た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

無計画な死をめぐる冒険 (157~)158

2009年06月30日 | 連続物語
第六章

 
 息遣いの音が聞こえる。美咲のものである。
 私を殺害した女と、夫を殺害された女が見つめ合う。いや。私を殺害した女と、その殺害に加担したと思われる女が。私を憎み、その一点で繋がってしまった二人の女が、その宿縁の太さに慄然として見つめ合う。
 日は没する前に薄雲に隠れた。つむじ風が起こり、止む。 
 美咲が口を開いた。
 「何の御用」
 砥石で擦ったようなかすれ声である。
 志穂は答えを返せない。まさか犯行現場に舞い戻りたくなったからとは言えない。しかしそう気取られてもおかしくない沈黙である。万事休すである。
 それでも、彼女は大きな目で美咲を見つめ返す。すべてを諦めつつある女は動揺しない。口をもぐもぐさせているのは藤岡ばかりである。
 美咲の背後に人影が現れた。「奥様、ま、奥様!」と耳障りな声でささやきかける。大仁田である。大仁田もまた、うろたえている。美咲は振り向きもしない。
 見つめ合う女が二人。うろたえる取り巻きが双方に一人ずつ。
 四者が揃った。
 
 志穂は首を傾げて見せた。栗色の髪の毛が強張った笑みにかかる。
 「いろんなことを、もう終わりにしようと思ったんです」
 「そう」
 未亡人の相槌は冬の床板のように冷たい。
 来訪者は一歩前へ出た。
 「その前に、ここをもう一度見ておきたくなって」
 「そう。自首するの」
 言われた女の表情が変わった。
 「他人事ですね」
 「あなたの事でしょう」
 誰かの重体を告げるサイレンが近づき、遠のいていく。志穂は唇を噛んで美咲を睨みつけた。
 「もし私が────私が殺したと思うんでしたら、どうして、妻であるあなたが、警察に訴えないのですか?」
 「私は・・・」
 「自分も捕まると思ったからですか」
 「ちょっ、ちょっとあんた」大仁田が慌てる。「人聞きの悪いこと言わないでよ。奥様が捕まるわけないじゃない」
 抜けブスはやはり抜けブスである。美咲を擁護するなら、何もしていないと否定すべきであった。捕まらないと言い張ることは、捕まらない程度に何か犯していることを暗に認めたことになる。
 奥様は赤面して声も出ない。
 蒼褪めているのは志穂である。
 「私は自首します」
 「笛森君!」藤岡が悲鳴を上げた。「な、な、何を言ってるんだ、も、戻ろう、車へ」
 「私は自首します。それをお望みなんでしょう? 私は、でも、私の罪状って何ですか。私は確かに、風邪薬をお酒に混ぜました。やめてください。離して(と、これは藤森に対して)。死ぬなんて思ってなかった。風邪薬なんかで死ぬはずがないと思ってた。もし間違って死ぬなら、それならそれで、死んでもいいと思ってた。だから、そう、殺意はあったんです。殺意────それで殺意があったと言えるんですか? わかりません。私にもそんなことわかりません。私はただ、復讐がしたかっただけ。でもあの男に復讐したがってた人間は、私だけじゃなさそうですね。(そう言って彼女は周りの人物たちを睥睨した。)私はいろんな人の手助けがあって、犯罪に成功しました。誰も殺すつもりはなかった。でも誰かがそうすることを望んでいた。違いますか? 違いますか? 私は、あんなひどい男は死んで良かったと今でも思っています。もし、もしそう思っていることが一番の罪なら、罰を受けるのは他にも」
 「戻ろう、戻るんだ笛森君!」

(つづく)
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蛇いちご 6月29日

2009年06月28日 | essay
昔、道がすきだった。
どこに続くかわからない
でも、どこへ続くか見えそうなほどまっすぐな道がすきだった。

美ヶ原に登り草原の砂利道を歩く。
この辺りはみんな、へびいちごの花ですよ、と
通りすがりの人が教えてくれた。

まっすぐな道を眺めて、雲を眺めて、牛を眺めて引き返す。
昔、道がすきだった。
今もすきである。

どこへ続くか気になることは
(ヘビイチゴト同様)
なくなったけれども。
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6月20日

