た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

1月31日

2011年01月31日 | Weblog
 病院に義母を見舞う日が続く。病棟内の空調は完璧であり、暑くも寒くも感じない病室の窓から外の冬景色を見渡すと、外界のほうが何か非現実な一幅の絵画のように思えてくる。実際には病棟を漂う空気のほうがずっと人工的で、静けさに包まれた中にも不気味なほど不穏なのだ。


 小春日や 花と病と 孫の声
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三題

2011年01月20日 | essay
 先週の水曜日、仲間内三人でスキーに行く。仲間と言っても一人は還暦を過ぎ、一人は四児の父で四十を超え、私が三十代の後半に突入したところだから、親分と子分とそのまた子分といった観がある。「そのまた子分」である私がハンドルを握り、上二人は行きの車内から、スキー場から、帰りの車内、果ては二次会と称した夜の部まで、飲み通しに飲み続けるといったパターンは、毎年恒例のものとなっている。二人がロング缶をポパイのホウレンソウの缶詰のように次から次へと潰していく姿はなかなか壮観であり、そのことをここに詳しく書くつもりでいたら、週末に妻の母が脳梗塞で倒れて病院に運ばれてしまった。

 五体は達者なのだが声が出ない。なぜだがどうしても声が出ない。我々家族は動揺して病院を往復し、泣いたり励ましたり落ち込んだり、次女が青森から飛んできたりと、てんやわんやの騒ぎになった。世の中にはありえないようなふざけたこともあれば、ありえないような深刻な事態も当然ある。昨日の笑顔が今日の涙に変わることもあれば、その逆もまた然りであろう。母は現在元気を取り戻し、毎日リハビリに励んでいる。

 ありえない話題をもう一つ。今週初めに仕事場に出勤して水槽を覗いてみたら、ヤマトエビが二匹石の上に横たわって死んでいた。一匹だけ残っていたと思いこんでいたので、伴侶の存在に驚いたが、氷点下を軽く下回るこの寒さでヒーターも付けてやらなかったことを悔やんだ。それでも念のためと、ヒーターを入れて半日ほど放置してみたら、何と二匹とも蘇って動き回っているではないか。

 人生はつくづく不思議で予測のつかないものである。ここでいう「人生」には、エビ達のそれも含めたつもりである。
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初心

2011年01月06日 | essay
 気がつけば新年になっていた。家々の玄関には松が飾られ、立ち話をする人たちは年末年始という言葉を使い、そう言えば私も誰かにお年玉をあげ、どこかでおせち料理を食べた気がする。仕事に追われて意識が朦朧としていたのだろう。こういう、季節も暦もないような生活をいつまで続ける気なのか。

 山の端に まだ見ぬ景色を 思ふ春

 新年になり変わるものが壁掛けカレンダーと挨拶だけでは寂しい。今年こそは。今年こそは。
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