た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

独鈷山

2021年04月16日 | essay

 

昔、人類には豊かな時間があった。ただ豊かな食がなかった。

だから彼らは時間を費やし、食のために奔走した。

今、世間には豊かな食が溢れ、その代り豊かな時間を失った。

それを取り戻すため、彼らはお金という名の富を費やす。

そのお金こそ、時間を犠牲にして得たものであるのに!

堂々巡りは古代から、人類の性(さが)である。

ごく稀に、その堂々巡りを脱する者もいる。

豊かな時間のために、潔く他を犠牲にできる者である。

人はかつて、彼らを隠者と呼んだ。今は変わり者と呼ぶ。

どちらにもなり切れない中途半端な輩が

ときどき野に出て、深く息をつく。

※写真は独鈷山。

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雪原に独り

2021年04月06日 | essay

 3月12日、まだ冬の貌を残す美ケ原高原をスノーシューで歩いた。スノーシューは初めてであった。一泊する予定の宿泊施設で器具を借りた。宿泊客は全部で十人程度はいたが、私の他に誰もする人がいなかった。雪も少ないし、夕刻が迫っていたからであろう。私は一人、広大な平野を歩いた。

 そんなに歩きやすいものではないな、と感じた。

 宿に戻って風呂に入り、食事をした。

 その晩、季節外れの大雪になった。窓から見える屋根には白いものがうず高く積もった。

 私はいつまでもその光景に見入った。

 翌朝、スノーシューを借りて、私は再び野原に出た。辺り一面、真っ白に変貌していた。

 やっぱり私の他にスノーシューをする人はいなかった。

 雪が相変わらず降りしきっていたからであろう。実際、視界は悪く、ほとんど何も見えなかった。

 

 それでも私はひたすら歩いた。吹雪を顔面に受け、ときおり足を雪に取られながらも、ストックを突き、前へ進んだ。目的地もなければパノラマ風景も望めない。それでも、ただひたすらに歩いた。

 やがて帰るべき時刻が来たので、Uターンし、来た道をひたすら戻った。

 それでよかった。

 

 そういう気分になるときもある。

 

                

 

 

 

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