『父の終焉日記・おらが春』(岩波文庫)を一読。ついでに高山村にある『一茶館』に足を運ぶ。
一茶というのは大変な人であった。浄土真宗の熱心な門徒の家に生まれたと言うが、その生涯は煩悩と苦悩に満ちている。
三歳で母と死別。継母にいじめられ、それがもとで江戸に奉公へ。長じて俳諧師となるが、生活はつねに不安定であった。父の介護の最中、遺産問題で腹違いの弟ともめる。三度結婚するが、生まれた子供に次々と死なれる憂き目にも遭う。
まったく、心の安らぐ暇がない。
そんな中で彼の紡ぎ出した俳句は、不思議なほど穏やかで、優しい。
「今迄(まで)は 踏まれていたに 花野かな」 一茶
私は何だかこの句が一番好きである。一茶自身の境涯に対する嘆息と、諦めを通り越したところにある朗らかな笑い声が聞こえてくるような気がしてならない。
投句箱があったので、拙作も一つ入れておいた。
「日だまりの 雀に一茶の 生を問ふ」 阿是
詠み返してみるにつくづく拙い。一茶のように深く足をぬかるみにつけて歩んでいない証拠だろうか。
※写真は『一茶館』にある<一茶逗留の離れ家>