peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

奥州街道吉岡宿を訪ねて(宮城県大和町:その4) 2016年7月31日(日)

2016年08月05日 | 史跡、名所、

九品寺(くほんじ)から龍泉院の境内を通って奥州街道の曲がり角の所にやってきました。

(下)上町の奥州街道沿いにある(有)浅多商店に立ち寄りました。『国恩記』などを保管しているそうです。

(上と下)「大和町まほろば百選~未来への伝言~第二刊 人物編」(平成16年2月27日発行)より

(下)遠藤旅館の屋上に上がらせて貰って、四方を眺めてきました。

(下)「七ツ森」と呼ばれている山々が、遠くに見えました。「七ツ森」は県立自然公園船形連峰の最

東端に位置し、笹倉、遂倉、鎌倉、鉢倉、大倉、撫倉、松倉の七峰を総称する名称である。笹倉、撫倉、

松倉の三峰が旧宮床村、残りの四峰が旧吉田村に所属していました。「七ツ森」は昭和5年、地元紙河北

新報社が読者投票による「東北信風景・10景25勝」を募集した際、25勝の1つに選ばれ、それ以来有名

になった山である。

(上)吉岡宿本陣案内所到着 15:09時。1時間の予定が2時間近くになりまいた。猛暑の中、ありが

とうございました。

(下3つ)まほろばまちづくり協議会(会長・佐々木末治)発行「大和町まほろば百選~未来への伝言~」第1刊 史跡・名所編、第二刊 人物編、第三刊 七ツ森編(各400円)が販売されていました。 

 


奥州街道吉岡宿を訪ねて(宮城県大和町:その3) 2016年7月31日(日)

2016年08月03日 | 史跡、名所、

 

(上)「吉岡宿本陣案内所」から浅野屋跡などの前を通って直進すると、広い道(奥州街道)は直角に

曲がります。狭い道を真っ直ぐに進めば「龍泉院」や「九品寺(くほんじ)」に至ります。

(上と下)「奥州街道」は「矯正歯科」の所を直角に右に曲がり、直ぐに直角に左側に曲がっています。

(上と下)広い道(「奥州街道」)を左に曲がらず、真っ直ぐ進むと「不動堂」や「五間堀」があります。

(下)「奥州街道」を進んで行くと、間もなく国道4号線にぶち当たります。

 

 

(上)蓮台山九品寺(くほんじ):元和2(1616)年、伊達宗清公が居城を吉岡に移すのに伴い、

現在地に移され建立されました。境内には、江戸時代の吉岡宿窮民救済事業を伝える「国恩記顕彰碑」が

あります。

(下)山門を潜ってすぐ左側に「國恩記顕彰碑」が建てられていました。

(上)菅原屋篤平治の墓碑(左)と国恩記顕彰碑(右)。(下)国恩記顕彰碑(アップ)

(上)「國恩記とは」:江戸時代後期、吉岡で行われた窮民救済事業のおこり、

組織、運営、実態などに関わる諸資料をまとめたもので、宝珠山龍泉院八世栄洲

端芝(えいしゅう・ずいし)禅師=大和尚によって記されたもの。

(上)法名碑には9名の篤志家の名前が記載されています。①穀田屋 十三郎(こくだや・じゅうざぶろう)=高平十三郎、②穀田屋 十兵衛(こくだや・じゅうべい)=高平十兵衛、③穀田屋 善八(こくだや・ぜんはち)=高平善八元長、④早坂屋 新四郎(はやさかや・しんしろう)、⑤菅原屋 篤平治(すがわらや・とくへいじ)、⑥遠藤 幾右衛門(えんどう・いくえもん)、⑦浅野屋 甚内(あさのや・じんない)=遠藤周右衛門(えんどう・しゅうえもん)、⑧千坂 仲内(ちさか・ちゅうない)、⑨遠藤 壽内(えんどう・じゅない)。

http://www.town.taiwa.miyagi.jp/soshiki/soumu/kokuonki.html [国恩記(こくおんき)の人々:宮城県大和町公式ホームページ]

