た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

結婚式

2018年01月29日 | essay

 人の婚礼によばれる。

 軽やかな音を立てるハイヒールと、その上を翻る華やかなドレス、天井で煌めくシャンデリア。若く弾けた笑い声。その雑踏の奥には、椅子に腰かけたまま微動だにしない老人たちがいる。おそらく親族であろう。杖を肩に周りをじろじろ見つめる人がいる。黒い紋付の着物を着て俯いたままの婦人がいる。人生を今日の主人公たちよりずっと長く生きてきて、結婚の重みと軽さと、主人公たちにとって今日を起点に様変わりするであろう過去と未来の意味の深さを、彼らは身をもって知っているのだ。交わされる笑顔と笑顔の合間にも、ふと神妙な面持ちが差すのを、隠すことが出来ない。

 そんなことには無頓着に、式は次々と賑やかに進行していく。

 建物の外は路肩に雪を残す冬の最中のはずだが、会場内は、ケーキの食べさせ合いやらブーケトスやら余興やらで春の花見のように陽気である。私は同席した会社関係の人たちに熱燗をしつこく注がれ、随分いい気分になった。酔いの回った目でふと新郎新婦の座る正面テーブルに飾られた生花を見やる。生花から目が離せなくなる。

 今日の意味を知るのは、ずっと先だから、花は今日も美しく咲く。それでいいのだ。

 私は上体を戻し、軽くお辞儀をして、再びお猪口を隣席の人の掲げる銚子の前に差し出す。

 

 婚礼が終わったのは昼下がりであった。

 建物を出ると、風が頬を撫でた。

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上京

2018年01月22日 | essay

 東京へ行く。友人二人に会うためである。

 二十代の終わりから三十代にかけてよく遊んだ仲間である。それぞれ仕事をしながら、私と同じだけ歳を取っている。同年なので、彼らに会うと、今の自分の歳の取り方を再確認できるような気がする。日々の雑務に追われ、体調も崩しがちな今の自分に対し、こういう生き方でいいのか、それを確認したくて会いに行ったのかも知れない。ただただ、会いたかっただけかも知れない。

 大塚に住むM氏が彼の恋人の営む居酒屋を昼間だけ貸し切る形で準備してくれていたので、新宿まで迎えに来てくれたN氏と大塚に移動し、駅前の公園でスターバックスのコーヒーを飲みながら、M氏の登場をしばし待つ。さして広くもないがすっきりと何もない公園に、太陽の日が柔らかく降り注ぐ。ハトや人が憩う。公園の向こうを路面電車がゆっくりと通り過ぎる。東京に路面電車が走っていることを、この歳になってようやく知った。線路の向こうの商店街は、なかなか賑やかで楽しそうである。

 N氏は心の病気と闘いながら、半年余り休職し、去年の春から職場に復帰していた。

 とりとめのないことを彼と語り合う。彼が休職中に図書館で読んだ本の内容が中心である。心理学の話。遺伝の話。文明論の話。

 やがてM氏が現れ、居酒屋に場所を移す。

 彼の恋人が用意してくれた想定外のご馳走と美酒に酔いしれながら、さらに取りとめもないことを語り合う。恋愛論。性格論。生き方。議論は酒にあおられ加熱する。店主が女性の立場から話に加わり、それに男たちが三様の受け答えをしているうちに、お互いの違いと、似ている部分が浮き彫りになっていることに気付く。N氏がそれが面白いと笑う。誰が正しいわけでもない。ただ、そうやってみんなそれぞれにこの歳まで生きてきた。そこには、正解もなければ、決して、誰にも、不正解はない。

 帰りの『あずさ』に乗ると、車窓に映るのはすでに夜景であった。

 明日からまた、頑張ろうと思う。まだまだもがき、苦しむだろうが、続けることを続けていこう。

 不正解はないのだ。

 

 

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喉の話題

2018年01月12日 | 短編

  年明け早々喉を潰してしまった。例年にない過密スケジュールと年齢と、何より日頃の鍛練不足のせいであろう。声は多彩な表情を見せながら急速に掠れていき、ついには『ゴッド・ファーザー』のドン・コルリオーネ役のマーロン・ブランドのようになった。と、職場で子どもたちに話したが、彼らが『ゴット・ファーザー』を知るべくもなく、反応は薄かった。掠れ声はやがて果てしない咳に変わった。ことに夜、床に入ると激しい咳の一斉射撃に襲われ、『トムとジェリー』のようにぴょんぴょん飛び跳ねて眠るどころではなくなった。

 さすがに音を上げて病院に行き、抗生物質をもらって帰った。三日飲めば六日間効くという。三日飲まないと意味はなく、ということは三日経つまではそのままの状態で待っていろということなのか。ジェリーにいたずらされたトムのように毛布ごと跳びあがっている状態を三日間、我慢しなければならないのか。私はあたかも絶体絶命の窮地に追い込まれた戦国武将が三日後に到着するという援軍だけを頼みに満身創痍で前を向く、そんな悲壮感を漂わせながら残る日数をしのいだ。どうやってしのいだか、ほとんど記憶にないほどである。しかし現代の科学医療の進歩はめざましく、その抗生物質も、三回飲んだらちゃんと効力を発揮した。まさに武田軍の本隊が駆け付けたかのような勢いで悪い奴らを駆逐し、嘘のように咳が出なくなった。まったく出なくなったわけではない。

 武田軍は勢いあまり過ぎたのか、攻撃相手が案外貧弱で手持無沙汰になったのか、私の足の至る所に発疹を作った。副作用というやつであろう。大したことはないが、痒い。病院に問い合わせると、そういうときは薬を飲むのを見合わせるといいが、もう三日分飲んでしまったので仕方ないという。武田の本隊を呼ばなくても、真田軍くらいで事足りたのかも知れない。しかしせっかくならめちゃくちゃにやっつけて欲しかったので、戦勝後の多少の乱暴狼藉は大目に見たい。発疹も午後になったら退けてきた。

 さて今後の課題となる日々の鍛錬についてだが、ストレッチくらいなものでいいのではないかと、はや甘い考えを起こしている。喉元過ぎれば何とやら、である。喉元のことだけに。 

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