過ぎ行くのは暦のみ。ただ、過ぎ行くのは暦のみ。
日常も、顔ぶれも、社会情勢も、環境問題も、収入も、支出も。悲劇も、喜劇も、日本も、シリアも、片付けきれない部屋の隅も、住む人のいなくなった街角も。自分も、あいつも、恨みも、希望も。すべては滞りの中にとどこおり。
過ぎ行くのは暦のみ。ただ、過ぎ行くのは暦のみ。
過ぎ行くのは暦のみ。ただ、過ぎ行くのは暦のみ。
日常も、顔ぶれも、社会情勢も、環境問題も、収入も、支出も。悲劇も、喜劇も、日本も、シリアも、片付けきれない部屋の隅も、住む人のいなくなった街角も。自分も、あいつも、恨みも、希望も。すべては滞りの中にとどこおり。
過ぎ行くのは暦のみ。ただ、過ぎ行くのは暦のみ。
私の脳は容量が小銭入れ程度にしかないらしく、新しく始める仕事のことばかり考えていると文筆の方にはさっぱり頭が回らなくなってしまった。脳の容量は生まれつきだろうから致し方ない。親を責めても始まらない。何でもいいから書けばいいとも思うのだが、書くことを何も思いつかないから、書きようがない。このブログもついに更新が滞り始めた。私のブログが更新されないくらいでは広い世間で誰一人困らないのは百も承知であるが、それでも閲覧数の減少を目の当たりにするのはしゃくなものだし、それに何より、たまに見てくれる方々が若干なりとも存在すると思えば、その人たちの優しさと期待に報いるためにも何か書かねばと思う。それでも書けない。さっぱり書けない。
新しく始める仕事のほうも、本当に新しく始められるかわかったものではない。なかなかに壁が多く、小銭入れ程度の私の頭脳はここでも右往左往している。おまけに身内から、最近私の人格が変わったかのような指摘を受けた。人間、新しいことを始めようとすれば、多少なりとも性格や雰囲気は変わるものであろう。そこを責められても困る。それをいちいち説明するのも手間である。
師走である。今年はことに走り回っている。このままへとへとになるまで走り回る覚悟である。たどり着く先はわからない。来年のことは鬼が笑おうが膝が笑おうが何も言えない。
やれやれ、内容の思いつかないままに書くと本当に内容のない文章になるものだなあと実感する。反省が必要であろう。
師走に入る前から気ぜわしい日々が続いている。何をしていても落ち着かない。私の性分なのであろう。事務用品を買いに車を走らせたら、遥か西方で北アルプスが冠雪していた。だが、その壮大な美しさをなんだか直視できないほど、今の私は気ぜわしい。
信号で右折待ちをしているときに、イライラと人差し指が動く。カーラジオは耳障りな音で単調なリズムを奏でる。
今日も下手な歌をうたった。
作り笑いを作り、トイレの中で舌打ちした。
今日も下手な歌をうたった。
誰かに傷つけられ、その分誰かを傷つけた。
ふと見ると、交差点の向かい側で、大人の腰ほどの背丈の少年が何かを右手に高々と掲げ、満面の笑みを浮かべてこちら側を眺めていた。手にしているのは、歯ブラシであった。それも人間の歯を何か月も磨いた後、別のものを磨くよう運命づけられたらしく、黒々として見事に毛の開いた歯ブラシである。
最初は車の中の私に向かって笑いかけているのかと誤解したが、どうやら道を挟んで反対側に立つ誰かに向かって笑っているようであった。少年の親族か、友人か。その人物を確かめたかったが、それは叶わなかった。ちょうど対向車の長い列が途切れたので、すぐさまハンドルを切り、カーレーサーよろしく大胆に右折しなければならなかったからである。この機を逃せば次のチャンスまでまた数分はかかる。心に余裕のない今の私には、とてもそれを待てなかった。
タイヤを軋ませながら大げさに車を回転させたとき、少年の満身に力を込めた叫び声が、閉めた車窓越しに聞こえてきた。
「ちゃんと磨いたよ!」
思わず私はブレーキをかけそうになったが、もちろん安全のためにそんなことはしなかった。車窓の景色はすぐに移り変わり、歯ブラシを掲げた少年も、彼と道路を挟んで向き合っているであろう人物も、はるか後方に置き去りにして、私は車を走らせ続けた。
今日も下手な歌をうたった。
ひどく疲れたと言いながら、そんなに疲れていなかった。
今日も下手な歌をうたった。
誰かの努力に感動して、自分も少しだけ努力した。
今日も下手な歌をうたった。
明日もまた、下手な歌をうたおう。
ハンドルを握りながら、静かな、長い嘆息が出た。どこかコンビニでも寄って、温かいコーヒーでも飲もうか、と考えた。別にコーヒーを飲まなくてもいい。少しだけ車を停めよう。できれば眺めのいいところで。風は冷たいが、我慢できないほどじゃない。車を降りて、少しだけ外の空気を吸おう。
まだ、北アルプスをじっくり眺める余裕は持てないにしても。