ドアノブに手をかけようとして、私は硬直した。ドアノブの中で五本の指が握り締められている。再び私は、悪夢が現実であることを思い知らされたのである。私は現世の、まさしく何物をも動かし得ない。実存の度合いにおいて風以下なのだ。ふざけている。まったくふざけている。誰かが部屋に入って来るまで、私は囚人のようにじっとここで待たなければいけないのか。大学教授であるこの私が。いや今は教授ではないとしても、むしろ肉体を離れ超現実の自由を得たはずのこの私が。
冷静は打開を生む。今日当たり妻が実家から戻ってくる予定だから、あいつの帰宅を待っていればいいではないか。いやしかし、どうもあいつの顔なぞ見たくもない。いやいや、会ってとっちめてやらなければいけない、何しろあいつが下手人であるに違いないのだから。いやいやいや、と私は分裂する思考に苦吟して両手でひたいを押さえた。それとも、ただ、あいつに会いたいのか。ひと目会いたいだけなのか。今生の別れに。そこで愛する夫の死骸を見て驚きおののくあいつの表情を見て、私の邪推が誤解であったことに気づきたいのか。まさか。私は憤りのあまりひたいをこぶしで叩いた。むしろ、邪推が正しいことに気づかされ、二十余年前の愛が決定的に否定されるのが恐いのではないか。
ええい面倒な。異性との共同生活とは、しょせん邪推し期待し幻滅し納得することの繰り返しである。誰が犯人でも犯人でなくてもいいから、ここから出してくれと、私は窓から天井から、あらゆる場所を精査して、這い出ることのできそうな隙間を探した。
(つづく)
冷静は打開を生む。今日当たり妻が実家から戻ってくる予定だから、あいつの帰宅を待っていればいいではないか。いやしかし、どうもあいつの顔なぞ見たくもない。いやいや、会ってとっちめてやらなければいけない、何しろあいつが下手人であるに違いないのだから。いやいやいや、と私は分裂する思考に苦吟して両手でひたいを押さえた。それとも、ただ、あいつに会いたいのか。ひと目会いたいだけなのか。今生の別れに。そこで愛する夫の死骸を見て驚きおののくあいつの表情を見て、私の邪推が誤解であったことに気づきたいのか。まさか。私は憤りのあまりひたいをこぶしで叩いた。むしろ、邪推が正しいことに気づかされ、二十余年前の愛が決定的に否定されるのが恐いのではないか。
ええい面倒な。異性との共同生活とは、しょせん邪推し期待し幻滅し納得することの繰り返しである。誰が犯人でも犯人でなくてもいいから、ここから出してくれと、私は窓から天井から、あらゆる場所を精査して、這い出ることのできそうな隙間を探した。
(つづく)