た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

排泄考

2011年06月26日 | essay
 人生を三十七年生きてきた。自分はこれまで一体どれだけの糞便を出してきたのだろう。便器に腰かけてふとそう考えた。

 尾籠な話で恐縮です。

 しかしながら、威勢よく雪隠に収まっていく、かつて食した物どもの末路を見ていると、感嘆の念を禁じ得ないのである。私は決して大柄な方ではない。どちらかと言うと小じんまりした体格をしている。そのせせこましい体内の、果たしてどこに、これだけの嵩の老廃物を蓄えていたのだろうと感心すらしてしまう。ほとんど自分の五体の隅々に糞便が詰まっているのではないかとまで疑ってしまう。

 それぐらいに、日々の生活は、糞して便す、なのだ。

 ええと。
 人生とは何か。私は話を一気に高尚なものにしようとしている。さすがに汚物で話を始めて汚物で話を終えるわけにはいかない気がしてきたからである。さて人生とは何か、だが、空咳ひとつして言わせてもらうならば、生きるということは、即ち、必要なものを摂取すると同じくらいの頻度で、実はそう大して必要でなかったものを廃棄することなのではないか。と、先ほど厠を出た私は話を強引に哲学的にして、体裁を繕うのである。空咳、空咳。我々人間は、いいですか、我々人間は、何かを得るのと同じくらい小まめに何かを捨てなければ生きていけないのです。その何かが、食物であれ、知識であれ、人間関係であれ、何であれ。

 行為としては、極めて非能率的な行為である。通り抜けの割合が多過ぎる。食べ物に話を戻して考えても、ただただジェットコースターのように消化管をくねくねと通過させて肛門から捨て去るくらいなら、初めから食さなければいいわけである。止むを得ず口に入れるとしても、必要最小限のものに留めて、胃腸や肛門を休ませるべきである。知識もそう。要らない知識はもとから入れなければよいのである。人間関係もまた然り。自分の益にならない人間関係は最初から極力排除すべきである。光陰矢のごとし。

 と口で言うは易く、行うは難し。我々は相変わらず「ジャンクな」情報を大量に仕入れ、時間を浪費する人間関係を山ほど築き、役に立つのか立たないのかわからない建造物や兵器や危険物質を地球上にまき散らして文明だと叫んでいる。そういう、無駄を出す行為をほとんど快感と感じている節がある。排泄は摂取よりも至福なり。

 これはどういうことであろうか。人間という生命の営みはまだまだ無駄の多い完成途上にあるのか。それとも、これが人間と言うものの完成形なのか。それともそれとも。かつて人間が自然に包まれて生きていた時代には、ある生物の無駄が別の生物の益になるように、全てがうまく循環していたのか。

 我々は人間らしくなってしまったがために、汚物を汚物たらしめたのか。

 文明とは、トイレの必要でなかった世界にトイレを持ち込んだことなのか。トイレが先か、排泄が先か。何を言っているのだ私は。そろそろ、この稿の収拾がつかなくなってきた。

 手を洗い、稿を閉じる。
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空き地

2011年06月10日 | essay
 仕事場の隣に空き地がある。七十坪程度であるが、今時珍しい、全く何もない空き地で、そのくせ管理人が草だけはせっせと刈っている。そのおかげか、近隣の住人が頻繁に現れては思い思いの利用の仕方をする。

 犬を散歩する人が犬に空き地を走らせる。

 近くの保育園が園児たちを連れて虫取りをさせることもあった。犬の糞を踏まなきゃいいが、と私は二階の仕事場の窓から観察したものだ。実際に誰かが踏んだのか、別の理由からか、最近は来なくなった。

 中学生くらいの女の子が三四人、ピクニックシートを敷いてランチを食べ始めたこともあった。こんなところで? とびっくりしたものだ。

 普段はもっぱら、近くの腕白な小学生たちがチャンバラごっこや三角ベースをして遊んでいる。何もない空き地で棒を振り回して楽しいのかしらと思ってしまうが、それは大人の論理らしい。彼らは結構満喫している。じゃあ、やられたら十秒間死ぬね! とか、だめだめ、そこはファールだって! とか、独自のルールを作り合う声が響く。

 昔は、こういう光景があちこちで見られた。また、そういう「ただの空き地」がたくさんあった。今時の更地はあったところですべて売り物件の看板が立っている。立ち入ると不動産屋が怒って飛んできそうである。隣の空き地の管理人は、幸いにして寛容な心を持った方のようだ。

 今の時代の街づくりに本当に必要なのは、きれいに整備された公園ではなく、何もない、かつ何をして遊んでもある程度は許される──ドラえもんの話に出てきそうな──空き地ではないだろうか。

 現代の「のび太君」たちに相談してみたくなった。
コメント (4)
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