peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

一関市「芦東山記念館」館長講座『真田一族の動向』を聞く! 2016年5月11日(水)

2016年05月11日 | 講演会

 

2016年5月11日(水)、一関市立芦東山記念館(大東町渋民字伊勢堂71-17)主催の平成28年度第1回館長

講座『真田一族の動向』と題する講演会が開催されたので、妻と共に聞きに行ってきました。(13:00~14:

30時)。現在放送中のNHK大河ドラマ『真田丸』に関係する話でもあり、とても興味深く聞いてきました。

配布された4ページ余のプリントを基に話がなされましたが、NHK大河ドラマを毎回観ているので、良く理解

することができました。ドラマはほぼ歴史的事実を踏まえて制作されていると思いました。

 テレビドラマは、真田信繁(通称・幸村)を主人公にした物語ですが、歴史的事実は武田信玄に仕え、真田家

の礎を築いた信繁の祖父の幸隆(幸綱)[一徳斎(いっとくさい)]辺りからしか記録に残っていないそうです。

その頃の真田氏は、信州(長野県)上田盆地一帯を支配した滋野党(しげのとう)の一員で、海野(うんの)氏

の庶流。 

天文10年(1541)5月、甲斐(山梨県)の武田信虎の海野平(うんのだいら)攻め[小県(ちいさがた)海野

平合戦]により、真田郷の真田幸隆(幸綱)は、宗家の海野棟綱(むねつな)と共に上野国(群馬県)へ亡命。

その後、武田信玄(信虎の子)に召し出される。

天文20年(1551)幸隆は調略(策謀)と奇襲で村上義清の支城砥石城(といしじょう)[長野県坂城(さか

き)町]を乗っ取る。その功績により旧領を回復、砥石城の山裾に城下町を作る。

天文22年(1553)真田昌幸(まさゆき、幸隆三男、信繁の父)は武田信玄の人質、小姓として仕え、その

後、頭角を現して武将となる。[幸隆(幸綱)には4人の男子がいたが、長男・信綱は、天正2年(1574)父の

死で家督を相続したが、二男・昌輝と共に天正3年(1575)の長篠合戦で武田信玄の先鋒となり戦死。三男の

昌幸が2兄死後真田家を相続。四男の信尹(のぶただ・昌幸の弟)は、天正10年武田家滅亡後、北条から家康

に仕えて幕府の旗本となる。]

