た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

なんか演歌。~秋桜~

2006年09月30日 | 写真とことば
遠山に花を差し伸べ

帰らぬ人に花を差し伸べ

秋風に花弁を一片(ひとひら)

せせらぎにまた一片


「ここを一人出て行きます。

思い出となるその日まで。

つらいことにも慣れたなら

どこへ行っても同じです。」


遠山に涙を浮かべ

夕焼け色の涙を浮かべ

二十余年よさようなら

別れの言葉が届くなら

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美ヶ原高原にて

2006年09月24日 | 写真とことば

空はいまだ無傷なり。
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不器用からの離脱

2006年09月23日 | 写真とことば
あ、体を信用すればいいんだ、と思いました。
その瞬間。
私自身のこの体を信用すればいいんだ、と。
すると手は滑らかに鍵盤の上を滑り始めたのですね。
私はそのとき気づきました。
生きてきたこの数十年間
ずっと私は
私の体を信用してなかったのだと。

小さい頃水泳大会に無理やり出させられて
全然泳げなくてね。
たぶんそれ以来ずっとです。
私が自分の体に幻滅し
まるで別の生き物であるかのように
自分の体に違和感を感じ
自分の体を嫌い
扱いに戸惑うようになったのは。

私はただ、
信用すればよかった。
それだけのことなんですよ。
それだけのことに
ずっと気づかなかったんですよ。

空を飛ぶ鳥が
自分の翼に疑いを抱いたら
どうして空を飛べましょうや?


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秋の蝶

2006年09月17日 | Weblog
露天風呂で見た蝶は

雨に濡れても飛んでいました。

ひらひらしてても

必死なのでしょうか。
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箱を集め続けている男

2006年09月13日 | 写真とことば
 箱を集め続けている男と出会った。

 「私はね、箱を見ているだけで安心するんですよ」
 
 「どんな箱でもいいんです。箱でありさえすれば───でも蓋がなくちゃいけません。蓋が閉じて中が見えなくなって初めて、私の望む箱なんです。とても安心するんです。自分の隠れ家を見つけたときの喜びと申しましょうか。箱にほんとに隠れるわけにはいきません。そんな大きな箱はいりません。小さくていいんです。手の平サイズでも十分です。外から見えない空間が中にある。その暗闇を想像するだけで安心するんです。心が落ち着くんです。そういう箱の外側を手で撫でるとね、とても幸せな気分になるんです。ほら、こんな風に撫でるんです」
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サイトウキネン

2006年09月03日 | essay
 市内の著名な音楽会にふとひかれて当日チケットを求めに行った。決して音楽にも音楽会にも詳しい方ではない。しかも朝起きてから色々な雑事にかまけて、三度ばかし諦めかけた。日曜と言えどこんなにやることが山積していれば、とてもコンサートを聴くゆとりなどない。それでも私は相当諦めの悪い男である。どうせなら会場できっぱり諦めさせてもらおうと独りごち、買い物がてらずいぶん遅まきに会場へと出かけてみた。
 運命は怠け者に対し公正厳格らしく、当日チケットはちょうど私の前で完売。これほど苦笑の似合う場面はないと思いながら会場を立ち去ろうとしたら、見知らぬ人に声をかけられた。
 一緒に来るはずの知人が急にキャンセルになってS席が一つ余っている。さきほどから見れば当日券を求めて叶わなかった様子。自分はダフ屋ではないし、かといって恩着せがましいのもかえって失礼だろうから、よかったら元値で引き取ってくれないか、との申し出である。
 ここでなおも運命に礼を失してはいけないと思い、ありがたく購入させていただいた。
 いったん家に帰り、スーツに着替えて出直す。返す返すも、運命に対しては礼儀を尽くさなければいけないからである。

 幕が降り汗が吹き出るほど拍手をした後、券を譲ってくれた人に誘われて裏口へ回った。彼は車で四時間もかかる遠方から毎年この音楽会に来ているのだが、来れば必ずサインをもらって帰ると言う。携帯してきた色紙を一枚譲るから私もサインをもらえと言う。
 音楽会も素人だがサインをもらうのも素人だと改めて自己認識しながら、私はどきまぎして小澤征爾に歩み寄った。


 帰路、色紙を片手に自転車をこいでいると、闇の落ちた川べりから虫の音が聞こえてきた。秋はすぐそこである。だから今日のことは、夏の終わりの思い出になるのだと思った。
 
 
 
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