息遣いの音が聞こえる。美咲のものである。
私を殺害した女と、夫を殺害された女が見つめ合う。いや。私を殺害した女と、その殺害に加担したと思われる女が。私を憎み、その一点で繋がってしまった二人の女が、その宿縁の太さに慄然として見つめ合う。
日は没する前に薄雲に隠れた。つむじ風が起こり、止む。
美咲が口を開いた。
「何の御用」
砥石で擦ったようなかすれ声である。
志穂は答えを返せない。まさか犯行現場に舞い戻りたくなったからとは言えない。しかしそう気取られてもおかしくない沈黙である。万事休すである。
それでも、彼女は大きな目で美咲を見つめ返す。すべてを諦めつつある女は動揺しない。口をもぐもぐさせているのは藤岡ばかりである。
美咲の背後に人影が現れた。「奥様、ま、奥様!」と耳障りな声でささやきかける。大仁田である。大仁田もまた、うろたえている。美咲は振り向きもしない。
見つめ合う女が二人。うろたえる取り巻きが双方に一人ずつ。
四者が揃った。
志穂は首を傾げて見せた。栗色の髪の毛が強張った笑みにかかる。
「いろんなことを、もう終わりにしようと思ったんです」
「そう」
未亡人の相槌は冬の床板のように冷たい。
来訪者は一歩前へ出た。
「その前に、ここをもう一度見ておきたくなって」
「そう。自首するの」
言われた女の表情が変わった。
「他人事ですね」
「あなたの事でしょう」
誰かの重体を告げるサイレンが近づき、遠のいていく。志穂は唇を噛んで美咲を睨みつけた。
「もし私が────私が殺したと思うんでしたら、どうして、妻であるあなたが、警察に訴えないのですか?」
「私は・・・」
「自分も捕まると思ったからですか」
「ちょっ、ちょっとあんた」大仁田が慌てる。「人聞きの悪いこと言わないでよ。奥様が捕まるわけないじゃない」
抜けブスはやはり抜けブスである。美咲を擁護するなら、何もしていないと否定すべきであった。捕まらないと言い張ることは、捕まらない程度に何か犯していることを暗に認めたことになる。
奥様は赤面して声も出ない。
蒼褪めているのは志穂である。
「私は自首します」
「笛森君!」藤岡が悲鳴を上げた。「な、な、何を言ってるんだ、も、戻ろう、車へ」
「私は自首します。それをお望みなんでしょう? 私は、でも、私の罪状って何ですか。私は確かに、風邪薬をお酒に混ぜました。やめてください。離して(と、これは藤森に対して)。死ぬなんて思ってなかった。風邪薬なんかで死ぬはずがないと思ってた。もし間違って死ぬなら、それならそれで、死んでもいいと思ってた。だから、そう、殺意はあったんです。殺意────それで殺意があったと言えるんですか? わかりません。私にもそんなことわかりません。私はただ、復讐がしたかっただけ。でもあの男に復讐したがってた人間は、私だけじゃなさそうですね。(そう言って彼女は周りの人物たちを睥睨した。)私はいろんな人の手助けがあって、犯罪に成功しました。誰も殺すつもりはなかった。でも誰かがそうすることを望んでいた。違いますか? 違いますか? 私は、あんなひどい男は死んで良かったと今でも思っています。もし、もしそう思っていることが一番の罪なら、罰を受けるのは他にも」
「戻ろう、戻るんだ笛森君!」
(つづく)