た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

衆議院総選挙速報

2009年08月31日 | 俳句
 世の中を 論じた後の 夜半の虫
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光陰

2009年08月26日 | essay
 人が一人死んだ。

 いつもそうだが、こういうとき、自分は生き延びた、という感想が、喪失感や悲しみと混ぜこぜになって出てくる。不思議である。不謹慎である。もちろん、私が生き延びたから、代わりにその人が死んだわけではない。その人と同じ種類の死の危険が私に迫っていたわけでもない。何でもない。その人の死と私の生とは無関係である。それなのに、自分は生き延びた、と感じる。
 その人が死ぬ時点より長く、私が生き残ってしまった、ただそれだけの事実なのだろう、おそらく。そこに驚きがある。ひそかな感動もある。あとに影曳く後ろめたさもある。
 その人は死んだ。私はまだ死ななかった。そうなのだ、と川の流れをぼんやり眺める。
 
 死んだ人というのは、タップダンスの師匠であった。二年ほどの付き合いになる。高齢であった。私が「死に遅れ」ても何の不自然もない。それなのに、やっぱり今回も、何であの人が死んで自分が生きているのだろうと思った。
 タップを踏んでみせるときの師匠は、少女のように若く見えた。
 死んだ原因も知りたいものだが、生きている原因も知りたいものである。

 川の流れとさきに書いたが、死の知らせを受けてから、自転車を漕いで近所の河川敷までのらりくらりと行ってきたのである。自転車を置いて、水辺まで歩く。秋風が心地よかった。日差しはまだうなじに厳しかった。向こう岸で、学生らしき女性が二人、わいわい言い合いながら素足を水に浸していた。
 私は川に背を向けた。 

 私はまだ生きるだろう。
 タップダンスは、諦めるかも知れない。
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秋ぐち

2009年08月23日 | 短歌
秋風や 寿司屋で景気を尋ぬれば 一貫のみでも客は客なり
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忙殺の終わりに(城の堀を眺めてひとり宴を冷ましつつ)

2009年08月21日 | 短歌
はくちょうは
たれが見ずとも白鳥なりき
このよいに
このよいにてぞ
夏はおわりぬ
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8月15日

2009年08月15日 | essay
 お盆になると不思議と風の匂いがかわる。蝉が低いところで鳴く。虫の音が高くなる。海に行っても眺めている時間が長くなる。
 お盆に海で泳ぐと足を引っ張られるという恐ろしげな俗説があるが、仕事上お盆にしか連休を取れないので、家族で石川の海に行ってきた。
 初日は雨であった。遠方からわざわざ来たので雨でも泳いだ。白波の砕ける日本海に腰まで浸し、雨水で額を濡らしながらたたずんでいると、バカンスというものについていろいろ考えさせられた。
 二日目は晴れた。泳ぎ、車を走らせ、また泳いだ。やっぱりバカンスは素敵だと思った。それでもどうかすると、夏よりも、やがて来る秋のことをいろいろ考えている自分がいた。顔を上げれば、大きなトンボが飛んでいた。
 お盆は季節の節目、とは昔から言われる通りである。ご先祖様は汗もかかず、さりとて襦袢一枚で寒がりもせず、なかなか快適にお出ましいただけるわけだ。お盆はお盆としてしかるべき時期にあるのである。
 海を眺めていると、ふと田舎に行って墓参りがしたくなった。
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8月9日

2009年08月09日 | essay
 ぶらりと歩いて近所の銭湯に向う。
 近道をしようと通ったことのない路地に迷い込む。見上げると空に蜘蛛の巣がかかって死んだ熊蝉が乗っていた。蜘蛛の巣を見上げるなんて自分は大変歩いているなあと妙なところで感心する。何しろ普段車に乗っていては、蜘蛛の巣など見上げようにも見上げられないからだ。小さい橋を渡り、角を曲がると猫の臭いがした。その先では二階からピアノを練習している音が聞こえた。あれはノクターンである。撫でるように音を出す箇所で満足がいかないらしく、何度も同じフレーズを繰り返す。
 一緒に歩いていた子どもが、あじさいかなあと指さして言う。見れば、傾いだフェンスの根元から大きな葉っぱが出ている。おそらく雑草だろう。しかしひょっとしてあじさいかもしれない。来年の五月になればわかる。しかしそんな些細なことを、来年の五月まで覚えていることはなかろう。何だってそんなものである。

