大自然の芸術作品という言い方をされる写真が今日のような写真、だと思うが、大自然の方からすると何も芸術作品になろうと思ってこうなってるわけではない。人間が勝手にそう思ってるだけのことである。しかもそれは、勝手に思ってる人間がそれをそう捉えて発表し、そう思って見る人の間でのみ成立するという、極小世界の出来事に過ぎない。まず切り取る方の恣意性があり、見るほうは大体タイトルで(今回であれば例えば永遠でもいい)芸術の準備をする。いずれにしろ、両者芸術的というステレオタイプを共有して幸せな関係が成立するわけである。
と、そんなことを考えての今日の写真だが、これは田んぼに積もった雪が風などの影響でこうなったと思われる(大自然的ではないが)、砂丘の風紋などと同じ類のものだ。こういうものを見て面白いと思うのは間違いなく人間だけだ。さらにこれが美しいと感じたならば、それなりの美の基準があるということになる。そもそも美しいとはどういうことか、などというのはこの際置いといて、こんな日日の美の体験を積み重ねて、それを抽象化して表現できるのが芸術家なのかもしれないが、そんなことを考えようが考えまいが、こういう風景はただいつものように存在しているのである。