ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

役者の存在感

2013年01月13日 | 映画

 

今朝はマイナス5度ちょい、このくらいだと寒い!というレベルではないのだが、寒いことは寒い。

小津DVDセットの「父ありき」を観た。不思議に感じたのは、この映画、製作が1942年と戦争真っ只中に作られたのだが、普通この時期の映画だと間違いなく戦争の影を感じるのだが、これが殆どないのだ。戦争中にも変らず小津の世界を押し通しているのは、ひょっとすると、小津の戦争に対する抵抗の表れかもしれない、と観てて思った。父親役の笠智衆はこの時38歳で一人息子役の佐野周二(関口宏の父親)が30歳となんとも面白い組み合わせだが、笠智衆が本当にそう見えるのは彼の人間としてのキャラクターのなせる業であろう。いつ見ても思うが、役者は上手い下手ではなくその存在感が重要である。たまたま昨日テレビで三船敏郎について触れていたが、彼も決して上手い役者の類ではなく存在感が光る役者の代表かと思う。

最近、存在感のある役者が減ってきたとよく言われるが、これは殆どテレビのせいと思われる。テレビでは器用な役者が望まれる(そして使い捨て)。喋らず光るなどという役は必要とされてないのでこうなるのも仕方ないのだ。映画俳優の神秘性というものも、遥か昔の言葉となってしまったのだ。

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御神渡り

2013年01月12日 | Weblog

 

諏訪湖の御神渡りができそうということで、毎朝神社の総代が観察に駆り出されている。朝早くご苦労さんなことである。最終的には神主が判断するのだろうが、果たして今年はどうなるか。出来たとなると全国版のニュースでも流れ世に知らしめられるので、結構見物客が全国からやって来る。しかし、期待するほど凄いものではないということは一応言っておかないといけない。確かに昔は、1メートルを越えるものも珍しくなかったが、最近ではせいぜい2~30センチ。決して見て凄いと思うようなものではないのだ。単なるひびに見えなくも無い。ただ、神事という付加価値が伴っての有難い自然現象、と思えばその価値も増す、かも知れない。

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良き指導者とは

2013年01月11日 | Weblog

 

ここのところ話題になってるのが、大阪で起こったバスケ顧問の暴力による生徒の自殺事件。多分同じようなことが常態化している学校は多いと思うが、自殺でもしないと問題化しないのは、一種の必要悪のように思われているからなのではないだろうか。体育会系の体質は、軍隊の体質と同じで、暴力による絶対服従が基本にある。と昔だったら断言したが、今はそれほどでもないとは思う。が、何処かにその体質を引きずっているのであろう。それを統制がとれていると喜ぶ人もいて、そういう体質も好き嫌い分かれるようだ。

そして、運動部が強くなるようなところには、強くすることに長けた指導する教師が存在するというのがこれまた事実で、そういう指導者は、学校を移るごとに移った先のクラブを強くする。こういう現実をみると、指導力の差は大きいと思わざるを得ない。全員が体罰をするのかどうかは分からないが、厳しい指導であるというところはほぼ共通する所ではないだろうか。最悪なのは、厳しいだけで大して強くもならないところ。それが指導力の差、或いは人間性の差によるものなのかは不明。実際見ててどうなのかと疑問に思ったのは、小学生のバレーチームの監督の態度を見たとき。兎に角大声で怒鳴りっぱなしで、生徒が萎縮していることだけは分かった。自分の鬱憤を小学生相手にぶちまけてるのでは、と思ったくらいだ。あれはどう見ても良い指導者ではないと思ったが、あの手が多いのも日本の運動部の世界の特徴ではないだろうか。

今回の顧問が指導力があったのかどうかは知らないが、過去と同じようにやってたと考えるのは自然なことだ。本人からすると何故こうなってしまったのか、ではないだろうか。個人的には、体育会系の教師は何ゆえあんなに偉そうなのか、と反発しか感じないので、これを契機に少しは変ればいいと思うのだが、スポーツの注目度が上がれば上がるほど、強くしたいと思う圧力も増し、指導者はどんどん偉くなるのであろうと考えられる。

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真冬の生き物

2013年01月10日 | Weblog

 

真冬になってよく目に付く生き物は、鳥類である。それには、他のものがいなくなり相対的に増えるのと、冬鳥として飛来するのも多く、木々が枯れて単に目に付くという理由もあるのだろう。というわけで、川にいたのはアオサギ。通年目にする珍しくも無い鳥だが、警戒心が強くある距離以内には近づかさせてくれない。

