た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

NYへ(三日目)

2008年03月30日 | essay
 土曜日の朝は小雨模様であった。ニューヨークの雨は冷たい。宿の食堂でずっと新聞を睨んでいる人がいる。宿の前でトランクを肘かけにずっと佇んでいる人がいる。酔い覚ましに沈黙するにはまずまず悪くない朝である。

 メトロポリタン美術館に足を運ぶ。
 かつて私の恩師から、『ソクラテスの死』という絵画の印刷された葉書をいただいたことがある。哲学というややこしいものに傾倒していた時代のことで、恩師も哲学者であった。彼が絵葉書を購入した美術館に自分も赴き、彼の見た実物の絵を私も見上げてみようと思い立ったのである。
 私が「愛智」の学から遠ざかってもう五年が経つ。師の下を離れてから同じ年月ほど経つ。絵葉書はまだ私の机の上に飾ってある。 

 実物の絵は、私の想像していたものよりずっと小さかった。人々はその絵の前をどんどん素通りしていった。絵の前のソファーに腰掛けて小一時間睨んだあと、私は立ち上がってそこを出た。

    ☆ 

 宵の口に、ブルーノートの扉を押す。ジャズの殿堂である。まあ入ってみようかと思って入った。ライブにはまだ間があり、誰もいないカウンターに腰かける。テーブル席はナイフの音や話し声やらで賑わっている。しばらくバーテンダーを眺めながら酒を飲んでいたが、彼がまたずいぶんぞんざいな仕事をしていた。カクテルの作りもぞんざいならば、職場仲間との会話もぞんざいである。その代わり手は早かった。時間が経つにつれ混みあい殺到し始めた注文に対しても、まるでドラムを叩くように次々と裁いていた。なるほど、ここは従業員がすでにジャズなのだと感心した。やがて始まったライブよりバーテンダーの方がよほど面白かった。私の隣に夫婦が座った。聞けば奥さんはウラジボストーク出身のアーティストである。色んな話をした気がするが、そのころには酔いも相当回っていたので良く覚えていない。
 最後の一曲を残して店を出た。アーティスト夫婦にあと一曲なのにと言われた。店を出たら夜は相当更けていた。
 なんだか収まりがつかないのでもう一件、名前も知らないジャズバーに入った。客は少ない。テーブル席に座ってワインを飲む。
 やがてライブが始まった。
 どういう具合だったのか旨く説明できないが、そこでは感動を覚えた。酔っていたせいかもしれない。黒人のピアニストが鍵盤を回し、黒人の女性が天井に向かって歌っていた。あまり感動したので彼らが持参していたCD三枚全部を買ってしまった。あとのことは良く覚えていない。
 2時を過ぎる頃、宿に戻ったと思う。ベッドに倒れこむようにして眠った。上着さえ脱がずに寝入ってしまったことを、翌日の朝に知った。
 
 

(つづく)


 


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NYへ(二日目)

