た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

2010年10月27日 | Weblog
 友が遠方より来たる。
 松本はあいにくの雨で、傘をさして市内を散策する。
 いい街ですね、と彼は言う。彼は地元で商店街の活性化を企画する仕事に就いているから、街の雰囲気には至極興味をもっている。
 街の活性化とは何か、という会話になる。活性化とは何か? イベントがたくさんあること? イベントにたくさん人が集まること? どうもそうじゃない。それは水に溶けない大きさの粉をグラスの水に入れて強くステアするようなものであり、ステアを止めれば、やがて渦も止まり、粉は結局水と融和することなくグラスの底に沈殿する。
 人数の問題じゃない。街が魅力を持つかどうかという問題だ。人数を先に揃えても、街に魅力がなければ人は去るし、街に魅力があれば、人数は後から揃ってくる。
 話がここまで来たところで、雨脚が強くなったので喫茶店に入る。民芸家具が白熱球の光に映える、レトロな雰囲気の店である。二人ともコーヒーを注文する。
 じゃあ街の魅力って何だ? 私はコーヒーを啜りながら尋ねる。難しいところですね、と彼もコーヒーを啜りながら答える。
 確かに難しい。それは人間の魅力と同じで、持って生まれたものがある。後付けで身につけるものもある。高価な装飾品で飾り立てて成功する場合もあるし、うまくいかない場合もある。
 何だろう。我々二人はコーヒーをあと一口だけ残して沈思する。
 歴史、伝統、文化、落ち着き、洒脱、たとえば喫茶店における時間・・・。
 街の教養。人間における教養と同じく。
 教養?
 話がその辺まで来たところで、雨が小ぶりに変わった。もう一回り歩こうか、と立ち上がる。そうしましょう、と彼も立ち上がる。
 店の外へ出ると、宵闇が肌に浸透するのを感じた。白壁の建物に囲まれた小路を、街灯がつつましく照らしている。
 我々はその明かりに導かれて、またあてもなく歩き始めた。
 
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愚直

2010年10月04日 | Weblog
 松本平は朝から叩きつけるような雨である。

 愚直に生きる、ということが大変難しい時代であると思う。何が愚直なのかがまずもって難しい問題であるが、たとえば、寂れた商店街に一軒の模型屋があるとする。たかが模型と多くの大人は見るが、店主は模型作りに誇りと情熱を注いで半生を生きてきたのであり、多く売ることよりは、「きちんと」売ることを心掛けてきた。そのため、店に来る客の態度が横柄であったり、商品の扱いがぞんざいであったりすると、あからさまにいやな顔をして売るのを渋るのである。こういう店が流行るはずもなく、商店街全体の衰退も手伝って、売り上げは右下がりの一途をたどった。
 もちろん経営上店主のやり方が不味いのは明らかであり、それは彼自身も十分認識している。しかし彼は自分の哲学を時勢に合わせて修正するよりも、その信念を貫いてじっと看板を下ろす日を待つ方を選んだ。
 今日も彼は、店の奥のカウンターに腰かけ、客がいようがいまいが仏頂面のまま、黙々とピンセットを動かして模型を修理するのである。

 昨日、子供とそういう店を訪れた。私は初めてだが、子供は何回か入店したことがあると言う。店主の頑迷な性格について、多くは子供から情報を得た。実際、彼がどの程度「愚直」であるかは、想像の域を出ない。安物を買ってその店を出た。

 雨音を聞きながら、ふと彼のことを思い出した。
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