更に近付こうとしたら早速飛んでいった。オオバンとのツーショット。

降りた先にも鴨が。

虫類は、余程落ち葉を掻き分けたり、幹を剥がしたりしないといないのだが、蓑虫は防寒仕様なので外気に晒されても大丈夫。

見つけた哺乳類1。

哺乳類2。

発見の喜びは伴わないが、これも欠かせない生き物である。

諏訪湖はほぼ氷っている。多かったのはこの何とか鴨。

アップで一枚。

僅かに残る水面ではこんな何とか鴨も。

あと多かったのは、喜ぶ人もいないであろうカラスだった。

 

 

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ジェラール.ドパルデューについて

2013年01月08日 | Weblog

 

フランスの有名な俳優、ジェラール.ドパルデューがロシア国籍を取得したというニュースを聞いたときは何故にと思ったのだが、その理由を聞くと、なるほどねと納得する。彼はそもそも俳優というより実業家としての面が今は強いようで、フランス国内の富裕層に課せられそうな税率75パーセント(確かに高いが)を回避するために税の低いロシアに逃げた(とフランス国内では思われているだろう)だけのことだったのだ。実際、ロシアの民主主義はすばらしいなどと言ってるところを見れば、益々そう確信する。それだけ稼いでいるのなら少しは社会に還元すればいいのに、と思うような人は多分富裕層には一生なれない人たちなのだろう(自分も含め)。これは富裕層の典型的な行動形態なのである。

彼らは、自分の稼いだ金は、一銭も失いたくない。兎に角増えれば増えるだけ嬉しくなる人種なので、世の中のために役立てようなどと言う発想はそもそもないのである。使うのは、飽くまでも自分の快楽のためだけ。彼らの言い分には、怠惰な人間のために何故自分の金を出さないといけないのかというのもある(一理ある)。そして、自分で稼いだ金について他人がとやかく言うのはおかしいとなるわけだが、それは確かにその通りで、今の世の中の制度の範疇であれば問題ない行為なのだ。が、セコイやつだと思われるのも仕方ない。そういう行為がセコイのだからそう言うしかない。資本主義の行きつく先はこういう人間を次から次と生む世界(これを経済の活性化と言う)だと思うが、そんな資本主義的価値観ばかりではない対極的価値観(そういう行為をセコイと思う)が生まれるかどうかは、結局その国の文化の豊かさにかかってるのだろう。

ついでに、ブリジット.バルドーもロシア国籍取得を申請しているらしいが、これはフランス国内の象殺処分に抗議してのことらしい。相変わらずの動物愛護原理主義で、こっちは勝手にすればという類のニュースであった。

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小津DVDセット

2013年01月07日 | 映画

 

小津のDVD9枚セットの内わけは、「東京物語」「麦秋」「晩春」「父ありき」「風の中の牝鶏」「一人息子」「戸田家の兄弟」「お茶漬けの味」「長屋紳士録」だ。この中で観たことないのは「父ありき」「長屋紳士録」の二本、だと思う。何故思うとしたかというと、ひょっとしたら観てるかもしれないからだ。小津映画は、タイトルと中身が記憶の中ではごっちゃになっているのが多いので、取り敢えず観るまでは観たかどうかははっきりしない。元々物語としては血湧き肉踊るという類のものではないので(どれも似たようなものといえば似たようなもの)、その点では印象は薄い。だから筋だけで楽しもうと思えば、こんなに詰まらない映画もないかと思われる。しかも分かり易い大袈裟な感情表現も一切ないし。が、ここがテレビドラマとは大きく違うところだが、そこにはショットの力と言うものが充溢しているのだ。物語自体は静謐の中、淡々と進んでいくのだが、不意に撃たれるショットの快感、とでも言いいたいような魅力が小津映画にはある。だから、既に観たものでも観る度に楽しめるわけなのである。そして常に新しい発見がある。

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1月6日

2013年01月06日 | Weblog

 

今朝はマイナス8.2度、昨日よりは暖かいのだが、肩周辺が寒かった。どうも寝てるときの態勢などで寒さの忍び寄り具合が変ってくるようだ。

世間では今日まで正月休みの人も多いようだが、この時期の長期休暇は元に戻すのが大変なので、長期は果たして良いのか悪いのか、と思う。一番良くないのは、何と言っても家の中でのテレビ漬けだろう。腐ったような特番攻めは頭の中まで腐りそうだ。ボーっとした頭と体を引きずりながらの明日からの仕事は、さぞかし苦痛だろう。

そう言えば去年買ったトマス.ピンチョンの「競売ナンバー49の叫び」、最初の10ページを読んで以来全く読んでいなかった。単行本のくせに、字が文庫本並に小さいからなかなか読む気になれない、というのは単なる言い訳。本当は、さあ読むぞという気になれないに過ぎない。読書というのも波があり、習慣化しないとなかなか読めないものだ。そして、作家の文体が自分のリズムに同調すると一気に進む。それは本との真の邂逅の瞬間であり、それこそが読書の醍醐味なのである、などと教科書にもありそうな「読書の勧め」のような文章を臆面も無く書いてしまったのでござる。

