早朝の街に放り出された。

 狐につままれた、とは、このことである。あの激痛は何だったのか。あれだけ苦しんで、家人や病院の人たちを散々煩わせておいて、何でもないわけにはいかないではないか。

 仕方ないので、天罰だと思うことにしている。何の天罰かはわからない。仮に天罰だとしても、周りに迷惑をかけすぎた。だからあまり出来のいい天罰ではない。

 そんなことを言っていると、再び天罰か。くわばらくわばら。

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残暑一人旅③

2015年08月26日 | essay
 大鹿歌舞伎の舞台となる大碩神社を見る。

 思ったよりもこじんまりした境内に、雨戸をしめ切った舞台があった。

 何となく、これを見たかったのだ。兵どもが夢の跡ではないが、派手な衣装に大見得、喝采、飛び交うおひねり・・・。実際の上演を目にしたことはないが、その盛り上がりと賑わいはニュースなどで聞き知っている。年に一度(もう一度は別な神社を舞台とする)の村人たちの夢の跡の、その日常の姿を見てみたかったのだ。

 屋外に石を敷き並べただけの客席にごろんと横になってみる。大樹を縫って届く風が心地よい。目を閉じれば、雨戸が開き、拍子木が鳴り、人々のざわめきが聞こえ始める。よっ、待ってました! 日本一!────これだ。これを見たかったのだ。

 うつ、としたと思ったら、一時間ばかりが経っていた。背中や尻を払い、神社を後にする。

 『大鹿村騒動記』という映画がある。前々から気になっていたが、ここに来た後に借りて観ようと思っていた。実際そうしようと思う。その楽しみも増えた。

 さて、まだ日は高い。大鹿村もなかなかに暑い。これからどうしよう。

(つづく)
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火炎少女ヒロコ 第三話(草稿) ~13~

2015年08月24日 | 連続物語

 織部は立ちすくんだ。彼の目に涙が浮かんだ。それくらい彼女の変わりようは激しかった。
 落ち窪んだ目のふちとげっそりと痩せた頬。単に痩せたのではなく、精神の異常が顕わである。病的に見開いた虚ろな目。小刻みに震える指先。彼女は生きながらにして廃人と化していた。
 その姿はまるで、砂漠に根付くことなく枯れ朽ちてしまった一輪の花のようであった。それも、満開を知らないまま、まだうら若い蕾のままで。
 それでもヒロコは、完全に心の病に侵されているわけではなかった。彼女は闖入者に気づいた。焦点の合わない視線は彼を捉え、しばらく経ってからはっきりと焦点を取り戻した。表情に驚きが広がった。
 「け・・・刑事さん?」
 織部は膝を突いた。
 「ああ、ああ、そうだよ。覚えているかい?」
 「私を取り調べた刑事さん」
 「そうだ。刑事だ。覚えているかい? 今は休職中だがね。でも確かにあのころは刑事だったよ。そうだ。君を取り調べた織部だよ」
 言いながら、織部はやるせない悲しみでいっぱいであった。彼女をこんな姿にさせた何かに対する激しい怒りがあった。その何かは、特定の個人なのか、それともほとんど社会全体と言っていいほどのものなのか定かでなかった。しかし明らかに、この子にはまったく別な道もありえたはずだ。そういう思いがあった。
 彼はふと自分の両脇に兵士がいることに気づいた。英語で吐き捨てるように言った。
 『出てってくれ。彼女と二人だけにさせてくれ』
 『それはできない。命令だ』
 『それでは彼女の心を開かせることができない。無理だ。出てってくれ』
 監禁されて以来初めて発した強い口調であった。二人の兵士は互いに見交わしていたが、織部を残して立ち去った。
 二人きりになり、織部は改めてヒロコを見つめた。激しい当惑と喜びと不安のないまぜになった彼女の目に、自分の目の高さを保ったまま、にじり寄った。
 「織部だ。日本の織部だ。君が小学生の時から事件を担当してきた。わかるか?」
 泣きそうな笑顔が頷いた。
 「なんてことだ。がりがりに痩せ細って・・・どうして、こんなになるまで・・・今も・・・苦しいのか?」
 頬を震わせながら、彼女は頷いた。
 「私を捕まえに来たの?」
 「違う。そうじゃない。今は、日本の刑事じゃないんだ。俺は────昔からの知り合いとして、君に会いに来た。君の知人として。君のことが心配で来たんだ」
 彼は周囲に視線を走らせた。唾を呑み込み、意を決した顔で、ぐっと声を低めて言った。
 「ヒロコ。逃げよう。ここから逃げよう」
 ヒロコは目をまじまじと見開いて織部を見つめた。当惑する黒い瞳に、一瞬間、期待が掠め、消えていった。
 力なくヒロコは首を横に振った。
 「逃げよう。俺と一緒に。ここは地獄だ。死の世界だよ。さっき、首長みたいな男が、君の心に悪魔が宿っていると言った。だが違う。本当はここ全体が悪魔で、君は悪魔に囚われているんだ。君はまだ正気だ。大丈夫だ。逃げよう。多国籍軍の攻撃が始まる。これ以上・・・もう、何もしなくていいんだ。もう君は何もしなくていいんだよ、ヒロコ。だから、逃げよう」
 ヒロコは首を横に振った。涙が散った。
 「どうしてなんだ? 奴らをうまくだましてジープに乗り込もう。何とかなる。ここにいると君は狂ってしまう。全てが手遅れになる前に・・・どうしてだ? なあ、どうしてなんだ? ここから逃げたくないのか?」
 「駄目」
 「どうしてなんだヒロコ」
 「私は殺人鬼よ。逃げたって、行くところがないの」
 「ある。日本があるじゃないか。日本に帰ろう。日本が、日本が駄目なら、一時的にどこか別の国へ身を隠せばいい。とにかくどこでもいい。ここにいて人を殺し続けるよりはましだ」
 「しっ、来るわ」
 「ヒロコ」

