た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

並び替え第六弾

2008年05月11日 | 連続物語
 今更こうすることにどれだけの意味があるかわかりませんが、『無計画な死をめぐる冒険』の105~130までを並び替えました。
 それでも続けるぞ、たぶん、という筆者の意気込みと焦りが伺えます。
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無計画な死をめぐる冒険 105

2008年05月11日 | 連続物語
第四章


 夜が終わった。追憶の夢は途切れた。空のないアーケード街にも朝の光が訪れた。その光でようやっと力を得ているかのように、背中を丸めた老人が自転車をふらふらと漕いでいく。よろめきついでに、野良猫に向けて痰を吐く。野良猫は避けもしないで、ニャアと鳴く。
 まったく、薄汚いところで夜を明かしたものだと今更ながら驚く。化粧の剥げた寝起きの娼婦のような通りである。生ゴミや嘔吐物の臭いまで辺りを漂っているか知らん、それは霊たるこの身にはわかりようがない。全体なぜこんなうらぶれた場所で一夜を明かしたのか。一睡もできない境遇ならばせめて生命活動というものをわずかなりと感じられる場所で夜を過ごそうと目論んだのである。それでアーケード街である。しかるに夜に活動する街は即ち朝が来て死ぬ街である。寝ることを許されないまま死んだような表情で起き続ける街。まるで今の私である。そう思うと俄然居たたまれなくなった。私は立ち上がり、地を離れ、アーケードを突き抜けて空に飛び出した。
 曙光が走る。純白の地平線が彼方に伸びる。Mehr Licht!
 卒然として清冽なる朝焼けに私の体は貫かれた。昨日までの雨で大気は埃を落とし、東京は珍しくも澄み渡っている。早朝の恩恵である。あと半時もすれば東京中の人間共が活動を始め、街は再び煤煙の中に埋もれるであろう。「この世で美しい場所と言えば、どれだけ人間がいないかにかかっている」というラ・ロシェフコーか誰かの言葉を思い起こした。裏返せば、人の消えた瞬間、どんな場所であれ美しい。
 私は空に立ち、燦々たる東に向かって大きく四肢を伸ばし、胸を張った。吸えない息を大きく吸い込む真似をする。つくづく思うに、私は生ある時、何を求めて日々を過ごしていたか。あらゆる悦楽を保証する富。あらゆる美を審判しうる才能。名声。地位。云々。そんなところか。では自問する、日々求めるものが、単に翌日の美しい夜明けであってはどうして不満足だったのか。自答は即座である。生きることそのものの意味よりも、生きて何かしらなすことの意味の方が、大きく見えたからだ。動物は本能に束縛され、人間は意味に束縛される。私は小さく首を振った。
 そろそろ我が家へ戻らなければならない。何しろ今日は私の葬儀である。

(まだつづく)
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無計画な死をめぐる冒険 106

2008年05月11日 | 連続物語
           ◇      ◇      ◇

 舍利弗
 彼土何故
 名爲極樂
 其國衆生
 無有衆苦
 但受諸樂
 故名極樂

 まずまず盛大な葬儀である。二百人集まったと言えば大袈裟であろうか。さすがは大学教授の葬儀である。通夜の際使用した二間に加え、渡り廊下を開け放して裏庭にまで人が立つ。昨日とは一転、初夏を思わせる日差しが中庭の彼らの頭に落ちる。皆眩しそうである。早く終わらんかな、という顔をしている。座敷に座る連中は連中で、所在無さげであり、神妙な面持ちで俯いては腕時計ばかり眺めている。ど奴もこ奴もよく見れば不謹慎である。
 坊主は三人ばかり揃った。ひどく老いたのと太ったのと眼鏡を掛けたのが三人である。大口を開けて声を合わせ、陽気な読経を響かせている。やたら喧しい。まるで学芸会である。喧しければ喧しいほど座敷の連中は俯く。裏庭で日干しされている連中に至っては蝉の声にしか感じられまい。果たしてこんな葬儀で、私は成仏できるのか。いやできっこない。現に見よ、私はまだここにこうして存在する。