2008年03月23日 | essay
 ニューヨークの朝を迎える。二日酔いも時差ぼけもない。爽快である。二日酔いはともかく時差ぼけは朝ではなく昼に眠くなるものであることは、あとで知る。
 安宿をさらなる安宿に替えてから、世界貿易センタービルの跡地へ向かう。通りは通勤のサラリーマンたちでごったがえしていた。跡地内では巨大なクレーン車が大音響を立てている。やがてここに新しいメモリアルビルが建つのであろう。感傷に浸っている人などどこを見回してもいない。道行く人は跡地に目を向けようとしない。たとえ目を向けたとしても一瞬に過ぎない。街は古傷を好まない。街はクレーン車で傷口を塞ぐ。人は沈黙で塞ぐ。
 さらに足を伸ばして、波止場に自由の女神を観に行く。NYに行くならぜひ見てこいと知人に勧められたからである。言われるまで、私は自由の女神がNYにあることすら失念していた。
 自由の女神を見つけた、と思ったら人であった(写真)。その先で、ちゃんと本物の遠景に出会えた。なるほど立派である。評判通り手を上げている。女神を見つめるつもりでベンチに腰掛けたが、行き交う人ばかり眺めていた。一度中年夫婦にカメラのシャッターを押すのを頼まれた。こちらでは「チーズ」と言うのだろうと思い、「チーズ」と言ったら本当に二人声を合わせて「チーズ」と言い返してきた。おかげでシャッターチャンスを逃してしまった。
 自由の女神にさよならを言ったあと、タイムズスクエアに戻ってミュージカルのチケットを買う。『オペラ座の怪人』なら映画も観たし、筋もわかろうとそれに決めた。
 その頃ようやく時差なる睡魔に襲われる。一旦宿に戻って仮眠する。
 夕方再びミュージカルを観に出かける。劇場前のパブに入って腹ごしらえをする。カウンターの隣には弁護士が腰かけてビールを飲んでいた。白人の弁護士は物腰も柔らかく紳士然として見える。もっとも、日本人の弁護士はあまり会ったことがないからわからない。たぶんどこの国であれ弁護士というものは紳士然として見えるのだろう。テレビで流れていたバスケットボールについて彼と会話を交わした。
 パブを出てミュージカルの行列に並ぶ。街角を曲がってなお続くほどの長い行列である。何でチケットを持っているのに並ばなきゃいけないんだと後ろの人に訊いたら、当日券頼みの行列は別にあると言われた。
 舞台はさすがによくできていた。ただ、映画と同じ構成なので映画のほうが迫力がある気がした。アメリカ人の演技には、「ため」がない。すべてが流暢なので、何が起こるかわからない緊迫した静止時間がない。もっともこれは私の即席の演劇論で、実のところ私は演劇についてほとんど何も知らない。
 なぜだろう、と劇場を出て思った。
 夜の路上は小雨の跡で光っている。
 なぜだろう。感動がない。面白いが、感動がない。まるですべてが日常の連続である。
 街のせいとは思えない。おそらく私の中の何か。
 これが時差ぼけというものか。
 それとも────
 私はぎくりとして立ち止まった。
 ここには、あの人がいないせいか。
 あるいは、心の中にあの人がい続けているせいか。


 旅はときに何かに踏ん切りをつけるために利用される。それがうまく機能しない旅もある。機能しないほうがよいと、心のどこかで思える旅もある。
 リンゴを一つ買ってかじった。酸っぱくて思いのほか旨かった。

 (つづく)
 
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NYへ(初日)

2008年03月19日 | essay
 仕事で仕入れたいものもあって、一週間ほどニューヨークを旅した。マンハッタン島から一歩も出ない旅である。別に強く惹かれるものがあったわけでもない。まあ世界の中心なら一度は見ておこうと思った次第である。

 小さな旅ではあったが、いくつかの思い出が残った。忙殺の日常の復活が眼前に控えているが、折を見て少しずつ書き留めていければと思う。

       ★   ★   ★

 私の海外旅行はこれで三度目。一人旅は二度目。二度とも前日は友人と飲み明かして徹夜である。私が望んだことではない。どうも私の周りには、私一人がバケーションを満喫するなんて許せないと考える友人が多いようだ。

 さすがに身体がすっきりしないので、成田空港でシャワーを浴びる。思い起こせば前回もシンガポール空港でシャワーを浴びた。空港のシャワールームはなかなか好きである。ただシャワーのためだけの極めて簡潔な造りだが、目的がはっきりしていていい。旅の前に身を清める。ある人にとっては、旅の後に身を清める。いずれにせよ、多機能の集積である巨大空港の施設内において、自分もその機能の一部を淡々と稼動させているという満足感がある。

