た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

節季の夜に

2018年12月31日 | 断片

 両親に捨てられた、という人に出会った。まさかと思ったが、話を聞くと、本当に捨てられたようである。まず父親が家を去り、次いで母親に、父親のいる町で置き去りにされた。お父さんのところにお行き、というわけである。父親は息子との再会を喜ばなかった。父親と同棲していた女はなおさらであった。

 冷え切った年の瀬の晩、明かりの足らない飲み屋のカウンターで、ウィスキーグラスを傾けながら私はその話を聞いた。

 その人は感情のない目を宙に向け、とつとつと語った。ときに冗談のように口だけ歪めた顔を私に向けながら。

 ─────暴力を振るわれた思い出しかありませんよ。

 そんなことが実際にあるんだ。私はそう思った。どんなことがあっても、人はけなげに生きていくんだ、とも。

 いっそのこと雪が降ればよかった。が、雪はなかなか降らなかった。街の汚れも吹き溜まりも、その醜い姿を月明かりに露呈しながら凍えていた。孤独も絶望も、悲哀も、不信も、街のあちこちの暗がりに身をひそめたまま、誰にも温められずに年を越すのだ。

 私はウィスキーを口に含んだ。その晩はなかなか酔えなかった。

 その人は生涯に何度も引っ越しを繰り返していた。自分を捨てた母がいると聞いた町に引っ越したこともある。もしかしたら会えるかもしれない、と思ったからである。

 ─────会って、どんな話をするんですか。

 ─────自分を捨てたわけを聞きたかった。

 その望みはついに叶わなかった。すでに、両親とも他界したからである。その通知だけは、二回ともしっかりと受け取ったという。

 その人は、繰り返すが、立派に生きていた。きちんと働き、自分に誇りを持っていた、という意味で。ただ─────

 ─────ただ、どうしても人を信頼できないんです。

 彼はそうつぶやいた。

 ─────人を信頼できるようになるために、自分は生きているんです。

 その晩、雪はついに降らなかった。

 私はコートの襟を合わせ、肩を震わせながら帰路に就いた。

 

 

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節季

2018年12月18日 | essay

 早朝犬の散歩に出かけると、週に二度、軽トラックで野菜を販売している女性に出会う。商売気があるのかないのか、幟(のぼり)も値札もないから、最初は販売しているのか、ただ野菜を荷台に積んで憩っているのかわからなかった。しかし採れたてのものを百円ニ百円で売っており、量的にけっこうサービスしてくれるので、頻繁に利用するようになった。「にいちゃん、もう一束おまけしとくわ」という感じである。

 近所の老婆たちも、買い物に出なくても便利だと、一人、二人、集ってくる。彼女たちは、どちらかというと買うことよりしゃべることの方に時間を費やして帰っていく。男は私だけである。そのせいか、サービスもいい気がする。

 種類は多くない。二、三種類。あくまでも家庭菜園の販売である。小松菜が終わり白菜が出始めたと思ったら、今朝は南天の枝を売っていた。正月の飾り用らしい。どう飾るのかわからないが、一枝買い求めた。何でもいいのだ。犬の散歩に出かける前にニ百円ほどポケットに入れておくのだから、何かは買うのである。

 おかけで季節感をよりはっきりと感じるようになった。スーパーの野菜売り場を覗いて回っても味わえない感覚である。手押し車でやってきた、背の曲がった老婆が、私も顔見知りと挨拶してくれる。犬にまで挨拶してくれるようになった。犬は興味がないから知らんぷりだが。

 ふと、先日ふらりと入ったフレンチレストランのことを思い出した。雰囲気のある店内だったが、注文はすべてアイパッドでさせられた。「そこのボタンを押していただければ、厨房に注文が伝わります」というわけだ。料理はとても美味しかったので、できれば店員の顔を見て品を選び、感想を伝えたかった。アイパッドの方が能率がいいということか。それとも最近は、店員と会話することさえ嫌がる客がいるということか。

 人の顔を見る贅沢がある。そのもう片方に能率がある。AIがある。

 私はやはり、百円玉をポケットに入れて、軽トラに向かう方が性に合っている。

※写真は土岐市下石地区

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土岐市下石窯元巡り

2018年12月03日 | essay

 漆器とか陶器とか言い始めたら「年寄り」の始まりだとくらいに思っていたが、そろそろそれが始まったらしい。先月は木曽平沢の漆器祭りに行ったと思ったら、今月は美濃焼きの産地、土岐市の窯巡りである。