 「この度は誠にご愁傷様です」
 「あんた誰だい」
 大裕叔父は胡坐を組んだ膝を揺すりながら弔問客に問い返す。
 「邦広君の小学校時代の同級生の、羽田優子です」
 「おや、青物横丁の散髪屋の」
 「はい。お店の方は、父が死んだ五年前に閉めましたけど」
 「いやいや、羽田さんとこのかい。いやいや、これはこれは。あんた幾つになる」
 「幾つにって、まあ。邦広君と同い年ですよ」
 「そうかあ。てことはあんたも年取ったなあ。しかし年取ったように見えねえな。べっぴんは年取らねえってのは本当だな」
 「取ってます」
 「そう言えるところが若いじゃねえか」
 「まあ。この度はご愁傷様です」
 「ご愁傷様って柄じゃないよ、あいつは。まあ喜ぶから線香上げてやってくんねえ」


(まだつづくのか)
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無計画な死をめぐる冒険 107

2008年05月11日 | 連続物語
 「たつ公、とんだことだったな」
 「こりゃ森田屋のおやっさん」
 「ああ。やれ、スーツは座りにくい」
 「確かに、おやっさんに喪服は似合わないなあ」
 「うるせえ。うちの常連の葬儀だ。びしっと決めてくるさ。常連ってだけじゃない。ほんのいっときだが、草野球仲間でもあったんだ」
 「いっときでしょ」
 「いっときでもさ。だけど、うちのかかが馬鹿だからな。自前の一張羅が虫に食われちゃってさ。これ借り物よ。かかが馬鹿だからなあ。しかし邦さんもなあ。とんだことだった。ほんと。よく蕎麦食べに来てくれたもんだ。だいたい土曜日だね。土曜日の一時過ぎ。大切な常連だったのによう。ふむ、おい、あの遺影の写真。もうちょっとあったんじゃないか。ありゃ本物より十年若いぞ」
 「最近のでいいのが無かったらしいよ」
 「でもありゃ二十年は若いな。しかし邦さんも親不孝だよ。もうちょっと、順番ってものを考えなきゃ」
 「本人は考えたかったかもね」
 「どういうことだい」
 森田屋の親父は身を乗り出す。「そういや変な噂を聞いたぞ」


 (つづく)








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無計画な死をめぐる冒険 108

2008年05月11日 | 連続物語
 「へえ、変な噂を」
 「たつ公、お前何か知ってるか」
 「別に。知ってるってほどじゃありませんが」
 たっちゃんは澄まし顔であらぬ方を眺める。秘密を握る者として愉快で堪らないのである。この男はまったく、死んでも思うがつくづく浅はかである。他人の知らない秘密を先に知れば賢くなった気分になっているのだ。しかし秘密とは智恵でも知識でもない。深遠でもなければ高等でもない。単に他人がまだ知らないというだけのことである。秘密をもって優越感に浸るのは真っ先に西瓜にかぶりついて自慢とする児童と変わるところがない。
 森田屋の親父は親父で、野次馬根性が前掛け締めて蕎麦打っているような人間だから、たっちゃんの隣に座った当初から聞き出すことが目的である。
 「なあ、警察が動いているんだって」
 「え? まあ」情報をひけらかしたい一心の浅はか男はもう我慢できない。「実はね。内密な話だけど・・・」
 「何聞こえねえ」
 「内密な話だけど、ひょっとして、毒殺かも知れないって」
 「何」
 「しっ」
 「おい、じゃあ遺体から青酸カリが見つかったって噂は、ありゃほんとか」
 「もっと声落として。誰ですかそんな噂流したの」
 「じゃあ何なんだ」
 「よくわからないんだなあこれが。訊いても教えてくれないし。ヒ素だって話もある」
 「ヒ素? なるほどヒ素か」
 「しかし問題は犯人でしょう」
 「おうよ。問題は犯人よ。犯人は誰よ」
 「それがねえ・・・」
 たっちゃんは言葉を切り、視線を意味ありげに我が妻美咲の背中に送った。「・・・まだわからないんだなあ」
 「ふうむ」
 森田屋の親父はたっちゃんの視線の先を追い、これも意味ありげに頷く。「そうかあ。まだわからんのか」

