集団の中にいると、図らずも間違いを犯してしまう。
孤立していると、何が正しいか不安に取り憑かれてしまう。
その加減が難しい。
※写真は、前回掲載し損ねた三本滝。
集団の中にいると、図らずも間違いを犯してしまう。
孤立していると、何が正しいか不安に取り憑かれてしまう。
その加減が難しい。
※写真は、前回掲載し損ねた三本滝。
毎年紅葉はいろいろ見て回るが、楓の見事なのはまだお目にかかっていない、という思いをずっと抱いていた。ところが近隣の人に聞けば、四柱神社が京都のようで見事だと言う。さっそく行ってみると、なるほど素晴らしい。楓のための小道まである。十数年松本に住んでいて、気づかなかった。まさに灯台下暗し。散歩で通りかかることはあっても、いつも俯いて歩いていたようだ。遠い観光地は顔を上げて歩き、近い地元は下を向いて歩く。
よくない。まったくよくない。
芸術は綺麗にすることではない。
だが綺麗なものは美しい。そこから芸術の浸食が始まる。
芸術は好きになることではない。
だが好きなものは愛らしい。そこから芸術の腐食が始まる。
芸術は心地よいことではない。
だが心地よいものは所有したい。そこから芸術の堕落が始まる。
芸術は高価なものではない。
だが高価なものは妬まれる。そこから芸術の世俗化が始まる。
確かに
綺麗で、好きで、心地よくて、高価なものにも
芸術は存在する。
しかし決して!
綺麗で、好きで、心地よくて、高価だから
芸術であるわけではないのだ───────。
ああ、まただ。
この辺りから
芸術の際限なき押し問答が始まる。
※写真は、ええと、どこだっけ?
白川氷柱群を見に行った。
片道二時間かけて行くほどのものではない気がしたが、まあそれでも冬の風物詩と言えよう。
寒くても さみしくっても 川にゆく
最近寝床で種田山頭火の句集をパラパラとめくることが多いので、その影響を受けている。
道に積雪があり、途中でタイヤにチェーンを巻いたが、外すのにかなり難儀した。他の車は何でこの程度の雪で、という顔で通り過ぎていった。手がかじかみ、よっぽど冬らしい体験をした。
帰路には奈良井宿に立ち寄り、珈琲を飲んだ。
コロナはなかなか終息しない。日が沈むのだけやたら早い。
空よ。ありがとう。
山よ、豊かなその緑よ。
風よ。小鳥よ。舞う花びらよ。
私の目に映るすべてのものよ。
今日この日までありがとう。
私はあなた方に支えられ
こんなに生きてこれました。
母よ。ありがとう。
父よ。ありがとう。
友よ。笑いさんざめく子どもたちよ。
私と出会ってきたすべての人たちよ。
今日この日までありがとう。
私はあなた方に愛されて
こんなに生きてこれました。
何ときらきらした美しい世界に
生きてきたのかと
嬉しくて
嬉しくて涙が自然にあふれ出ます。
ただ、ただ感謝したくて
今日まで生きてこれました。
もう少し生きたい気持ちもありますが───────
ふるさとよ。
この広い大地よ。
本当に、ありがとう。
そりゃ切ない思いもありますが──────
こんなに幸せだったから
本日、あなたのもとに帰ります。