天正2年(1574)5月、幸隆病死(62歳)。天正3年(1575)5月、三河(愛知県)の長篠合戦(織田信長

・徳川家康連合軍と武田勝頼軍の戦い)で真田信綱・昌輝の二兄が戦死したので、三男の昌幸が真田家を相続し、

岩櫃(いわびつ)城(群馬県東吾妻町)を拠点に活躍する。

天正8年(1580)、昌幸は安房守を名乗り、上野の名胡桃城(なぐるみじょう、群馬県沼田市)・沼田城を攻

め取る。昌幸は独立大名へと進む。

天正10年(1582)3月、武田勝頼自刃(37歳、武田氏滅亡)。昌幸は織田信長に従属。6月2日の本能寺の変

後、旧武田領は無主の地として徳川・上杉・北条三氏の草刈り場となったので(天正壬の乱)、昌幸は上杉景

に従属、7月、北条氏に属したのち、10月、徳川家康に寝返り、北条攻めに参加。

天正11年(1583)、昌幸、家康の支援を受けて上田城(上杉景勝の侵入防備のための前線基地)を築城。

天正13年(1585)、昌幸、沼田城の割譲を拒否して徳川氏から離反、上杉景勝に従属。同年閏8月2日、上杉

景勝と連携して、上田城を攻めた徳川勢を撃退、真田信之も奮戦する(第1次上田合戦、徳川勢7000人、真田勢

2000人)。この合戦後、豊臣秀吉に臣従し、大名として自立する。

天正14年(1586)、家康大坂城で秀吉に会う(秀吉に臣従)。秀吉、関東・奥羽の諸大名に戦闘行為の停止を

命ずる。(惣無事令)。

天正15年(1587)、昌幸、秀吉に従属。秀吉の命により家康の与力大名となる。

天正17年(1589)2月、信之は家康の許に、信繁は秀吉の許に人質として出仕(徳川・豊臣二分の芽生え)。

この年、秀吉の裁定で沼田城を北条に割譲。沼田城代の猪俣邦憲(いのまたくにのり)、名胡桃城主の鈴木重則

をだまして名胡桃城を乗っ取る。この名胡桃城事件が惣無事令に違反したと激怒した秀吉は、北条氏討伐を決定。

昌幸は前田利家を総大将とする北国軍に加わる。

天正18年(1590)7月、北条氏直、秀吉に降伏する。北条氏政・氏照兄弟は切腹、氏直は高野山へ追放されて

北条氏滅亡。秀吉、奥州仕置(奥羽仕置)に向かう。 

江戸に入った家康は、真田信之を沼田城主とする。ここで信之は父昌幸から独立して徳川大名となる。信之の妻

は徳川四天王の一人本多忠勝の娘小松殿(こまつどの、家康の養女)。

慶長5年(1600)、昌幸は徳川家康に従い、信行・信繁と共に、会津の上杉景勝討伐のため出陣。その途次、

石田三成から勧誘がきた。下野国犬伏(いぬぶし、栃木県佐野市)で、真田一族の去就を決断するために密談し、

昌幸と次男信繁(妻は石田三成の盟友大谷吉継の娘)は石田三成方、長男信之(妻は本多忠勝の娘)は徳川家康

方に付くことに決定する。このように一族が分裂したことを、通説では「真田存続の策」と言われているが、伝

説とみる考えもある。

慶長5年(1600)9月6日、昌幸・信繁は第2次上田合戦(徳川勢3万8000人、昌幸・信繁の真田勢2500人)

で、徳川秀忠勢をゲリラ戦術で撃退したが、9月15日の関ケ原合戦で三成方が敗れたため、昌幸・信繁は連座の

死罪を免れて紀州(和歌山県)高野山へ流罪。のち紀州の九度山(くどやま、和歌山県九度山町)に屋敷を建て

て移る(父子の助命は信之と本多忠勝の嘆願によるという)。信之は沼田領6万7000石に上田領6万8000石が

加増されて、13万5000石となる。

慶長16年(1611)昌幸、九度山で死去(65歳)。九度山での生活は困窮し、真田紐を織る。紀伊の庄屋や

豪農は信繁に好意的だったようだ。

慶長19年(1614)、豊臣家からの誘いを受けた信繁は、九度山を脱出して大坂城に入り、大坂冬の陣で大坂

城東南隅の真田丸で徳川方に大損害を与える。

慶長20年(1615)4月、信繁、大坂夏の陣で討ち死に。大坂城炎上。

元和8年(1622)10月、上田藩主の真田信之松代(当時は松城)13万石に転封(てんぽう)、大名として

存続する。真田信之は堅実で地味な現実的な生き方をし、性格は慎重で誠実であったが、内面は質実剛健と言え

る人物だったようである。万治元年(1658)、93歳で死去。なお、猿飛佐助・霧隠才蔵・三好青海入道などの

真田十勇士」は架空のヒーロー。しかし、現実には真田忍者の活躍があったことが知られている。(以上、

当日配布のプリントを基に作成。) 


一関市「花と泉の公園・ぼたん園」の牡丹(その7)錦の艶 2016年5月9日(月)

2016年05月11日 | 植物図鑑

2016年5月9日(月)、一関市「花と泉の公園」(一関市花泉町老松字下宮沢159-1)で開催中[4/29(祝)

~6/5(日)]のぼたん園ボタン(牡丹)の花を観に行ってきました。早咲き種をはじめ、既に沢山の牡丹の

花が咲いていて、充分堪能してきました。「ぼたんハウス」を過ぎ、「ぼたん橋」に向かう遊歩道付近の園内に

栽培されている「錦の艶(にしきのつや)」が今を盛りと花を沢山咲かせていました。 

(下4つ)別の場所に植栽されていた牡丹・錦の艶(にしきのつや):花の色が大分違います。

牡丹・錦の艶(にしきのつや)ボタン科 ボタン属 Paeonia suffruticosa 'Nishiki-no-tuya' 

花色:紅色に弁先更紗ぼかし、花形:千重の平咲きと盛り上げ咲きの中間、花の大きさ:大輪、開花

時期:中生種。特徴:樹勢は弱いほうで、鉢植えに向いています。[下記Webサイトより]

http://www.city.ogaki.lg.jp/0000009526.html [牡丹(ボタン)大垣市・かみいしづ緑の村公園]

http://hananotechou.web.fc2.com/page-botan/Nisikinotuya.html [ボタン・ニシキノツヤ(牡

丹・錦の艶)花の手帖の牡丹図鑑]

http://sekkouji.or.jp/zukan/botan/nishikinotsuya/ [錦の艶(にしきのつや):牡丹図鑑] 


一関市「花と泉の公園・ぼたん園」の牡丹(その6)春日山 2016年5月9日(月)

2016年05月11日 | 植物図鑑

2016年5月9日(月)、一関市「花と泉の公園」(一関市花泉町老松字下宮沢159-1)で開催中[4/29(祝)

~6/5(日)]のぼたん園ボタン(牡丹)の花を観に行ってきました。早咲き種をはじめ、既に沢山の牡丹の

花が咲いていて、充分堪能してきました。「ぼたんハウス」を過ぎ、「ぼたん橋」に向かう坂道付近の園内に

栽培されている「春日山(かすがやま)」が今を盛りと花を沢山咲かせていました。 

(下3つ)上とは別の所に栽培されていた牡丹・春日山(かすがやま)

牡丹・春日山(かすがやま)ボタン科 ボタン属 Paeonia suffruticosa 'Kasugayama' 

赤紫系、千重、大輪、二季咲き。

http://kono.my.coocan.jp/tree/kasugayama.html [牡丹・春日山:2011-4-27神奈川県フラワーセンター大船植物園にて撮影]  