(つづいてます)
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無計画な死をめぐる冒険 109

2008年05月11日 | 連続物語
 舞台の位置は観客が決める。
 観客というのは何も蕎麦屋と暇人の二名だけではない。先ほどから、単なる同情や憐憫とは違う種類の視線があちこちから美咲に注がれている。只今の舞台は私の遺影にはない。坊主の禿げ頭にはもちろんない。まさに疑惑の渦中なるこの狐目の未亡人にある。舞台の上に引き摺り出された彼女は、青白い顔をして坊主の座る金襴の座布団を見つめている。黙って座っていますがもうこれ以上一刻も我慢できません、という表情で眉間に皺を寄せている。風説流言は耳をそばだてずとも彼女の耳に届き、じわじわと締め付ける真綿のように彼女の首に巻きついているのだ。止むを得まい。因果応報、自業自得である。
 少し離れたところでは大仁田が、心配しているのか、疑っているのか、あるいは疑いながら心配しているのか、はっきりしない困惑の目で女主人の横顔を見つめている。その視線は極めて落ち着かない。ときどき周囲の群衆を監視するように眺め回し、また女主人に視線を戻す。美咲が顔を上げる。二人の目が合う。そんなとき、大仁田は安心しろと言わんばかりに頷いて見せる。何が安心しろであるか。私はこの性悪女を睨みつける。ヌケブスめが。怒鳴って尻を蹴り上げる。当たらないし聞こえないのは承知の助である。しかし何しろ葬儀の始まる前、この女が廊下で美咲に呟いたのを私は聞き逃さなかったのだ。この極悪女は他殺の嫌疑にうんざりしたように首を振って見せた。「旦那様がほんとに鼻風邪でも引いて、お薬を呑んでたのかも知れませんしね」
 それから、彼女は確かにこう付け加えた。
 「ええ。ひょっとして、ひょっとしてでございますよ。わざと・・・その、奥様をこうして困らせるのが、旦那様の計略だったりして・・・」

(つづく)
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無計画な死をめぐる冒険 110

2008年05月11日 | 連続物語
 そのことを思い出すだけでまたぞろこの家政婦を猛烈に蹴り上げたい欲求に駆られたが、折りしも裏庭から聞き覚えのある悲鳴が私の耳に届いてきた。
 助教授の藤岡である。教授になるための推薦文を私が書いてやらなかったばかりに顔つきが十も老け込んだ器の小さい男である。美咲の線が濃厚とは言え、容疑者のリストから未だ完全に外すことはできまい。私は声の主を探すべく速やかにその場を離れた。
 自分が被害者であり同時に探偵であるのは誠に不思議な心持ちである。
 藤岡はすぐに見つかった。庭に立つ参列者の最後尾に唐島と並んで立っていた。大男の唐島の横に並ぶと、貧相な体格の彼は余計貧相に見える。
 「声が高いよ」と唐島。
 「すみません」藤岡は汗をかいて赤面している。
 「今のは遺族のところまで聞こえたよ」
 「だって本当にって言うか、とてもって言うか、び、びっくりしたものですから」
 人間の運命は風采が決める。この男を見ているとつくづくそう思う。彼の風采を説明するのは難しいが、それなりの喪服に身を包んでも、安銭湯に入ったら服泥棒に遭ってパンツ一枚で外に出てきちゃいました、というような雰囲気をどこかに漂わせた風采である。三百六十五日何かに慌て、何かに怯えている。そういう雰囲気は少なからず当人の立身出世を妨げるであろう。教授には程遠い。縮れ毛を載せたひたいは極端に狭く、これまた形容が難しいが、何となく人参の皮むき器のような顔をしている。

(つづく)
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無計画な死をめぐる冒険 111

2008年05月11日 | 連続物語
 「でも、本当なんですか、そのた、た、た、他殺ってのは」
 「君が殺したわけではあるまい」
 「え」
 「君が殺した記憶はなかろう」
 「何言ってるんですか」
 皮むき器は人参よりも真っ赤である。
 「私だって殺した記憶はない。だったら、他殺かどうか我々には判明しようがないじゃないか」
 詰まらなそうに呟くと、唐島は藤岡の顔を覗き込んだ。
 「違うかい」
 「いや、違いませんが」藤岡は憤慨して自分のネクタイを引っ張っている。「犯人ていうか、容疑者は上がっているんですか」 
 「藤岡君。ぼくは思うんだけどね」
 唐島は妙に考え深い表情である。広間で読経している坊主よりずっと坊主らしい表情をしている。藤岡の質問は聞いていない。前に立つ男の背中を見つめて独白のように語り続ける。
 「ぼくは思うんだが、こと今回の宇津木君の死に関しては、実行犯を特定するというのはあんまり意味がないような気がするんだよ」