(上)この道を真っ直ぐ進めば龍泉院の境内を通って、(下)の歯科医院の所に出ます。


奥州街道吉岡宿を訪ねて(宮城県大和町:その2) 2016年7月31日(日)

2016年08月02日 | Weblog

2016年7月31日(日)、映画「殿、利息でござる!」のモデルである奥州街道吉田宿があった宮城県黒川郡

大和町吉岡に行ってきました。「吉岡宿本陣跡」に建つ「吉岡宿本陣案内所」内には、映画関係の写真やポス

ター、歴史的な資料が沢山展示されていました。予約をしていなかったにもかかわらず、ボランティアガイドと思

われる案内人に「十三郎コース(所要時間:1時間)」の案内をしていただきました。ほんとうにありがとうござい

ました!

(上)「吉岡宿本陣案内所」13:12時出発。すぐ脇の「吉岡八幡神社」が正面に見える道を真っ直ぐに

進みます。

(下)大和すぎのこ保育園の右手方向に6階建ての遠藤旅館が見えました。(このコースの最後に屋上

から「吉岡宿」全体を眺めさせていただきました。13:18時)

 (下)安倍書店の店先に映画「殿、利息でござる!」の原作本である磯田道史」著『無私の日本人』

広告がありました。(13:21時)

 

(下)中町との境にある広い道路沿いに、この映画の主人公である穀田屋十三郎穀田屋がありました。

(13:24時)

(上)映画の原作本の著者・磯田道史さんサイン入り色紙が展示されていました。

(上)空き地になっていた「エンドーチエーン」社有地。(13:30時)

(上)ショーウィンドウに展示されていた吉岡八幡神社・島田飴

(下)9名の篤志家の一人・菅原屋篤平治の茶店(13:37時)

 

(下)「吉岡宿本陣案内所」前に戻りました。これから上町の広い道を進んで浅野屋跡に向かいます。

(上と下)9名の篤志家の一人・浅野屋甚内(周右衛門)の屋敷跡は瀬戸医院

屋敷内にありました。(13:50時)

(上と下)このコースの最後に案内された遠藤旅館(大和町吉岡字上町20)。6階屋上から眺めた吉岡宿

全方向の眺望は素晴らしいものでした。

(下)映画の題をもじった「殿、コーヒーでござる!」

(上と下)有限会社・浅多商店:この店はスルーしたのかと思ったら、帰りに立ち寄り内部を詳しく見せ

ていただきました。(13:55時)

 


奥州街道吉岡宿を訪ねて(宮城県大和町:その1) 2016年7月31日(日)

2016年08月01日 | 史跡、名所、

2016年7月31日(日)、映画「殿、利息でござる!」のモデルである奥州街道吉田宿があった宮城県黒川郡大和町吉岡に行ってきました。「大和町(たいわちょう)」は、昭和30年、吉岡町、宮床村、吉田村、鶴巣村、落合村の合併によって生まれた町です。新町名を決定するに当たり、旧町村名が消滅する痛みを共に分かち合い、旧町村名とは関係のない全く新しい町名を選ぶことになったそうです。その結果、新町は大同合併であり、関係住民の和を育むことを祈願し、「大和町」と名付けられたそうです。

(上)吉岡宿本陣があった場所に「吉岡宿本陣案内所」が設けられていて、数名の案内者が待機していました。

中に入るとすぐに暖かい煎茶がふるまわれ、吉岡宿などの説明をいただきました。「案内ガイドは要予約」ということでしたが、予約していなかった私たち夫妻も一緒に連れて行っていただくことになりました。展示物などを午後1:30時の出発時間まで詳しく見させていただきました。

(下)吉岡宿本陣案内所の前に、10台は駐車できる無料駐車場があり、運良く駐車することができました。

 

 

 

 (下)映画「殿、利息でござる!」の原作は磯田道史(いそだ・みちふみ)著『無私の日本人』所収「穀田屋十三郎」(文春文庫刊)定価:本体590円+税。穀田屋十三郎役の阿部サダヲさんと磯田道史さんのサイン入り色紙。