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た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

4月19日

2010年04月19日 | Weblog
 桜が咲いたり雪が降ったりの不安定な天候がここ数日続いていたが、今日は穏やかな日和である。

 仕事と日常茶飯事に紛れて更新を怠っていたら、いざブログに入り込もうとしたときにパスワードを忘れてしまっている自分に気付いた。それを思い出すのにさらに一週間余り。呑気なことである。こちらが呑気にしている間に、世間ではブロクよりもツイッターとかいうものに移行し始めていると聞いた。ツイッターはまだ見ていない。そもそもこのブログも、友人の勧めで初めてその存在を知り、関わった次第である。パソコン本体は三台目で、去年ノートを新しく買ってみたのだが、いまだに使いこなせていない。パソコンそのものの何たるかを理解できていない。十数年前まで使っていたワープロのほうが自分には便利だったのではないかと本気で思っている。

 先日の日曜日は家族で温泉に行った。湯につかりながら、腕組みをし、自分は根本的に新しいものが苦手なのだろうかとしみじみ考え込んでしまった。しみじみ考えこんでいたら、ふと、先週も温泉に行ったことを思い出した。その前か前の前の週も行ったような気がする。まあ、感性が鈍いだけかもしれない。

 ところで新聞を広げると、本と本屋がなくなるとか、人に聞けば新聞も存亡の危機にあるとか、パソコンすら要らなくなってすべては携帯で済まされる時代が来るとか、携帯を持たない自分に至っては、もはや火星の話のような予測が飛び交っている。誰が欲望してこうなってきているんだろうと思う。たとえば、携帯で文庫本を読みたいなんて本気で思っていた人は何人いるんだろう。それができる時代になると、人々はそれを欲するようになる。携帯で歯磨きができるようになれば、おそらく人はそれをしたがるのである。

 ブログはまたぼちぼちと更新していこうと思う。来週末は温泉以外の過ごし方を考えよう。
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しずかなる疎遠

2010年03月05日 | Weblog
せみは抜けがらと化してもなお木にしがみつく。

私の文章に対する思いもそうでなければよいが。
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ドミノ

2010年02月17日 | Weblog
すべてがうまく動いているように見える日もある。
すべてがかみ合っていないように見える日もある。
つまりそれだけ料簡が狭いのだ、自分は。
この広大で複雑で驚嘆すべき世界の諸事象を
ドミノ倒しのように扱えるものと思い込んでいるのだ。


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子へ

2010年02月07日 | Weblog
君にヤサシサヲ教えるために

私はもう少し

自分をイジメテミヨウと思う

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スキーとビール

2010年01月29日 | Weblog
 近所の男三人でスキーに行く。私は夕方から仕事だが、他二名は一日休暇を取っているので、私が車を運転し、二人は往路からビールを飲みながらスキー場に向かう。この企画は二年前にもあった。二人のうち一人は寿司屋の店主であり、私の兄貴分である。一人は去年還暦を迎えたので、どちらかというと「親分」である。彼ら二人を前にすると、私は喜んでハンドルを握るのである。

 ただし、二年前は確か帰路のみが車内宴会だったはずだが、と内心思いながら、次々と缶ビールを開けていく二人を横目でちらちら眺めていた。還暦氏は「滑る前はこのくらいで止めておく」と言って一リットルで止めたが、寿司屋氏は二リットルを胃袋に入れて、「何だか酔っぱらった」などと言っている。

 目的地のスキー場に着く。午前八時にして雲ひとつない。三月の陽気を思わせるほど晴れ渡っている。雪質も悪くないみたいである。それなのに、車から降りた二人はスキー靴も履かずに腕を組んでうなり始めた。やはり酔いが回ったか、と勘ぐったが、これだけコンディションがいいのだから、もう少し足を伸ばしてもっと大きなスキー場で滑ろうと言い出す。そもそもあなた方は滑れるのか、と心中いぶかしく思いながら、私は「喜んで」とハンドルを回し、別なスキー場に移動した。

 確かに、恵まれた一日であった。乾いて適度な硬さのある雪質は抜群であり、無風であり、青空はどこまでも青かった。「親分」によれば、ここ十五年で見たことがないと言う。十五年、という区切りの由来が聞きたかったが、黙って頷いておいた。

 天候や雪質以上に驚いたのは、二人の滑りであった。上手なのは二年前に知っていた。しかしあれだけのアルコールを胃袋に収めておきながら、風のように飛ばしていく。チャンピオンコースの急斜面をノンストップで滑走する。さらに何よりも驚いたのは、二人の飲みっぷりである。十時に休憩と言ってはまた缶ビールを空ける。六缶くらい空にしたら、こんな雪質の日は滅多にないからと、また滑りに行く。十二時になれば昼食と言って缶ビールを空ける。また滑る。結局、膝が笑うまで滑った。そして帰りの車の中ではもちろん宴会である。

 世代の違いか、個人の違いかはわからない。だがやはりスケールの違いというものを感じた。彼らは仕事も知っているが、遊び方も知っている。遊ぶということは、「とことん」でなければいけない。年齢などそこではまったく考慮の対象にならない。最も若い私が、もしハンドルキーパーの責務を解かれたら、彼らと同じように飲みかつ滑ることができたろうか。いや、到底できまい。そこまでの体力がない。その体力は、遊びに必要であり、同時に、仕事にも大いに役立つものなのだろうけれど。

 ほとんど正気を失うほど酔った彼らを個々の自宅に送り届け、最後に私の仕事場に戻って車内を点検すると、食べかけのチーズかまぼこが転がっているのに気付いた。その半分欠けたクリーム色のスティックを手にして、そうだ、昭和だ、と妙に得心した。




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12月12日

2009年12月13日 | Weblog
小さき者のひたいに手を当てる。地球の内部もこのように熱かろうと想う。
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入れ子の箱

2009年11月04日 | Weblog
孤独はときに、不意に、入れ子の箱のような感覚で現れる。

外箱を一度開けば、その中にある箱も開けざるを得ない衝動に駆られる。

そのさらに中にある箱も、そのさらにさらに中にある箱も。

すべての箱を開けつくしたとき、最後の箱の中の、実に小さな空間が

孤独のそもそもの理由であったことに気づく。
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アイナントカハナイケレド

2009年07月24日 | Weblog
心に音楽の鳴る者は幸いである。
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5月11日

2009年05月11日 | Weblog
 日曜日の夕刻に街を散歩したら、見事な藤棚に出くわした。道路から玄関まで咲き乱れていて、この家に訪ねてくる人はずいぶん頭を下げなければいけないだろう。それからまたたらたらと歩いた。何人かの人に往き合った。猫にも出会った。人は必ず眼をそらすと思った。猫は必ず眼を向けると思った。不思議である。歩き疲れたころに寿司屋についた。贅沢するために歩いたのである。歩いたからと言って勘定が安くなるわけでもないから、あまり理屈に合わない。寿司屋でしこたま飲んでから歩いて戻る頃には、人も猫も藤棚も宵闇のどこかに消えていた。
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3月28日

2009年03月28日 | Weblog
いやあはたらいた、はたらいた。

やり残したことは

晩酌のあと ひと風呂浴びての 立ちくらみ。

いやあおつかれさん、おつかれさん。
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