2009年06月21日 | 俳句
筆は折れメロスは来ずとも夏至の暮れ
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6月18日

2009年06月18日 | essay
久しぶりに外に出る。上着を羽織っても脱いでもどちらでも構わないような六月の夜である。

ジャズバーに入る。ジントニックを飲む。

私の隣の隣の席には若いサラリーマンが。

奥のテーブル席には雑誌と女が。それと私。客はそれだけである。

ジントニックのお代りを頼む。

こう思った。

自分がこの世の中に期待をしなくなったのは
もう何年も前のことだろうか。

それまでは違った。まるでアラジンの魔法のランプのように
わくわくするものであった。人と会うことは。それが今は

誰の顔を見ても少しも興奮しない
会話を疎み、接触を恐れる
それもただ単に、時間の浪費を惜しむがためと来た!

もう一杯? いや、今夜はもうエスプレッソで。
ええと、ドッピオじゃなくて、少なめの、そうそう、ソロで結構。

(マスター、マスター、できればボリュームをもう十三度上げてくれ。
日常という目垢を拭って詩的になるには
もう少し強い刺激が必要なんだ。)

「さてさて、マスター、お勘定」





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並び替え第七弾

2009年06月17日 | 連続物語
誰が読むわけでもないでしょうが、久しぶりに並び替えます。

無計画な死をめぐる冒険、131から157まで。
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無計画な死をめぐる冒険 131

2009年06月17日 | 連続物語
 鬼の眉間の皺が濃くなり、気配がより剣呑になったかと思うと、突然炎が奴を取り巻いた。太陽ほども眩しい紅蓮の炎である。奴自身は熱くないらしい。どうも色々仕掛けのある鬼である。また巨石を転がす声を出されたら困るから、矢継ぎ早に言葉をつけ足した。
 「担いでるのでもなく道化でもないのなら教えてくれ。笛森志穂は恐れていたのか。私を見ることを恐れていたのか。そうならばなぜ、彼女は私を恐れていたのだ」
 鬼の目が赤く染まり、口が耳元まで裂けた。怖い鬼の顔がさらに怖くなったと思ったら、奴の炎が奴を離れ、竜巻のように渦を巻いて私を取り囲んだ。ごうごうと盛大な音がする。熱くはないが、炎ばかりで何も見えない。鬼の姿すら炎の向こうで影になった。
 割れ声が響いた。
 「お前の目で確かめよ」
 その言葉で、目の前の炎がさっと左右に畳二畳分ほど退いた。カーテンのように便利な炎である。ちとこの鬼はいくらなんでも仕掛けが多過ぎるのではないか。呆れたことに、炎の退いたところに警察署の取調べ室が現れた。天井辺りから覗いた格好である。 
 取調べ室とすぐにわかったのには、それなりの理由がある。コンクリートの打ち放しのような床。床と同じ色の殺風景な壁。壁と同じ色の事務机。その机の一方に笛森志穂が座り、もう一方に五岐警部が座っている。戸口には別の警官が立っている。壁の時計がやたら秒針を喧しく刻んでいる。これが取調べ室でなくて何であろう。
 五岐は苛立ちからか、閉じた手帳をペンで叩いている。
 彼らのところに飛び移ろうとしたら、透明な壁にぶち当たった。なるほどこれはスクリーンなのだ。現実ではない。さすがに上空五千メートルをも超えると思われる地点に、現実の取調室はなかろう。それにしてもリアルな映像である。むしろこれは映し鏡か。今まさに、地上で起こっている出来事の。
 私は告白する。鏡にせよ壁にせよ、堅い物に触る感覚がいずれにせよ何とも懐かしく心地よかったことは事実である。私は禁酒中のアルコール中毒者が酒瓶を撫で回すように、醜悪な体でスクリーンを撫で回した。それはそうとして、志穂の傍らまで降りていけないのがどうにも歯がゆくてならない。私はまさしく蜘蛛のように映し鏡にへばり付いた。彼女のよくくしけずられた頭頂がここから見える。表情が少し見える。美しい女である。彼女は────やはり雪音である。人形のように手にとってみたくなるほどの慎ましやかな清楚さが、雪音である。
 彼女は、彼女は窮地に立ってなお美しかった。判決を待つ人のようにじっと身を硬くして、五岐警部を見つめていた。