一関市「花と泉の公園・ぼたん園」の牡丹(その5)豊楽門 2016年5月9日(月)

2016年05月11日 | 植物図鑑

2016年5月9日(月)、一関市「花と泉の公園」(一関市花泉町老松字下宮沢159-1)で開催中[4/29(祝)

~6/5(日)]のぼたん園ボタン(牡丹)の花を観に行ってきました。早咲き種をはじめ、既に沢山の牡丹の

花が咲いていて、充分堪能してきました。「ぼたんハウス」を過ぎ、園内に入ると直ぐの所に栽培されている

「豊楽門(ほうらくもん)」が今を盛りと花を沢山咲かせていました

牡丹・豊楽門(ほうらくもん)ボタン科 ボタン属 Paeonia suffruticosa 'Hourakumon' 

紫色系、紫色を含む、八重咲き、大輪の名花、中生種。[下記Webサイトより]

http://sekkouji.or.jp/zukan/botan/hourakumon/ [豊楽門(ほうらくもん):牡丹図鑑]

http://homepage1.nifty.com/tokuya/ver2/page/botan/murasakioyobikuroiro/hourakumonn.htm [椿華園の牡丹:豊楽門] 


一関市「花と泉の公園・ぼたん園」の牡丹(その4)芳紀 2016年5月9日(月)

2016年05月11日 | 植物図鑑

2016年5月9日(月)、一関市「花と泉の公園」(一関市花泉町老松字下宮沢159-1)で開催中[4/29(祝)

~6/5(日)]のぼたん園ボタン(牡丹)の花を観に行ってきました。早咲き種をはじめ、既に沢山の牡丹の

花が咲いていて、充分堪能してきました。「ぼたんハウス」を過ぎ、園内に入ると直ぐの所に栽培されている

芳紀(ほうき)」が今を盛りと花を沢山咲かせていました

 

牡丹・芳紀(ほうき)ボタン科 ボタン属 Paeonia suffruticosa 'Houki'

赤色系、千重、抱え咲き、中輪、咲き始めから真っ赤、中生種。[下記Webサイトより]

http://www.hanahiroba.com/fs/hanahiroba/botan_houki [牡丹 ぼたん 芳紀(ほうき)品種の特徴や剪定・肥料・育て方:庭木専門店の苗木販売 花ひろば] 

牡丹の解説
【花の大きさ=直径の数字】
牡丹の花の大きさの目安です。
庭植えの場合
鉢栽培の場合
巨大輪
約20~28cm
巨大輪
約15~22cm
大輪
約18~25cm
大輪
約13~20cm
中輪
約15~20cm
中輪
約12~18cm
小輪
約12~15cm
小輪
約10~13cm
【花形】
平咲き
一重咲き・八重咲きの花のふつうの咲き方
抱え咲き
八重咲き時に花弁数50枚ほどの千重咲きの花の花弁がめしべ・おしべを抱える形となって、花が開きすぎることのない咲き方。
盛り上げ咲き
千重・万重の花の内側の花弁が長くて、花の中心部が盛り上がった形に咲く花形。
詰め咲き
千重・万重の花の内側の花弁が小さく、詰め合う花形。
獅子咲き
非均整非対称の花に美しさを観るもの。定まった形はない。
ボタンの育て方

牡丹の栽培のポイント

  • 「百花の王」と呼ばれる牡丹。花色も品種も豊富にありますが、既成のラベルがないものが多く、より近い花色を示すラベルが苗木の取り付けられていることも多いです。実際の花色とラベルの花色が若干異なることがありますが、ご容赦ください。

  • 日当たりを好みます。よく日が当たり、寒風が避けられる場所で育ててください。

  • 牡丹苗は植え付け、植え替えは10月ごろが最適です。春にも植えられます。

  • 温度 牡丹は比較的寒さには強いですが、高温多湿に弱い性質があり、夏の気候が暑すぎるところでは生育が不良になりやすいです。
    寒い地方ほど栽培しやすく、暖かい地方ほど育ちにくいのは高温多湿の気候だからです。
    暑いからといってむやみに水をやらないようにしてください。 庭植えの場合はほとんど水やり不要です。

  • 土壌 多湿を防ぐために、植えつけ場所や用土は水はけをよくします。
    強い酸性の土壌は避けた方がいいでしょう。用土に有機質を多く加えると、極端に強いアルカリ性になりにくくよいものです。

  • 地面を盛り上げて、そこに、接木部分が土中に埋まるよう、深めに植えます。

  • 鉢植えの場合は8~10号のなるべく大き目の鉢を使います。

  • 肥料 牡丹は肥料食いといわれるように多くの肥料を必要とします。
    庭植えでは年4回与えます。寒肥(1月)・芽出し肥(3月)・お礼肥(5月)・新芽の発生期(10月)です。

  • 植え替えをしなかったり、株の周囲の土がなだらかになってきたら、株元に土を寄せておきます。こうすることで、牡丹の発根発芽を促します。

  • 花後は花柄を早めにとり、種を作らせないようにします。台木から出る枝はシャクヤク(ボタンの台木はシャクヤク)なので、早めに取り除くと良いです。