 とは言え興味本位の域を出ないから、美濃焼きの何たるかはよくわかっていない。温もりのある人肌色の志野焼や、緑の鮮やかな織部焼など、その産地の多種多様な陶器を総称して美濃焼と言うことは、本から学んだ。それくらいである。千円の花瓶と数十万円の花瓶を識別する自信すらない。それでも、たまたま土岐市の下石(おろし)地区というところにたくさんの窯元が集中してあることを知り、面白そうだから、雰囲気だけでも見てみようと思い立ったのである。

 雲一つない日曜日。午前八時に出発し、二時間半かけて松本から土岐市へ。よく知りもしない陶器のために往復五時間かけて行くのだから、我ながら変わり者だと思う。

 土岐ICを降り、まずは「志野・織部道の駅」へ。道の駅なのに、販売しているのはほとんど陶芸品である。品数の多さに思わず目を奪われる。値段の安さに二度目を奪われる。自宅に飾ってみたいものもある。使い込んでみたいものもある。じっくり見ればきりがない。

 後ろ髪を引かれる思いで道の駅を出、併設された織部ヒルズに向かう。ここは陶器の一大卸団地である(どうやら土岐は、陶器生産量日本一らしい。そんなことも知らなかった)。卸団地とは言っても、場所によっては店舗を構えて一般客にも販売している。ラーメン店主が店で使う器一式を買い付けに来るような所である。卸問屋ならではの雑多な雰囲気が、必要とされ大量に取引される陶器たちの充実した運命を垣間見るようで、なかなか感慨深い。しかし団地だからやたら広い。一つ一つ見て回ったらそれこそきりがない。

 車を出して、いよいよ下石へ。

(写真は下石窯元館)

 まず下石窯元館に立ち寄り、窯巡りについて尋ねる。初老の職員が、ここに車を置いて歩いて回ればいいと言う。───日曜日だからやってないところがほとんどだよ、それでもいいの?───ええ、町の雰囲気だけでも味わえれば───そうかね、じゃあ早めに行くといいよ。夕方になると途端に寒くなるからね───。  

 会う人会う人、みな気さくで親切である。土地柄であろうか。

 車を置き、町を歩く。細い道路がくねくねと伸び、車はほとんど通っていない。よくある田舎町と言えばそうであるが、なんとなくそれだけでないものを感じる。商店の看板や自動販売機すら見かけない。禁欲的なまでに簡素である。家は工房を併設しているところが多く、塀越しに覗くと、素焼きを待つ大量の器が干されたりしているのがわかる。一軒一軒は個人宅であろうが、扱っている器の数は膨大である。

 ここは完全に職人の町なのだ。受注されたものを作るために、日々働き、生活している。家の造りに見栄はない。自分たちの作り出すものが栄えればそれでいいのだ。

 町を縦断する用水路は深く、青い藻を縫うように小川がせせらぐ。庭の柿の木も紅葉も、控えめな色をささげて陽の光を浴びている。さすが陶芸の里だけはあり、陶製のものは至る所で目につく。道案内の地図も陶器ならば、道路標識も郵便ポストも陶器。裏庭の片隅には、ひび割れて商品にならなかった素焼きのかわらけが積み重なっていたりする。

 歩いていて意外と目についたのが、「とっくりとっくん」である。名産の徳利に目や口や手足をつけたキャラクターで、町のあちこちでいろんな悪さをしている。宴会を開いたり、本を読んだり、排水溝を覗き見していたり。町は静かだが、とっくりとっくんはその静寂を埋め合わせるかのように賑やかである。

 工房の中を見学することは、結局叶わなかった。もっと見学制度を整えたり、自宅に売り場を設けたり、ちょっと憩える喫茶店みたいなところが増えれば、観光客で賑わってくるのかも知れない。だが、おそらくそれを、この町は望んでいないのだろう。ただ心静かに、集中して仕事に取り組める環境が保全されることが大事なのだろう。

 こういう町に支えられて、日本の伝統文化が続いているのだ。

 散策中、「ポケモン・ゴー」とおぼしきものをやっている親子連れを除き、別の観光客に会うことはなかった。

 冬至前の日暮れに急き立てられるようにして町を後にした。あれだけ陶器を見た割にはさほど買い物をしなかったが、心に十分なお土産をもらった。

  

(写真は「とっくりとっくん」の一つ)

 

 いかに年寄りじみていると言われようとも、もうしばらく、器の世界を探訪しようと思っている。

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