 銭湯は湯が熱くて気持ちよかった。

 いつかは忘れる日曜日である。
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不安

2009年08月02日 | 短編
 コーヒーを飲んだら、雨音が聞こえてきた。せっかくの日曜日なのにね。妻は呟いて階下へ新聞を取りに行った。
 濡れちゃった、と言って妻が手渡した新聞をぱりぱりと開く。一枚一枚めくりながら読者投稿欄までたどり着くと、ひとつの記事が目にとまった。

 リストラされ、家に引きこもった父親を心配する女子中学生の投稿であった。

 二杯めのコーヒーを口に含む。窓を眺めると、雨脚は強まっている。
 新聞を閉じた。
 マグカップの温かみを両手に感じる。
 私は戸惑っていた。どこかの家の一室で、無精ひげを伸ばしたまま虚ろにテレビのブラウン管を見つめ続ける男の姿が、脳裏から離れなくなった。違和感と共感をない交ぜにした感情が、コーヒーの澱(おり)のように苦く喉元にこみあげる。
 記事のことを、私は妻に話した。
 「次の仕事を見つける気にはなれないのかな」
 「こういうご時世だもの。なかなか見つかんないんじゃない」
 「ないのかな」
 「どうなんでしょうね」
 僕も引きこもろうかな、と冗談を言ってみせる。妻は首をかしげる。そうだ。たしかに不謹慎な冗談である。この「ご時世」だから、なおさら。自分はどうなっても引きこもることはない、という自信がどこかにあるから言える冗談だろうが、そんな自信は本当にあるのか。いや。本当にあるのか。
 道路に溜まる雨水を蹴散らす車の音が、何台か続く。
 
 妻から話を続けてきた。
 「新しい仕事を探すって、すごく体力がいるでしょうね」
 「僕らの世代は」と、まったく脈絡のない抽象論で私は返答した。迷ったときの私の悪い癖である。
 「僕らの世代は、たとえば一つの仕事を失ったときに、次の仕事を探すだけの気力というか、生きる力というようなものを、学校や社会から教わってきていない気がするよ」
 「あなたは大丈夫よ」
 誠にありがたい言葉である。しかし彼女は、リストラのような境遇に遭った場面での私を、まだ見ていない。
 机の椅子から立ち上がり、私はマグカップを持ったままソファーの方に移動した。何だかもう少し低い所に座りたくなったせいである。
 半開きの窓から差し込む湿気を含んだ風は、思いのほか涼しい。

 遠い田舎にいる私の父親のことを、ふと思った。もう七十になる。教員と農業を両立させながら本家を守ってきた。山中を歩いてマムシが出たら、生け捕りにして焼酎漬けにするような男である。彼なら生き抜く力があるだろう。何しろ彼は、終戦直前、私の祖母に当たる母親に手を引かれ、満洲から辛うじて引き揚げた境遇の持ち主である。
 彼から、生きることに関して何かしら教わった気がする。だが同時に、時代はいわゆるバブルであった。テレビや学校教育や様々な娯楽品が教えてくれたのは、「生き抜く」ことよりも「過ごす」ことに人生のニュアンスを読み替えて生きるべきだ、ということであった。多分。そうだ。そうだ。ぼくらはみんな、人生は「過ごす」ものだと教わったのだ。快適に「過ごす」。充実して「過ごす」。何となく「過ごす」。私の骨肉から、ゲートルの靴音響く満洲の乾いた風のにおいは──そんなものは私にとって想像するしかないものだが──丁寧に除去されて育て上げられたのだ。

 戦後は、本当に終わったんだね。少し自信がなかったので、私は声に出して言ってみた。妻は新聞に目を通しながら、そうねえ、と長く呟いた。もちろんずっと以前に、戦後なんてきれいさっぱり終わっていたのだ。私も馬鹿なことを言う。
 これからは、とマグカップに口をつける。これからは、一つの会社を辞めさせられたら、家に引きこもるような大人がどんどん増えていくのかも知れない。いやいや、どうだろう。世の中がこのままあまりの不景気で混沌としたら、また今の若者たちは、生きる力というものを自然と身につけ始めるのかも知れない。
 だが、バブルと重なった青年期を「過ごし」て終わったわれわれの世代は、果たして、我が家の一室から飛び出すことができるのだろうか。もしそうせざるを得ない場面が訪れたとき、われわれはそのときこそ、「生き抜こう」と思えるのだろうか。

 窓の外は少しずつ明るくなってきている。どうやら通り雨だったらしい。軒先から滴る雫の音は続いている。気の早い蝉が、すでにどこかで鳴き始めた。  

(終)
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