(どうやらつづく)
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無計画な死をめぐる冒険 132

2009年06月17日 | 連続物語
 秒針が沈黙を刻む。
 手帳を叩くペンの動きが止まった。
 威圧的な肩幅を持つ男は身を乗り出した。「あなたは彼を恨んでいた。自分の母親の愛人を。そうだろう?」
 人形のような女は、かすかに震えながらも、毅然として男を見つめ返した。
 「はっきり憎んだのは、母が自殺してからです」
 自殺? 私は激しく動揺した。気が狂いそうになった。雪音が車に轢かれたのは、自殺だったと言うのか?
 私の疑問と同じことを警部は口にした。
 志穂は小さくうなずいた。
 「そうです。私はそう信じています。母は自分から車の前に飛び込んだんです。それはあまりにも上手く行き過ぎたんです。誰も事故であることを疑わなかった。上手く行き過ぎたんです。でも、警部さん。母には、その日、その信号を渡って行く用事なんて、一つもなかったんです。母は、私の母は、自分から死ぬつもりもないのに、赤信号を無視して横断するような人じゃありません」
 警部の眉間に深い皺が刻まれた。
 「飛び込んだとすれば、何のために」
 「私は、母が死ぬ前の半年間、どれだけ孤独だったか知っています」
 警部はうむ、と唸って鷲鼻を両手の中に沈めた。志穂の言葉が畳み掛ける。
 「母は裏切られたんです。利用されたんです。母は毎朝、涙で頬を真っ赤に腫らしながら起きていました」
 「遺書も何も残っていなかったが」
 「わからないんですか。事故を装ったんです。母は成功したんです。事故を装うことに。演技のまるで下手な人だったけど、最後の最後は成功したんです。信号無視というニュースにもならないような事故を装ったんです。自殺したとなると、良心の呵責に苦しむ人が出てくるからです。でも実際には、あの男には良心の欠片すら無かったのに。母は泣きたくなるほど優しい心の持ち主だったんです。あんな男、あんな男にさえ、自分を虫けらのように捨てたあんな屑みたいな男にさえ、罪の意識を背負いさせたくなかったんです、母は」

(つづく)
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無計画な死をめぐる冒険 133

2009年06月17日 | 連続物語
 壁時計の秒針が一回りするほどの、長い沈黙が続いた。私にとって石臼を背中に乗せられたような沈黙だったことは言うまでもない。私が耐え切れなくなる前に、警部が口を開いてくれた。
 「いずれにせよ、君はそう信じたわけだ」
 真直ぐな志穂の背筋が、さらに伸びた。「はい」
 「それで復讐を誓ったわけだ」
 こわばった笑みがそれに答える。「誘導尋問ですか?」
 「もちろん、誘導尋問ではない。誘導などしておらん。では・・・君は、さっき言った通り、宇津木家の居間で宇津木邦広を待つ間、戸棚のウィスキーの瓶に風邪薬を溶かし込んだことは否定するのだな」
 なぜか志穂は壁時計をちらりと見遣った。
 「はい」
 「うむ。なるほど。では、と重ねて訊いていいかな。ではなんのために、二月十六日の木曜日、君は女子学生と騙ってまで宇津木家を訪問したのだ」
 この問いには力があった。二人は息もせず睨み合った。笛森志穂は────ああ! と私は叫ばなかったろうか?────初めて、殺人者に相応しい不敵な笑みを浮かべた。目は爛々と輝いている。唇は震えている。音高く椅子を引き摺らせて、彼女は立ち上がった。
 「殺してやりたいほど憎らしい男の顔をひと目見たかったからです。言わせてもらっていいですか」
 警部は気圧されている。「ああ」
 「誰が犯人か知りません。そんなことは知りません。でも、風邪薬を瓶に混ぜ入れるって、それ自体、人を殺すのにはあんまりにも効果的じゃないとは思いませんか? ただの悪酔いで終わる可能性だって高いんでしょう? 誰がそんないたずらをしたか知りません。私は────知りません。でも、あの男が急性アルコール中毒で死んだことは、天命です。天罰です。そう思います。確かに、ええ、私はあの悪魔のように厚顔無恥な男の顔を見るために、彼の家を訪ねました。私はあの男を憎んでいました。母を殺したあの男を心から憎んでいました。母が死んだんだから、あの男にも死んで欲しいと、思っていたのは事実です。でも思うこと自体は犯罪じゃないですよね? 警部さん、私を逮捕するのでなかったら、もう帰らせて下さい」
 警部の頬が少しだけ高潮したように見えた。戸口の若い警官が、音の漏れないように咳をする。
 五岐警部は唸りながら椅子の背もたれをきしらせた。
 「わかった。よかろう。今日はここまでだ」

