前回牛の乳の話をしたついでに、やぎの乳の話を。『失われた慣習』というテーマから、二話目にしてすでに逸脱しそうな予感がする。
私が幼い頃、我が家では牛のみならずヤギも飼っていた。何のために飼っていたのか今もって定かでない。幼い頃質問しても、適当にはぐらかされた覚えがある。ヤギの乳を採るためであったのなら、たった一頭、しかもまだ子どものようなヤギである。大して採算が合わなかったろう。年度の変わり目くらいになるとヤギがいつの間にかいなくなり、数日後、新しいヤギが来ていることが何度かあった。だとすると食肉として出荷されていたのだろうか。ヤギの肉なんて食べる人がいるのだろうか。いまだにわからない。わからないままでいいと思う。思い出というのは、ぼんやりと謎めいていた方が、思い出し甲斐があるというものだ。
いずれにせよ、私と兄の二人兄弟にとっては、ヤギはなかなかの愛玩動物であった。まったくのペットというわけではないが、実用的な家畜になり切れていないところが良かった。ただメーメー鳴いているだけなので、からかいやすかった。兄が一度、小さなヤギの背中に乗ろうとしたことがある。乗馬の要領で、大股を広げて背中に尻を落ち着けようとするが、ヤギは相手が子供とは言えそんな重量のものを背負ったことがないので、メーメー鳴きながら逃げようとした。ひどい兄である。
ヤギの乳というものがお茶の時間によく出たが、臭くて、とても飲めたものじゃなかった。ところがそれをアイスクリームにすると、驚くほど濃厚な旨さに変じた。
当時、「どんびえ」という、家庭用のアイスクリーム製造機が大流行していた。あらかじめ容器を冷凍庫で冷やしておいて、そこに材料を投入し、レバーを回しながら攪拌(かくはん)する。それだけで手軽なアイスを楽しむことができた。あの時代ほとんどの家庭に常備してあったはずである。便利と知れば何でも大流行する時代であった。
我が家では祖母が主にどんびえの担当であった。たこ焼きもそうだが、主婦の座を嫁に明け渡した老女の仕事として、簡単で孫たちに受けるアイスクリーム作りは極めて都合よいものだったのだろう。どんびえよりさらに原始的だが、プラスチック容器にオレンジジュースを充満させ、割り箸を差しこんで冷凍庫で冷やすという、オレンジシャーベットもよく作っていた。そう言えば、バナナの皮を剥いてラップで包み、ただ凍らせるだけという奴もあった。あれはさすがに、幼い私にもあまり上等なアイスだとは思えなかった。
どんびえの時だけ、にわかに脚光を浴びたヤギの乳も、普段はさほど求められることもなく、いつも冷蔵庫に眠っていた。私が小学校に上がり、しばらくして、我が家はヤギを飼うのを止めた。家畜の世話を担っていた祖父が、高齢を理由に「もうやらん」と宣言したからである。
ヤギがいなくなっても、家庭での日常生活は格別何も困らなかった。とすると、ヤギの存在意義は初めから大してなかったのかも知れない。ただ、子どもである私は多少なりとも、心にさみしさを感じていた。
ヤギをまだ飼っていた頃、一度だけ出産に立ち会ったことがある。ぬめぬめとした膜に包まれた子ヤギが藁の上に横たわっていた。血もところどころについていた。衝撃的な光景であった。あの出来事から学んだことは多かったろう。命について。そのはかなさと、執念と。個々の力ではどうすることもできない宿命について。
それだけでも、私はヤギに感謝しなければいけない。