た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

ゴールデンウィーク突入。

2008年04月27日 | うた
太鼓橋の上から女鳥羽川のきらきらと春を映すさまに見とれる。

子どもの声が聞こえる。立ち話をする人がいる。川沿いをバイクがゆく。

私は人生において少しだけ前進しつつある。

どこかの家で金槌を振っている。そよ風が息の長い葉桜を揺らす。川沿いを自転車がゆく。

自転車がまた一台。タクシーがゆっくりと通る。カップルが立ち止まる。老人が杖をつく。

太鼓橋の上から街を見ればだいたいの建物はきらきらと春の日差しを浴びている。

街の向こうの 雪を少しだけ残した飛騨山脈も。

小さなこの体も。

こういうとき

私は人生において少しだけ前進しつつある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たとえば雨が

2008年04月27日 | Weblog
たとえば雨が降っていたとします。でもあなたは外を歩きたい気分だったとします。どうしますか?

それが夜だったとします。しかも寒い夜だったとします。それでもあなたは外を歩きたい気分だったとします。どうしますか?

「馬鹿馬鹿しい質問だね。出歩きたきゃ出歩きゃいいんだよ。もう一杯いくかい? いってよ、どうせ暇なんだから」

たとえば。

「たとえばはもういいよ。お客さん、あんた寂しいんだね」

「寂しいのかな」

「だって今日は雨なんて降ってないでしょ? 寒くもないし。」

「そうだけど」

「てことはあんたの心ん中よ。冷たい雨が降ってるのは。そうでしょ?」

私が答える前に、壁のテレビが深夜一時を知らせた。若いアナウンサーが、私の心より遥かに大事な年金問題のニュースを伝え始めた。

 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NYの終わり(五日目)

2008年04月07日 | essay
 私は空港が好きである。人々が目的を持って行き交っている。目的にうきうきしている。旅。完全には前もって計画しえない目的。偶然を受け入れる素地がそこにはある。

 NY近郊のラガーディア空港には三時間も早く到着した。三時間早く行けと旅の冊子に書いてあったから、私のせっかちのせいではない。当然ながら時間を持て余し、土産物の買い物を予定以上に済ませ、朝食を摂ったところで、行きの便で知り合った女の子二人組に邂逅した。「それってWhat'sって感じ」の二人組みである。私が立ち上がって声をかけ、彼女たちが振り返った。われわれは共に驚き合った。彼女たち二人はこの偶然の再会を驚くあまり、警戒すらしていたように思う。私に対して。行きの便では見なかった兆候である。
 え、あの、まさかまた会えるなんて。すごいよね。
 よね。
 私は二人に尋ねた。「こちらもそうだよ。どうだった? ナイアガラの滝とか」
 ええ。よかったですよ。そう・・・疲れましたけど。
 疲れたよね。
 私はうなずいた。そりゃ疲れるよ。旅は疲れる。そうやって人を少しずつ変えていくものだよ。そう言おうとしたが、うなずくだけで止しておいた。知ったようなことは言えない。私が何をわかっているわけでもなく、そもそも今回の小さな旅で自分がどれだけ変わったかすらわからないのだから。たとえ私の目で、彼女たちの何かが確実に変わって見えたとしても。

 二人組と別れ、待合の座席に腰かけたら、隣は犬と一緒に旅行中の夫人であった。お喋り好きなこの夫人と、おそらく私は今回の旅で一番長く英会話をした。どちらが先に話しかけたか定かではない。バッグから頭を覗かせた黒いダックスフンドがわれわれの会話を取り持ったのは確かである。飛行機の便が遅れたことも作用して、われわれは二時間くらい、ぽつりぽつりと会話を続けた。

 「彼ですか。彼女ですか」
 「彼女なの。いい子、大人しくしてなさい。彼女、何だかあなたのことが気になるみたいね」
 「光栄だなあ。ええと、よしよし。君の名前は?」

 しばらく前からわれわれ──というより、われわれの話題の中心にいるダックスフンドをじっと見ていた青年が、本を閉じ、座席を立って近寄ってきた。「彼女」の頭を撫でながら、本を読んできた姿からは想像できないほど多弁に、犬について語り始める。ぼくも飼っているんです。二頭ほど。いや、テリアだけど。ぼくの叔父がとっても犬好きで・・・。
 トランクを曳いた通りがかりの婦人が、バッグから頭だけ出して鼻をひくつかせている「彼女」に目を丸める。
 まあ、とっても賢そうな旅のお連れね・・・。

 動物は人間を解放するのだなあと感心していたら、搭乗のアナウンスが聞こえてきた。
私は、私のひどい英語に寛容であった夫人に別れを告げ、飛行機に乗り込んだ。 
 
      ☆

 旅は終わるまで続く。
 飛行機が成田に着き、成田から信州に戻る高速バスの中で、韓国からの若い留学生の女の子と同席した。最初は日本人かと誤解したほど日本語が流暢である。

 日本のことをもっともっと知りたいです。

 あなたなら滞在中に日本のいろんなことを深く知ることができるだろうし、あなたが知った日本について、ぜひわれわれ日本人に教えてほしいと、私は答えた。ああ、自己満足の旅人よ。そこには幾ばくかの偽善が含まれていたに違いない。なぜなら後々彼女に教えを請う機会など、少なくとも私に関してあるはずがないからである。旅は人の出会いと別れを大変便利にも短縮する。