(つづく)

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残暑一人旅②

2015年08月23日 | essay
 大鹿村に行きたかったのは、かの有名な大鹿歌舞伎を観るためではない。

 そもそもこの季節に歌舞伎はない。

 それよりも年に二度、歌舞伎をやるほどのずくのある村を、その平生の姿でどんな集落なのかちょっと覗いてみたかったのだ(「ずく」とはこの地方の方言で、「根性」に近い意味である)。ついでに言えば、仕事場の壁に掲げてある長野県全図を、今度の休日どうしようかと眺めていたら、鉄道から山一つ隔たったこの場所がとても魅力的に目に映ったのだ。

 最寄り駅の伊那大島に着いたのが昼前。駅近くに一軒あった食堂に入り、作戦を練る。店主を味方につけるべく瓶ビールを注文し、ちびちびやりながら情報を引き出したところ、何とお盆明けで主要な温泉宿はだいたい休み。ただ幸運なことに、バスは南アルプスへ登る人たちが利用するので、事前情報で仕入れたよりも何便か余分にあった。まあ取りあえず行ってみようと駅前発のバスに乗る。揺られること一時間、着いた場所は、まさに祭りの後の観のある、どこまでも、どこまでも静かな村であった。

 
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残暑一人旅①

2015年08月21日 | essay
 電車に飛び乗り、一人旅。

 どうも自分は半年に一度くらいこういうことをしないと、体全体が干からびたようになる。

 悪い癖である。ろくな人生を送れまい。

 そう思いながらもう半分近くを生きてきた。

 車窓から眺める水田が眩しい。

 みんな、しっかり生きているんだとつくづく思う。

 目指すは、大鹿村!
(特に理由はないけれど)
   
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汗とお盆

2015年08月14日 | essay

 濁った汗をかく。歳のせいか、生き方のせいか、食生活のせいか、ただの気のせいか、いやおそらく気のせいではない、もちろんないに決まっている。これは確かなことだが、最近の自分は、濁った汗をかく。やはり歳のせいか。そろそろ何かが限界なのかも知れない。そんなことを思ってむしろ納得してみたりする。

 ところがここに、お盆という日本古来の因習のおかげで、数日であるがまとまった休みが不意に突きつけられる。半分ワーカホリックになった体にはどう休んでいいかもわからず、庭に手を入れたりただただ温泉に浸かってみたりやたら馬鹿食いしてみたりして戸惑いのうちに日を過ごすが、不意に、体から流れ落ちる汗が濁ってないことに驚く。馬鹿食いしているときにすらそうだ。汗が、なんと、濁っていない。

 夜はきちんと夜である。虫の音が聞こえる。遠くの花火の音すら聞こえる。蚊に噛まれるとかゆく感じる。団扇をはたはたと使ってみたりする。そして、背に落ちる汗が、濁っていない。

 つまらぬ結論を言えば、精神と肉体はかくも密接に連関している、ということになりそうだが、そういう味気ない話は脇に置き、いただいたメロンの切り分けに楊枝を刺しながら、どちらかというとメロンと合わないビールのお代わりをして、もう少し汗をかこうと思う。

