た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

火炎少女ヒロコ 第四話(草稿) ~3~

2016年05月27日 | 連続物語

 半月ほどの療養期間を経て、歩き回れるようになるやいなや、ユウスケは東京の下町に安アパートを借りて生活し始めた。ぼさぼさだった髪を短く切り、大きなマスクをかけ、なるべく人目を避けた。ヒロコが国内ではなく、遠いシリアの国にいる、という情報が入ったのは間もなくであった。ユウスケはすぐにでもシリアにテレポートしたかったが、後遺症に苦しむ彼の体力では覚束なかった。AUSPからも二か月間は決して特殊能力を使わないよう厳しい通達があった。

 ようやく体力的に回復したと自覚できるようになった九月半ば、多国籍軍のシリア介入を聞き知ったユウスケは、いよいよ現地へのテレポートを考えたが、ぎりぎりで思いとどまった。不思議な予感がしたのである。ヒロコが間もなく自分の近くに現れる、という予感である。ここに、ヒロコが、やって来る。まるで誰かにそう囁かれているかのようであった。

 決断に迷い悶々としていた雨降る夜、アパートで就寝していた彼は、強烈な胸騒ぎを覚えて目覚めた。跳ね起きるとすぐに着替え、近くの公園に向かった。公園に彼女がいる、という確信があった。今回は明らかに誰かの声を感じた。やはりテレパシーだ。それもとびぬけて高度な。どこか遠くの・・・山奥深く、鬱蒼と茂る原生林の中からそれは発せられて・・・。逆探知できたのはそこまでだった。今のユウスケにとっては、声の主など誰でもよかった。ただ、ヒロコに会いたかった。今度こそ。

   彼は雨に打たれ、息を切らし、狭い公園に駆け込んだ。果たして、塗料の禿げかかった滑り台の下のぬかるみに、誰かが置き忘れた人形のように、雨にぐっしょり濡れたヒロコが意識なく横たわっていた。

 ユウスケはひざまずいた。

 

 ヒロコがユウスケの部屋で目覚めたとき、全身火傷を負ったユウスケの姿を見て、彼女は大声で泣いた。引き付けが起きたように激しく体を痙攣させ、愛する男に優しく頭を抱えこまれながら、声を張り上げて泣いた。

 

 それから二人の共同生活が始まった。

   ヒロコはユウスケと同じくらい髪を短く刈り込み、ユウスケのトレーナーを着て、遠目には男の子に見えるように装った。買い出しはすべてユウスケに委ねた。夜になると、部屋の隅と隅に布団を敷いて別々に寝た。互いの布団を離すよう懇願したのはユウスケであった。

   二人でいるとき、彼らは口数が少なかった。屈託なくおしゃべりを交わすには、互いに傷つき、疲れ果てていた。ヒロコはしばしば目を潤ませてマスクや湿布の上から彼の顔を柔らかく触った。「痛い?」と何度も訊いた。痛くないよ、と囁きながら、ユウスケは彼女の短い黒髪を何度も優しく撫でた。

  ときどき、思い出したように、彼らは静かな接吻を交わした。

 

(つづく)

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射影

2016年05月23日 | 短編

   まるで誰かの悪だくみのように、急に途方もなく暑くなった。信州松本の暑さは関西の暑さのように、下からむっと沸き起こる湿気ではなく、上から直接叩きつける日差しの強さにある。太陽が近いのである。油断して帽子も被らず外に出ると、すりこ木でごりごりと首筋や頭を押し付けられるような痛みを味わう。めまいがする。足がふらつく。どこに向かっていたのか分からなくなるような感覚に陥る。

   先日の日曜日、妻と二人で街を歩いた。日傘を差していた妻もさすがの暑さに参ったらしく、次第に足取りが覚束なくなった。私は私で頭上に容赦なく降り注ぐ日射に辟易し、一刻も早くその場を立ち去りたくて自然と足取りを早めた。気が付くと、二人の間には半町ほどの隔たりができていた。私は立ち止まり、小さく見える妻を待った。

   極限の環境に置かれると、人は本性を表すという。私は何だか自分のさもしい本性を見透かされたような気分になり、日差しのまぶしさも相まって、視線を落としてじっと妻を待つ。

   首筋を汗が伝う。

   妻はなかなか追いつかない。

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火炎少女ヒロコ 第四話(草稿) ~2~

2016年05月19日 | 連続物語

 短く切った髪に、不自然なほど大きなマスクをしている。マスクからはみ出た部分は、ほとんどが湿布で覆われている。湿布からもはみ出た部分にようやく見えるのは、赤紫色に腫れた火傷の跡。

   ユウスケである。

 大きなマスクや湿布に覆われていても、目元が微笑んでいるのがわかる。

 「ただいま」

 「おかえりなさい」

 ヒロコは詰まるような声でそう言うと、涙ぐんだ。彼の袖をつかみ、すぐに離した。本当は、思い切り彼に抱きつきたかったのだ。あるいはすぐさまこの場から逃げ出したかった。ユウスケをかくも悲惨な姿にしたのは彼女自身である。ユウスケと再会して以来、彼と面と向かうたびに、ヒロコはこみ上げる涙をどうすることもできなかった。

 痩せた頬に涙を伝わせながら、彼女は静かに自分の顔を差し出した。もう一度、ためらいがちに彼の袖を握る。

   ユウスケはマスクをずらした。火傷の跡の残る口元を見せる。

   二人は物静かな接吻を交わした。

   電車の振動が窓を揺らす。

 

 二か月前、磐誠会に心を乗っ取られたヒロコによって炎上させられたユウスケは、火だるまの状態で、AUSP富士研究所にテレポートした。焼けぼっくいのように丸焦げになって、彼は研究所前の空き地に転がり落ちた。

