た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

メリー!クリスマス

2006年12月24日 | Weblog
日ごろの感謝の念をこめて。

こんなページを静かに
応援してくださっている方々へ。
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太郎君と先生

2006年12月14日 | essay
 太郎君が尋ねた。
 ───携帯電話を使っていて、最近、携帯電話に縛られている気がするんです。便利だから買ったつもりなのに。どうしてでしょうかね。
 先生が答えた。
 ───昔、外国を旅していた若者が、ある国の路上で立派ななりをした人物と出会った。いろいろ立ち話をした末に、別れ際にその人物からきらきら輝く立派な腕輪をもらった。喜んで腕につけて街を歩いてみたが、街の人たちは、なぜかみな変な顔で自分をじろじろと見る。不思議に思って腕輪を外そうとしたところ、これがどうやっても外れない。驚いた若者は道行く人に助けを求めるが、誰もが急いで逃げるように去っていくのだ。
 ようやく捕まえた一人の老人から、若者は、そのきらきら輝く腕輪の本当の意味を知らされる。その国では怪しいよそ者であることを知らせる警告の役割を果たしているのだ。そしてその腕輪を彼に与えた人物は、この国の警官であったのだ。
 同じものを身につけていても、知っているか知らないかで感じ方は随分異なる。お前の携帯電話もそれと同じだ。
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いくら丼ふたたび

2006年12月02日 | 食べ物
 いくらが届いた。昨年いただいた方から今年も届いた。昨年はお越しいただいた返礼として受け取ったが、今年は別に何があったわけでもない。こちらは何もしていないのにいただいたわけである。こういう親切はなかなかできるものではない。私のような器の小さい人間からしてみれば、ほとんど奇跡に近い。
 
 多くの人は、自分に何かしてくれる人には何かしてあげようと思う。それは当然の理である。私もそうである。何もしていない人に何かしてあげようとする人に出会うとき、私は驚き言葉を失う。

 いくらは早速いくら丼にして食べた。労働時間十二時間を優に越え、殺人的な忙しさであるこの土曜日、海の幸人の恩にどれだけ助けられたことか。
 この方の漬けるいくらは、ちょっと表現に困るほど旨い。様々な漬け方をされたいくらが、小分けにして冷凍されている。楽しみはこれからまだまだ続く。

 いつになれば、私もこういう親切ができるのだろうか。いつか、するのだろうか。
 
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過ぎたるも及ばざるも

2006年12月01日 | 写真とことば
不足か過剰か
世のある悩みのほとんどは
結局
そのどちらかに帰着する。

不足か過剰か
世にどちらかしかないのなら
問題は
そのどちらで悩むかである。
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