(つづく)
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無計画な死をめぐる冒険 134

2009年06月17日 | 連続物語
 ここまでだ、の辺りで、声は急速に遠のいた。声だけでなく、画面までが白くぼやける。真白になったと思ったら、映し鏡全体が粉々になり霧のような粒子となって消失した。同時に周囲を取り巻いていた炎も消えた。
 天井に青空が戻った。下方には雲海ができつつある。
 私と鬼は、日の照らす中空に再び対峙した。
 私がいつまでも喋らないので、鬼のほうから口を開いた。低い、割れ鐘のような声。
 「わかったか」
 わかったかだと。何をわかったと言うのだ、この鬼畜が。
 私は奴の目を見つめ返すことすらできなかった。
 「わかった」
 むべなるかな。私は、わかり過ぎるくらいわかっていたのである。取調室におけるあの鷲鼻の警部と同じほどに。
 風邪薬をウィスキーの瓶に入れた犯人は、笛森志穂である。彼女が、私を殺した。しかし────不幸にもと言おうか────彼女は表情を偽れるほどの悪人ではなかった、罪人ではあったが。彼女は言葉で否定しながら、燃えるような瞳で全てを白状してしまった。彼女が私を殺した。彼女が居間の戸棚の酒瓶に手をかけた。彼女が殺人を意図し、それがどんなに偶然を頼りにする計画だったにせよ、見事成功した。たまたま上手く事が運び、私は死んだ。馬鹿げている!・・・全てが私の妄想であって欲しいと、どれほど願っていることか!・・・せめて。せめて彼女が心のどこかで、この場当たり的な犯行の失敗を望んでいてくれたなら。まさか死ぬとは、と、驚いてくれたなら。いずれにせよ、私は現に死んだ。犯罪は完遂された。彼女が証拠不十分で手錠を逃れられているのも時間の問題であろう。彼女は早晩捕まろう。またそのことまでも、彼女はすでに、捨て鉢な態度で、自覚しているのである。
 私は殺された。それもどうだ、殺されてのち知ったことだが、狂おしいほどに愛しい女の手にかかって!

(つづく)
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無計画な死をめぐる冒険 135

2009年06月17日 | 連続物語
 「一つ訊きたい」
 「何だ」
 「力。力のことだ。力がある、と言ったな。私には、自分を現す力があると」
 奴は答えない。
 「どれだけの力なのだ、それは。教えろ。笛森志穂は私の姿を見た。私の声を聞いた。私にできることはそこまでか。それとも、もっと何かできるのか」
 もっと何か。私の切実な問いに対して、鬼は嘲りの笑みを浮かべた。笑うと言っても、口元がほんのわずか引き攣るだけである。だが、はっきり嘲りとわかる笑いである。
 「例えばどんなことだ」
 私は口をつぐんだ。意中には、空に持ち上げられる直前の出来事があった。あのとき、五岐警部は私の手を首筋に感じたのだろうか? もし可能なら、私は──私は、今度は、あの女の白い首筋に手をかけなければならない。復讐のため。復讐? いや、そんな単純なものではない。憎しみなら確かにある。私はあの女によって死に追いやられた。あの女を殺してやりたい。だが、慙愧もある。あの女の言葉を信じるなら、私が彼女の母を死に近づけたのだ。私は悔いても悔やみきれぬことをした! 憎悪と悔悟、この二つの心情が複雑に絡み合って・・・違う、違う。違うのだ。正直に語れ、宇津木邦広。そんな感情は皆、風の前の枯葉のようにどこかに追いやられてしまったではないか。そうなのだ。恥じらいもなく言おう。私はただ、ただ、あの女を陵辱したい。

(つづく)
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