(つづく)
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無計画な死をめぐる冒険 112

2008年05月11日 | 連続物語
 「はあ?」
 「彼は、結局のところ、自殺だったのかも知れない」
 この男は亡霊にまで肩透かしを食らわせる。
 「いや、自殺じゃないかも知れない。風邪薬を飲み過ぎただけの単なる事故かも知れない。あるいは、やっぱり本当に他殺かも知れない。だがね、いずれにせよ、誰の責任で彼は死んだのか、という問題は、そんな単純には割り切れないと思うんだよ。彼を死に追いやったものというのを、我々は刑法上ではなく、もっと広い解釈で考えなきゃいけない気がするんだ」
聞き手の藤岡は相槌すら打てない。
 「本人を含め、彼を死に追いやったもの、だ。我々も含め、彼を死に追いやったもの、だ。直接手を下したどうこうじゃなく、間接的なものが重要なんだ。というのもね、藤岡君、彼はいかにも寂しい死に方をしたと思うんだよ」
 この男には私は昨日からよほど寂しい人間と思われている。
 「想像してごらん。家で、たった一人で酒を飲んでて、死んだんだ。家で一人で酒飲んで死ぬなんて最低だよ。何というか、惨めだよ。しかも結構苦しそうな顔をしていたと聞くじゃないか。一体何を考えながら死んだんだろうなあと考えるんだよ」
 「何も考えなかったかも知れませんよ」
 「何も考えられなかったかも知れんがね。藤岡君。ぼくは昨日通夜で親族の人と話をしてね。つくづく感じたよ」
 「はあ」
 「生き方が寂しいと、死に方も寂しい」

(つづく)
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無計画な死をめぐる冒険 113

2008年05月11日 | 連続物語
 侮辱もはなはだしい。頃合いを見計らったかのように座敷からチーンと鐘が聞こえてくるのも憎らしい。なお一層許しがたいことに、弟子の藤岡は一瞬迷ってから力強く賛同を示した。「そうですよ。私はそうだと思いますよ」
 「そうなんだよ。彼は朽ちた案山子のように寂しい生き方をしてきたんだ。だから当然の帰結として、死に方まで寂しくなった。もちろんそうなったのは彼の責任だ。彼の責任なんだが、そこにぼくは、彼だけの責任でない何かを感じるんだ。孤独てのは、周りをぐるりと巡る壁があって成立する。そうだろう? 壁は────家族だったかも知れない。我々だったかも知れない。もっと、現代社会と言っていいほどの広がりを持つ、大きな大きな壁だったかも知れない。たった一人で酒を飲んで、死に至る。薬を盛られたにせよ、急性アル中にせよ、ひどい孤独の内に彼は死んだ。その悲惨な状況に彼を追い込んだ────結果的に追い込んだ、もろもろの要因、といったものを考察したくなるんだよ。ふうむ。なぜだろうな」
 唐島は首を捻った。
 「昨日から、どうも彼の死を深い意味の地平で考えようとしている。なぜだろう」
 「知りませんよ」
 「うん。割合彼と親しかったからかなあ。いやあ、そんなに親しかったわけじゃないが」
 彼は鼻から抜ける笑みを浮かべた。
 「ま、単に、自分の哲学の材料にしようとしているのかも知れん。元同僚のよしみというやつだ。だって哲学者はせめて死んでからでも、他人の哲学の材料くらいにならないと存在価値がないだろう。生存中はどうせろくな仕事をしないんだから。は、は、あいつなんて、本一冊書き残さなかったことだし」
 こんな場面でなお、私の遅筆を嘲笑の種にするとは。末代まで祟ってやろうか。

(つづく)
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