日曜日、車を飛ばし、一路伊那へ向かう。プラハ国立歌劇場のオペラ『椿姫』を観るためである。オペラにも椿姫にも詳しくないが、プラハと聞けば何だか良さそうな気がしたので予約を取った。
軽自動車だから高速道路は怖くて使えない。午前中に別な用事もあったので、鉄道では間に合わない。結果下道を片道二時間以上かけて往復することになった。そこまでして観る価値があるのやら、それを判断する知識すらなかったが、逡巡するときは行動を採るというのがここ十数年来の私の流儀である。
伊那市に入った辺りで、中央分離帯の街路樹が目に留まった。六本ずつくらいかたまって並んでいるのが、間隔を置いていつまでも続く。異なる種類の木を並べているのか、単に紅葉の進度が木によって違うのか、赤や黄や青の重なりが西日に鮮やかである。それで、片道二時間の価値をその街路樹に進呈することにした。
幕は午後五時に上がった。始めこそ文化会館という地味な雰囲気、オペラにさほど親しみのない観客、やや空席の目立つ座席などが舞台とよそよそしい距離を置いているように思われたが、第二幕に入ると脚本そのものの持つ展開の面白さに場内の空気まで変わってきた。娼婦ヴィオレッタが恋人の父親に説得され、自ら身を退く決意をする場面では、彼女の悲痛な歌声に強く心を動かされた。どんなにシンプルなストーリーでも、涙は出ることがわかった。
不治の病に身体を侵され、孤独に心を蝕まれて最期を迎えつつあるヴィオレッタは、一通の手紙を受け取る。別れた恋人が今やすべての事情を悟り、自分を再び迎えにくるという。彼女は生気を取り戻し、椅子から飛び起きて家政婦を呼ぶ。
「お医者さんに伝えて。あの人が帰ってきたから、もう少しだけ生きたいと。」
劇中最も印象に残った言葉であった。
軽自動車だから高速道路は怖くて使えない。午前中に別な用事もあったので、鉄道では間に合わない。結果下道を片道二時間以上かけて往復することになった。そこまでして観る価値があるのやら、それを判断する知識すらなかったが、逡巡するときは行動を採るというのがここ十数年来の私の流儀である。
伊那市に入った辺りで、中央分離帯の街路樹が目に留まった。六本ずつくらいかたまって並んでいるのが、間隔を置いていつまでも続く。異なる種類の木を並べているのか、単に紅葉の進度が木によって違うのか、赤や黄や青の重なりが西日に鮮やかである。それで、片道二時間の価値をその街路樹に進呈することにした。
幕は午後五時に上がった。始めこそ文化会館という地味な雰囲気、オペラにさほど親しみのない観客、やや空席の目立つ座席などが舞台とよそよそしい距離を置いているように思われたが、第二幕に入ると脚本そのものの持つ展開の面白さに場内の空気まで変わってきた。娼婦ヴィオレッタが恋人の父親に説得され、自ら身を退く決意をする場面では、彼女の悲痛な歌声に強く心を動かされた。どんなにシンプルなストーリーでも、涙は出ることがわかった。
不治の病に身体を侵され、孤独に心を蝕まれて最期を迎えつつあるヴィオレッタは、一通の手紙を受け取る。別れた恋人が今やすべての事情を悟り、自分を再び迎えにくるという。彼女は生気を取り戻し、椅子から飛び起きて家政婦を呼ぶ。
「お医者さんに伝えて。あの人が帰ってきたから、もう少しだけ生きたいと。」
劇中最も印象に残った言葉であった。