 何しろせっかくのお盆だから。
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火炎少女ヒロコ 第三話(草稿) ~12~

2015年08月14日 | 連続物語


♦      ♦      ♦



 多国籍軍介入を三日後に控えた九月半ばの灼熱の午後。蜃気楼の揺らぐ砂漠の地平線に現れた一台のジープが、アル・イルハムの本陣までやって来て止まった。
 布と黒いリングを頭に乗せた兵士二人に挟まれ、車から降り立ったのは、日本人であった。砂塵に揉まれて薄汚れたよれよれのスーツに、無精ひげ。
 織部である。
 彼が二人の米国人とダマスカスに降り立ってから、一か月が経っていた。
 超能力の研究者集団という偽の肩書で、彼らはアル・イルハムに接触を試みた。イスラム圏の知識人や有力者たちの推薦書も周到に用意した。交渉はぎりぎりのところまでうまくいったかに見えた。しかし、アル・イルハムの幹部との初会合で、いきなり白人二人は捕えられ、織部と引き離された。もともとからアル・イルハムの狙いは日本人の織部一人にあったのだ。織部自身は机と椅子と床敷きのベッドと、鉄格子付きの窓しかない部屋に命令も説明もなく二週間監禁された。拘束された二人の米国人がその後どういう運命を辿ったのかは、織部は知らない。
 今、ジープから降り立った彼は、眩しそうに、砂漠と、岩山と、ベドウィンたちのテント村を見渡した。ラクダや羊はほとんどいない。その代わりに見えるのは、周辺にぐるりと置かれた、何台もの軍用車両や分捕り品の戦車。
 何とも異様な風景に彼の目には映った。破壊する物などない不毛地帯のど真ん中に、125ミリ砲を備えた戦車が鎮座している。伝統的な服装のベドウィンたちがライフルを担ぎ、山羊の毛で織った黒いテントの脇に、ジープやトラックが横付けされている。目的も時代も異なる物がいっしょくたに集められた観があった。
 織部は強烈な日差しに顔を顰めた。
 一行を、シャイフ・アブドゥル=ラフマーンが出迎えた。彼が歩けば、小石混じりの砂地までが威厳をもって鳴る。
 彼は品定めをするようにじろじろと無精ひげの東洋人を見つめた。
 『お前が日本人のオリベか』
 兵士が織部の耳元で英語に訳す。織部は頷いた。
 『お前はヒロコを昔から知っているのだな』
 織部はまた小さく頷いた。
 彼を穴のあくほど見つめていたシャイフの顔面に不意に怒気が広がったかと思うと、彼は腰にさした短剣の柄を握り、かちゃり、と、光る刃先を見せた。
 『お前はヒロコを取り戻しに来たのではないか』
 英訳を聞いて織部は動揺した。彼は汗を浮かべながら首を横に振った。
 『構わん。どうせその試みは成功しない。もし、お前が、ヒロコに逃げることをそそのかしたりしようものなら、お前の命はその時までだと思え』
 生唾を呑み込み、織部は頷き返した。
 『よし。それでは病人に会ってもらう。わかっているだろうが、彼女の心に巣食った悪魔を追い出すことが、今のお前の使命だ』
 有無を言わさぬ気迫である。織部は今更ながら、到底なしえない任務を引き受けてしまったのではないかと悔やんだ。しかし同時に、ヒロコに会いたい、一目見たいという衝動はかつてなく高まっていた。現在の自分が死と隣り合わせなら、ヒロコはそのまっただ中にいる、しかもたった十七歳で。
 織部は顔を上げ、族長の差し伸べた手の方向へ歩き出した。両脇には、カラシニコフを肩にかけた二人の兵士がしっかり密着してついて行く。
 他と比べてひときわ大きく立派な天幕へと織部は案内された。
 深呼吸し、中に入る。
 すぐに香の煙が鼻を突いた。そこには豪華な調度品に囲まれて、贅沢な装身具を身にまとい、肘枕に半身を沈めて窪んだ目を見開いた高瀬ヒロコがいた。
 織部は立ちすくんだ。彼の目に涙が浮かんだ。それくらい彼女の変わりようは激しかった。
 落ち窪んだ目のふちとげっそりと痩せた頬。単に痩せたのではなく、精神の異常が顕わである。病的に見開いた虚ろな目。小刻みに震える指先。彼女は生きながらにして廃人と化していた。


(つづく)

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