 瀕死の状態であった。 

   ミサの二日二晩に渡る必死の手当てにより、辛うじて一命を取り留めた。その後も彼女の献身的な治療により、炎症はある程度回復したが、火傷の跡は全身に残った。 

 

   リーダーのエイジは、ヒロコを連れて出奔しようとしたユウスケを一切責めなかった。むしろ十分な休養を彼に与えようとしたが、ユウスケ自身がそれを拒んだ。

 「ヒロコを探し出します」

 「その体では無理だ」

 「私の責任です」

 「誰の責任でもない。彼女は、誰の責任でもない」

 「きっと探し出します」

 坊主頭のエイジは太い眉をしかめた。

 「探し出して、どうするつもりだ」

 包帯だらけのユウスケは、ベッドから半身を起こした。「守ります」

 「誰を。何から」

 「彼女を。危険からです」

 

 (つづく)

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火炎少女ヒロコ 第四話(草稿) ~1~

2016年05月09日 | 連続物語

 東京の夕暮れは短い。ビルの谷間に巣食う人々は、空気の質感で日が没したことを悟る。宵になると、空気がしっとりと湿り気を帯びて重くなるのだ。

 電車の響きが微かに部屋の片隅の柱に伝わる。その柱に背中を凭れかけ、足を畳の上に投げ出し、抜け殻のように呆然と畳を見つめている女がいる。色褪せた上下のトレーナー。男の子のように短く切った黒髪。痩せこけた頬。髪形のせいで別人に見えるが、ヒロコである。

 彼女は死んだように身動き一つしない。二重瞼が重い。感情がない。立膝に乗せた左腕の、その指先まで、ピクリとも動かない。

 窓の向こうから、街宣車の流す行進曲が聞こえてきた。

   それでもヒロコは動かない。

 八畳の部屋は家具らしい家具が一切なく、がらんどうとしている。ヒロコはその片隅の柱に背を凭れかけて動かない。まだ四時前なのに薄暗い。

   階段を上がってくる靴音。途端に、ヒロコの目に生気が戻った。

   喜びに頬が輝く。しかし瞳は当惑に震えている。彼女は興奮し、同時に怯えた。まるで待ち人の来訪を予期していなかったかのように、彼女は慌てふためいた。

 玄関の呼び出しブザーが三度、続けて鳴った。一度目のブザー音が鳴り終わった時には、もうヒロコは玄関に駆け寄っていた。

 彼女に出迎えられたのは、大きく膨らんだ買い物袋を両手に抱えた、若い男である。

 短く切った髪に、不自然なほど大きなマスクをしている。マスクからはみ出た部分は、ほとんどが湿布で覆われている。湿布からもはみ出た部分にようやく見えるのは、赤紫色に腫れた火傷の跡。

   ユウスケである。

 

 

(お久しぶりです。つづく、はず)

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ベルギー人と松本

2016年05月05日 | essay

   先月、ベルギー人を観光案内した。

   ベルギーと言えば、ベルギーワッフル、ベルギーチョコレート、それから何だろう、ベルギービール、しかしそもそもベルギーってどこだ?  と地図を広げてみれば、オランダの下を切り取ったようにしてある。さらにベルギーの先っぽを切り取った形でルクセンブルクという小さな国があることに気付いたが、今の話題はベルギーである。しかし話題をまた横道に戻すなら、どうしてヨーロッパ人はこうも小さく土地を分割して建国していったのだろう。よほど独立心の強い人たちなのだろう。

   さてベルギーである。かの地に私の知人が数年前から暮らしているのだが、その知人の知人であるベルギー人夫婦が日本に来る、それも松本に来る。ひいては松本を案内してくれないか、という依頼が彼女からメールで来た。私のまったく会ったこともない人たちである。日常の刺激に飢えている私は二つ返事で快諾した。

   桜の季節に合わせて来た彼ら夫婦は、若く、知的で、完全にアウトドア派であった。建物の中に入ることにはほどんど興味がなかった。公園を歩き、わさび田を歩き、とにかく歩いた。私は自分のつたない英語で彼らと会話し、彼らのウォーキングに付き合った。語学力と体力の向上に役立ったと言える。

   丸一日あちこち歩いて回った後、最後に光城山の桜を見に登った。足は大丈夫か、と訊くと、全然大丈夫、行きたい、と言う。大した根性である。時間の都合上途中まで車で上がり、そこから歩いた。疲れを知らない彼らの背中を感心して眺めながらついて行くと、山頂はちょうど桜の見ごろであり、多くの人が敷布を広げて花見をしていた。

   車の音も排気ガスも届かない、山の上のソメイヨシノは、それを見上げる人々の笑顔と相まって、一種、桃源郷のような得も言われぬ風情を醸し出していた。ベルギー人の奥さんが───普段はあまり感情を表に出さないクールな人なのだが───満面の笑みになって、ダンスのようにくるくると体を回した。

   ああ、ここを案内してよかった、と心から思った。

   山登りしてまで桜を見ようというのだから、一風変わった人が多く、中に、茶碗と茶筅(ちゃせん)を手に野点(のだて)をしている婦人がいた。聞けばその道の師範とか。物珍しそうに眺めるベルギー人夫婦のために、わざわざ一服立ててくださった。山頂で野点をする彼女も珍しいが、こんな所まで登ってきた外国人もさぞ珍しかったのだろう。

   彼らは二日間松本を満喫した後、次の目的地に向かって去っていった。別れ際にもらったベルギーチョコレートは、こってりと深い味がした。

 

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