た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

かえで

2008年06月23日 | essay
 東京の友人夫婦がかえでの盆栽を送ってきた。

 彼らの結婚祝いに傘立てを贈った意趣返しらしい。

 小さくてシンプルなものをという彼らの要望を無視するかのように派手で大きな傘立てを送りつけたので、仕返しにこちらが扱いに困るであろう盆栽を選んだのだろう。

 盆栽というものがこの世にあることすら忘れかけていたところに、かえでの入った段ボール箱が届いたのだから、相当驚いた。彼らの目論見は成功したことになる。

 置く場所に困るから縁台を買う羽目になった。こうなったらこちらも本腰である。うまく育てて彼らの鼻を明かすしかない。盆栽のために庭を変えていくくらいの覚悟はある。

 和服を揃えるのもそう遠くない。
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` 、` 、` 、

2008年06月21日 | 俳句
罪人も待ち人も濡らす雨の音
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雑感

2008年06月13日 | essay
 狭い路地がある。
 自転車一台がようやく通るか通らないかという幅しかない。左手がトタン塀で、右手が背の高い植木である。これは私の家から二車線道路に抜けるときの話で、二車線道路から私の家に戻るときは、左手が植木で、右手がトタンになる。ふらふらと漕ぐと植木にぶつかる。景色なぞ何も見えない。緩やかなカーブを描いているから、前もさほど見えない。ただ不思議と日当たりがいい。斜めに差し込む日差しの暖かさを妙に実感する場所である。私は自分のことを閉所恐怖症の気があると認識しているが、なぜだかその道を通るのは心地いいのである。
 今日、自転車でその路地を漕いできたら、向こうから現れた作業着姿のおっちゃんが、「おっとおっと」とつぶやきながらわざわざ引き返してくれた。

              ・        ・        ・

 人生はどちらかというと、私の場合、だだっ広い荒野というより、どこに出るかわからない狭い路地を行くのに近い感覚がある。この道を自分で選んだか、選ばされたかは定かでない。引き返すには、ずいぶん進みすぎた嫌いがある。脇へ逸れるわけにもいかない。抜け出たところで何が待ち構えているか、大して期待もできない。ただ、今のところ、日当たりはまずまずである。それを良しとしようか。


 
    
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夜のカフェ(断片)

2008年06月05日 | うた
夜のカフェ&バーにはマントヒヒがいる。

鼻を伸ばして店員とヒヒヒヒ言っている。

夜のカフェ&バーには二羽のセキセイインコもいる。

鳥目なのでほとんど動かない。

夜のカフェ&バーにはシロナガスクジラがいる。

面白いけど流すよその洒落あんたさんいったいどちら。

(これ以降はまだ考案中)
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平和記念公園を訪れる

2008年06月02日 | Weblog
靴音に影はない

私の心に忍び寄る十四万の靴音に

ヒロシマの原爆資料館のそのとき

一日は過去を覆うアスファルトのように

逃れようもなく長く延びた。

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