 それでも私は、この旅で私を自覚なしに啓蒙してくれた彼ら(一週間足らずの旅で出会った彼ら!)のことを忘れはしない。確かに旅は終わった。速やかに日常は回復した。忘れない、と豪語する端から、忘れないために彼らのことを必死で書き付けている私がここにいる。それはそれで仕方ない。構わないではないか、否応無く彼らの輝きについて忘れかけたころ、唯々諾々! 私はまた、空港に向かおう。

 (終わり)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NYへ(四日目)

2008年04月04日 | essay
 一昨日ハーレムツアーというものの存在を知って、申し込んでおいた。黒人の教会に行き、ゴスペルが聴けるという。

 早朝集合場所に行ったら、二台のバスに分乗するほどの参加者である。ほとんどが白人。まあ、黒人はわざわざツアーでは行かないか。
 私の乗ったバスは、混血らしき顔立ちの女性がガイドだった。この人がまたのべつ幕なしによくしゃべる。どうでもいい話から発展して映画の台詞を真似たり昔の小唄を口ずさんでは「それはとにかく」と言って次のどうでもいい話に移る。息継ぎする間もないんじゃないかと心配になった。私の隣の席はオーストラリアから来たなかなか美人の女性だったが、彼女がバスを降りるとずば抜けて背が高いことがわかった。背だけではなくプライドも高かった。ときどき、脈略もなく「美しい建物ね」などと話しかけてくれるが、私が何か返事をしても、うなずくだけで話を続けるわけでもない。日本人と聞いても、あそう、で終わる。どうもとっつきにくい相手である。
 
 到着した教会で、我々は後ろの席に並んで座らされた。見渡せば、結構な数のツアー客である。前の席では黒人たちが背中を見せている。陽気な子どもにパンフレットとうちわを渡された。女の子は編んだ髪に白いビーズを数珠つなぎにつけて、なかなか豪華である。
 祭壇の背後にも座席がある。歌い手らしき者たちがそこに適当に腰かけていく。
 音楽と共に、何の前置きもなくミサは始まった。
 先導して歌う人がいて、それに合わせて皆が声を張り上げる。ハレルヤ! ハレルヤ!
音楽は何段階も階段を駆け上がるようにして盛り上がっていく。一曲終わったかと思うと先導する人が変わり、福音を叫び、また新たなゴスペルが始まる。それが何曲も続いた。
 やがて綺麗な衣装を着た女の子たちが通路に現れ、等間隔に腰を下ろした。車椅子の少女が一番前に出て我々の方を向く。
 不思議な曲調の歌が始まった。着飾った少女たちはゆっくりと旗を振りながら身体をくねらせる。前では顔を白く塗りたくった二人の子どもが無言劇のような動作をしている。車椅子の少女はすべてを許すキリストのように両腕を高く差し伸べている。歌声は幾重にも折り重なり、電子オルガンの音が教会を覆った。踊り手たちの動きは次第に大きくなる。壇上では初老の男が叫んでいる。神はすべてをゆるしたもう! われわれに祝福あれ! アメリカに祝福あれ! 全人類に祝福あれ! 貧しい人にも、富める人にも祝福あれ! 戦争で苦しんでいる人々に祝福あれ! 病に苦しむ人に祝福あれ!
 音楽は最高潮に達し、人々は口々に福音を唱え、天を仰いだ。
 踊り子たちが退場する場面で、ハプニングが起こった。眼鏡をかけた一人の踊り子が感極まり、腰に手を当てたまま泣き崩れ、立ち上がれなくなったのだ。
 それは観ているわれわれにとって衝撃的な光景であった。当然ながら、これは観光客のための見世物として作られた芝居ではなかったのだ。彼ら黒人たちにとって、あくまでも信仰告白の場であったのだ。泣き崩れた少女は、あるいは何か不幸な出来事を抱え込んでいたのかも知れない。彼女はうめき声を上げながら、容易に立ち上がらなかった。その間も歌は続いた。周りの者も、すぐに駆け寄ってなだめるようなことはしなかった。彼らはすべてを寛容した。 
 ついに両脇を抱えられ、眼鏡の少女は退場し、ミサは終わった。忘れもしない。真っ先に立ち上がって教会を出ていったのは、背の高いオーストラリアの彼女であった。

 帰りのバスでは、ガイドもさすがに言葉少なだった。今日のミサは祝日との関わりで、特別の出し物だったんです。隣のオーストラリアン女性が私に感想を訊いてきた。あなたは観ててどう思ったか? 私は彼女の冴えない表情を見て、慎重に言葉を選んだ。非常に、非常に深い印象を受けた。
 「そう」と彼女は答えた。
 私は彼女に同じ質問を投げ返した。
 彼女は車窓の外を眺めて首を横に振った。「違う。私たちのとは、全然違う」
 
 人種。黒人。
 そういえば、と思う。この街に来て、一つひどく気になることがある。人種によって、表情まで違う。顔つきではない。表情である。物腰の柔らかい笑顔を見せるのは白人である。黒人は大体が不満顔である。暗い表情をしている。繰り返すが、これは骨格や皮膚の色といった顔つきの話ではない。ちなみにアジア人は、固い顔をしている。

 夜、酔った上の思いつきでエンパイアステートビルに登った。随分いろいろな検査を受け、巻貝の排泄物のようにぐるぐる回らされた挙句、ようやくオープンデッキに出てみたら、風が強くて五分と眺めていられなかった。
 そろそろ旅も終わりである。Good night NY.私は心につぶやいて、肩をすくめ、百万ドルの夜景を背後にした。

(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする