た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

夢の記憶

2005年10月29日 | Weblog
 夢の中で男と出会った。
 彼は全身がバターでできていた。彼は巨大なバターナイフをプラカードのように右腕に持ち、左腕は頭上の空をわしづかみにし、背中をそらせてじっと立っていた。彫像のポーズをしているのだな、と私は思った。彼はなるべく動かないように努めているのだが、ときどきバターナイフを自分の体に押し当ててあちこちが溶け落ちそうになるのを防がなければならなかった。何しろ温度は私には快適だったので、バター男には暖かすぎたのだろう。それにバターナイフを持つ手を落ち着きなく動かすので、余計に体温が上がって脂汗が滴る様子である。このままだと彼は遠からず全身が溶けて水溜りのように地面に黄色く溜まることになると思った。
 「安物だからどうしようもないんだ」
 彼は泣きべそをかいたような崩れた顔で私につぶやいた。
 「もっと高価なバターに生まれればよかったんだ」
 突き上げていた彼の左腕がついに落ちた。顔はますますけだもののように歪んだ。
 私は彼を慰めてあげたくなった。
 「人間の体でいる必要はないんじゃないかな」
 なるべく優しい声音で、私は彼に語りかけた。「そんな無理なポーズをとる必要もない」
 「馬鹿言え」
 彼は首を胸に、胸を腹に埋めながら毒づいた。
 「それじゃ近代化した意味が丸でないじゃないか」

 その言葉の真意を尋ねようと思ったら、夢から醒めた。 
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宗教的体験

2005年10月26日 | Weblog
 徹夜した日の翌朝、女性の来訪を告げる声で起こされた私は、急いで着替えて顔を洗い、それでも眠い目を真っ赤にしたまま玄関に出た。女性はひと目で私を寝起きと見抜き、申し訳なさそうにお辞儀した。「お休みのところをすみません、少しお話させていただきたかったのですが・・」
 彼女の右手に抱えるパンフレットを見ると、「目覚めよ!」とあった。
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性急な性格

2005年10月26日 | Weblog
 その程度のことを主張するのにどうしてそこまで傲慢に顔を赤くして唾を飛ばして鬼の首を取ったように目をぎらつかせて有無を言わさない迫力で主張しなければならないのですか。

 その程度のことを反省するのにどうしてそこまで卑屈に顔を赤らめて言葉を震わせて自分が全部悪いかのように視線をさまよわせて動揺しながら謝らなければならないのですか。
 
 物事はそう簡単に白黒つかないという事実をあなたがたはどうして冷静に受け入れられないのですか。

 日本人よ。
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動物園1 ペリカン

2005年10月22日 | Weblog
ペリカンよ

けがれなき空へ飛べ

そのふくらんだくちばしに

日を浴び

風を切るそのくちばしに

われわれが

地上で叶うことのなかった

希望の在りかを見出せるように
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脚を引き摺る犬

2005年10月19日 | 習作:市民
 瑛子の住む1DKのマンションの近くに、あまり利用する人のいない小さな公園があった。小さなジャングルジムと大人の腰までしかない鉄棒だけで、あとは滑り台をおくスペースすらない。脚を引き摺る薄汚れた犬を、瑛子はある日の夕方その公園の入り口で見かけた。
 コリーの雑種かしら。瑛子はコツコツとヒールの音を立てて歩きながら犬に視線を送った。彼女は滅多なことでは歩調を緩めない女である。キャリアウーマンとしての六年間が、そういう歩き方を彼女に染み込ませていた。
 汚い犬。車に轢かれたのかな。病気持ち?
 犬から半径三メートル以内に近づかないよう、彼女は緩やかに弧を描いてそこを通り過ぎた。
 犬はヤニの付いたどんよりした目で彼女を見送った。

 「遠く離れていることが問題じゃないの」
 瑛子は電話口で煙草に火をつけた。彼と同棲し始めたときにやめたはずの煙草。
 「遠く離れていてもあなたから伝わるものがあったの、ずっと。それが伝わらなくなっただけ。
 「え? 聞こえない・・・どうして? ねえ、風呂にお湯をはっている途中なの。水の音が聞こえるでしょ? え? もうそろそろお湯を止めなきゃ・・・ねえ、どうしてそういう言い方するの?」
 彼女は煙草を持つ手の親指の関節で目尻を拭った。
 「え?・・・そう。そうよ。よくわかったのね。最近また始めたの。落ち着きたいときとか。別にヘビーじゃないわ。ねえ、もうお湯止めなきゃ、もう溢れてるかも」
 急いた口調とは裏腹に、彼女は深く長いため息をついた。
 「何? 何が言いたいの? 煙草のこと? あなたに何の関係があるの。もう関係ないでしょ? ごめんなさい。そんな言い方ないわね。でもあなたわかってないでしょ。あのときやめることができたのは、奇跡だったのよ。すんごく辛かったの。ほんとは。できないって思ったの。それでも必死でやめたの。あなたそれわかってなかったでしょ? いいのよ、もうそんなこと」
 
 それから三日後、彼女は会社の帰りに再び、公園の奥を歩くびっこの犬に気づいた。遠目ではあるが、汚れ具合といい足の引き摺り方といい、あの犬に違いない。ただ今日は、犬の近くに地味な服を着た婦人が立っていた。婦人は後ろ手に小さなビニル袋を握ったまま、のっそりと地面を嗅ぎ回る犬を見守っている。あの人に拾われたのかしら。あんなに汚かったのに。
 瑛子はヒールに枯葉を潰す音を立ててそこを通り過ぎた。

 「だから、お願い・・・。そう。しばらく一人で考えさせて。お願い。うん・・・大丈夫、私が悪いんだと思う。あなたじゃないの。私の気持ちがどうかしちゃったの」
 瑛子は片手でずり落ちそうな毛布を肩にかけ直した。いつの間にか、夜が冷える季節になったと思う。
 「お願いよ。ねえ、お願いだから、そんな変な声を出さないで」
 彼女の顔から表情が消えた。ゆっくりと受話器を耳から離すと、じっとそれを眺めた。受話器を元に戻し、ベッドの上に毛布一枚でうずくまったまま、彼女は暗い顔でいつまでも宙を見つめ続けた。

 公園の葉っぱはすべて散った。びっこの犬に赤い首輪と紐がついた。紐の端を後ろ手に握るのはあのときの拾い主である。別の婦人と熱心に立ち話をしている。犬は彼女らにほっておかれて所在なさそうに地面を嗅ぎまわっていたが、体は以前よりずっと清潔になっていた。目のヤニも取れている。
 瑛子は犬のそばを通り過ぎたが、犬の方ではまったく彼女に気づいた様子はなかった。
 マンションに戻ると鍵を掛け、ダイレクトメールの束を手にした。上着を脱ぎながら留守番電話が一件も入ってないことを確かめ、脱いだ上着をベッドの上に放り、冷蔵庫のドアを開けて中腰になって中を覗いた。中にはほとんど何も入っていない。
 冷蔵庫の冷気を浴びながら、彼女は中腰のまましばらく決めかねていたが、ようやく缶ビールを取り出すと、鼻歌交じりにプルタブを開け、一口舐めるように飲んで、ちょっと苦い顔をした。缶ビールをテーブルに置き、ハンドバッグから煙草を取り出して火をつけた。流しの台に歩み寄って窓を開け、煙を吐くと、隣の建物と建物に挟まれた空間の向こうの通りを、あの地味な服の婦人が横切るのが見えた。そのすぐ後を、よたよたと、びっこの犬。
 彼女は窓を閉めた。煙草を灰皿でもみ消す。彼女は自分の部屋を眺めた。テーブルの上の缶ビールと部屋の鍵を眺める。ベッドに脱ぎ捨てられた服を眺める。彼女は両腕を強く抱きしめると、身を屈めて、床に座り込んだ。
 風邪をひきそうだと、彼女は思った。
  
 
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ブログ一周年

2005年10月16日 | Weblog
気づいてみたらブログ一周年だった。もう一週間も過ぎているけど。ばんざい!
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秋晴れの日の試論 

2005年10月16日 | essay
孤独。
孤独と一言に言っても、さまざまな形態があると考えられます。

無人島で感じる孤独もあれば、人間社会の真っ只中にいてなおかつ感じる孤独もあります。

人間社会における孤独を二つに分けてみますと、
関係性の中の孤独と無関係性の中の孤独があります。

関係性の中の孤独は、人間関係が非常にはっきりしている場所において感じる孤独感です。職場での孤独、学校での孤独、村社会での孤独、などがそれに該当します。

無関係性の中の孤独は、人間関係がそもそも存在しない場所において感じる孤独感です。
赤の他人同士の寄り集まりにおいて感じる孤独です。都会の孤独がそれに当たるでしょう。

関係性の中の孤独については、さらに細分化されます。

関係性の中で自分ひとり関係性を持たない、という孤独。

関係性の中で積極的に攻撃される被害者としての孤独。

関係性の中で繋がり合いながら、なおかつ本当には繋がってないのだと感じる孤独。

こう考えてみますと
どの人はどれに当たる、と分類できるものではなく、誰しも複数の孤独が微妙に調合された混合液を胃に入れていることに気づきます。

孤独も、シンプルではないのです。

写真のコスモスを見てさみしいと私は感じた。それがなぜだか知りたくてこの試論に及んだのだが、ここからは最初の疑問に対する答えは導き出せそうにない。
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カレーに目が行くのはなぜか

2005年10月15日 | 食べ物
問い :美味しくて珍しいものを食べたくて入ったレストランでメニューを開いた途端、カレーに目が行くのはなぜか。


答え1:美味不味は予測不可能である。香辛料的刺激は確実である。人は冒険しようというときでさえ確実性に惹かれるがゆえに。


答え2:メニューを選ぶことが面倒くさくなったとき、カレーはあらゆる意味で面倒くさくない食べ物として魅力を放つ。一つ、食べ方が簡単。一つ、調理時間が短い(はずである)。一つ、料金が妥当。


答え3:カレーは食欲をそそる。滋養をつける。元気が出る。漢方薬を食べるようなものである。それを知っている体が欲する。


答え4:とにかく旨いっしょ、カレーは。


答え5:カレーは庶民の味。庶民なんだよ、あんたは。


▼真実(トゥルー)はルーの中にあり。綴りが違うけど。
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庭の朝顔がまだ

2005年10月14日 | essay
庭の朝顔がまだ花をつけている。夏が終わったものだから、当然朝顔も終わると思い、ぎっしり伸びたつるをほとんど切り捨ててしまった。可愛そうなことをしてしまった。今咲いている朝顔は仕方なしに地を這っている。

こういう、花の命を手前勝手に見積もるような早計な判断を、私は他の場面でもしてやしないか。ふと心配になった。
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カノジョ

2005年10月13日 | 写真とことば
かのじょが去ったあと、私に残ったのは、




かのじょはここにいなかった


あのときからずっと






というとてもさみしい感覚だけだった。
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