ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

良き指導者とは

2013年01月11日 | Weblog

 

ここのところ話題になってるのが、大阪で起こったバスケ顧問の暴力による生徒の自殺事件。多分同じようなことが常態化している学校は多いと思うが、自殺でもしないと問題化しないのは、一種の必要悪のように思われているからなのではないだろうか。体育会系の体質は、軍隊の体質と同じで、暴力による絶対服従が基本にある。と昔だったら断言したが、今はそれほどでもないとは思う。が、何処かにその体質を引きずっているのであろう。それを統制がとれていると喜ぶ人もいて、そういう体質も好き嫌い分かれるようだ。

そして、運動部が強くなるようなところには、強くすることに長けた指導する教師が存在するというのがこれまた事実で、そういう指導者は、学校を移るごとに移った先のクラブを強くする。こういう現実をみると、指導力の差は大きいと思わざるを得ない。全員が体罰をするのかどうかは分からないが、厳しい指導であるというところはほぼ共通する所ではないだろうか。最悪なのは、厳しいだけで大して強くもならないところ。それが指導力の差、或いは人間性の差によるものなのかは不明。実際見ててどうなのかと疑問に思ったのは、小学生のバレーチームの監督の態度を見たとき。兎に角大声で怒鳴りっぱなしで、生徒が萎縮していることだけは分かった。自分の鬱憤を小学生相手にぶちまけてるのでは、と思ったくらいだ。あれはどう見ても良い指導者ではないと思ったが、あの手が多いのも日本の運動部の世界の特徴ではないだろうか。

今回の顧問が指導力があったのかどうかは知らないが、過去と同じようにやってたと考えるのは自然なことだ。本人からすると何故こうなってしまったのか、ではないだろうか。個人的には、体育会系の教師は何ゆえあんなに偉そうなのか、と反発しか感じないので、これを契機に少しは変ればいいと思うのだが、スポーツの注目度が上がれば上がるほど、強くしたいと思う圧力も増し、指導者はどんどん偉くなるのであろうと考えられる。

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