 飛行機の中では卒業旅行の女子学生二人組みと隣り合わせた。ナイアガラの滝を見に行くらしい。それからNYに移動してジャズバーへ。「ジャズってぜんっぜん知らないんですけど、でもニューヨークならジャズって感じ?」「それってWhat'sって感じ」などと随分気楽である。ああ、こういう肩肘張らない旅の楽しみ方もあるのだと少々うらやましく思う。私が肩肘張っているわけではないが、少なくとも寝不足で肩は凝っていた。

 彼女たちとはのち、帰りの空港で偶然再会することになる。

 NYには夜遅くに着く。準備不足が早速功を奏して、歩けど歩けど泊まるつもりの宿が見つからない。あんまり暗いところを歩くと黒人に声をかけられる。どうせ予約もしなかったことだ。持参した冊子にも載っていない安宿を見つけて入る。大体私の旅はいつもこうであるから困る。

 荷物を解くと夜の街へ。アイリッシュパブに二軒ほど入ったが、どちらも恐ろしく賑わっていた。一軒目では私の後ろで数人の男女が声高に合唱を始めた。なるほどここは世界の中心を自負する街だけあってエネルギッシュである。酩酊して宿に帰り着くと、恋の悩みを抱えて旅する日本人と出会う。仕方ないから彼を連れ出して一軒目のパブに再び入る。合唱組はまだ合唱していた。
 同国人の彼と何杯かのビールを挟みながら、恋について語り合った。彼の話を聞くつもりが、いつの間にか私の話を聞いてもらっていたように記憶する。別々の場所で起きた二つの歴史を共有し合い、慰め合い、励まし合う。それはしかし、不夜城NYにとっては欠伸ほどの短い出来事だったに違いない。

(時折つづく)
 
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旅の始まり

2008年03月13日 | essay
金も無いのに海外に行こうとしている。

春が私の尻を浮かせるのか、私の尻が春を待っていたのか。

明日が出発という今日、近所の飲兵衛二人組にスキーに招集される。
私が運転して彼らが飲んでお互いいい加減なことを声高に叫び合うという日程はこれで二回目である。どう考えても常軌を逸している。ついでにスキーもする。

帰宅後夜十時まで仕事をする。仕事終了後速やかに別な知人に誘われ、明日が早いからという私のせめてもの抵抗の言葉を聞き流されながら午後四時まで飲み明かす。どう考えても常軌を逸している。ついでにブログを更新する。

これから旅の荷作りをしなければいけない。私はまだ旅程分の靴下すらトランクに詰めていないのだ。


ここに至ってようやく気付いた。旅に昼も夜も無い。出会いの重さが旅の始まりを決める。今回の旅に関しては、それはすでにゆるやかに始まっていたのだ。
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脱確定申告

2008年03月07日 | Weblog
確定申告を終わらせた。あらゆる工作を断念し、まるで小学生の作文のように正直な申告書を提出し、その足で国家予算並みの(と少なくとも私には思える)税金を完納した。これでいいのである。ああ、ガラス張りのドアを押し開けて外へ出たときの青空のまぶしさよ。私は身ぐるみ剥がされ、自由を得た。明日からまた自転車操業の日々が待っていようとも、今夜は帳簿を枕にしなくて済むのである。


 いつかあなたは私のことを

              髪留めのように忘れるでしょう


 窓辺であかい日差しを浴びる

              髪留めのように忘れるでしょう


作りかけの詩に新たな一行を添えた。この詩が形を成すのはまだ先である。それでいいのである。世の中にはすぐに仕上げてしまうべきものと、必ずしもそうでないものがある。
 
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未確定申告

2008年03月04日 | Weblog
確定申告という、人生を何一つ確定しないで生きてきた者には地獄のような宿題のせいで、まあ確定申告だけのせいにはできないのだが、この数週間、日常から空いた時間というものが消えている。よってこのBlogの更新も滞っている。

  いつかあなたはわたしのことを

              髪留めのように忘れるでしょう

という詩の断片を思いついたが、その先も作れずにいる。
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