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初映画

2013年01月05日 | 映画

 

昨日は最高気温マイナス1度で真冬日だった。寒い!そして今朝はマイナス10.9度。それを見越して、毛布布団の組み合わせを変えたら、寝てるときは寒さは大丈夫だったのが、最低を記録したのが7時台だったので、果たしてこの組み合わせが極寒に有効なのかは未だ分からない。部屋の窓の内側には氷の結晶がきれいにできていた。一番の問題は部屋自体が寒いことなのである。

今年初映画はLooperという、タイムマシンを題材にした娯楽映画。題材そのものも好きではないが気楽に見られるものをと選択した。ブルース.ウィルスが主人公の30年後の役。主人公が自分の30年後と対面する状況となり、様々な矛盾をどうにか解決しようと試みるの映画の内容。多くのタイムマシン物のお決まりと言えばお決まり。どうやっても解決できないのだが、この辺りを想像力で膨らますのがこの手の映画の真骨頂なのだろう。元々SFものは好きではないので、この映画も後半はすっ飛ばした。ただ、理屈に無理はあるが、映画自体がしょぼい(安っぽい)ということは無い。

しかしネットでこんな映画(しかも無料で)ばかり見てても仕様がないと思い、前から買おうと思っていた小津安二郎のCD大全集9枚組みを注文した。9枚組みと言っても1957円。安くて申し訳ないくらいである。

 

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ドキュメンタリーのタレントリポーターについて

2013年01月04日 | Weblog

 

今朝は物凄く寒かった、と思って確認するとマイナス8.7とそれほどでもなかった。その割には寝てるときかなり寒く感じたのは何故だろう。単に寒さに弱くなってるからか。或いは防寒対策が今一つだったのだろうか。

今年の三が日は、タレントが出てきて大騒ぎの番組は一切見なかった。年末特番と同じく正月の風物詩として楽しみにしている人もいるかもしれないが、本当、見る気が起きない番組である。結果、BSということになるのだが、昨日は黒木瞳がフランス料理を探るというドキュメンタリーをやっていた。パリの高級三ツ星レストラン(ブリストル)やブルゴーニュ、ボーヌのビストロを紹介したり、パリの家庭にお邪魔して普段どういうものを食べてるかを探ったり、小学校での有名シェフ(ギ.マルタン)によるフランス料理の授業風景など盛りだくさんの内容ではあった(黒木瞳の料理に対する感想があまりに貧弱だったが)。

しかし、一つだけこれは止めてほしいというものがあった。それは、ブルゴーニュのビオワイン生産者の家にお邪魔して、そこでのパーティーに自分の料理を振舞うというよくある企画のことだ。現地の郷土料理をいろいろ食べる事の方が番組の趣旨だろうに、何故わざわざ自分の得意料理(多分)である如何にもな家庭料理を披露する必要があるのか。企画自体いらないが、今回はその料理自体が更にひどかった。材料を見て嫌な予感がしたが、それは大当たりだった。一つはお好み焼きで、もう一つはめんつゆを使った明太子スパゲティだったのっだ。二つとも家庭料理ではあるが、どっちもジャンク系としか見えない。ワインに合うとも思えないし。何だか得意そうに作っていたが、方やワイン文化に根ざした郷土料理、方や日本のB級料理、見てて恥ずかしくなってしまった。こういう番組は必ず女優などのリポーターを使うが、ほぼ全てそのリポーターのおかげで内容は薄くなる。結局この手の番組は、リポーターが色んな服装で出てくる姿そのもののほうが重要なのだろう、と見るたびに思うのだった。

 

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グルを探しながら初詣

2013年01月03日 | Weblog

 

今年も、あわよくばグル(オオワシ)に遭遇できればと、旧道を歩きながら諏訪大社(下社)に初詣に行った。ここのところ気温も緩めで、今日も(2日)零下にはなってないので歩くと汗ばむほど。流石に旧道もここら辺りから歩く人はいない(約6キロコース)。

これは旧道から入ったわき道にあった無用庇。本年第一号のトマソン。

諏訪市と下諏訪町の境辺りになると、家もまばらでこんな風景も。

唯、残念ながらグルの気配は一切なく、大社に到着。結構人は多い。

いつもならここでケバブ屋に寄るのだが、今日はスルー。この屋台だけが並んでいた。

 

そして帰り。本当は電車のつもりだったのだが、次の電車の時間には結構あったので帰りも歩くことにした(湖畔に向かう途中、電車が走って行ったのでおかしいと思ったら臨時列車があったのだった、失敗した)。ということで、帰りは湖畔の道を。相変わらずグルはいない。いるのはいつものメンバーのオオバンや何とか鴨。

このバズーカを構え待機している人たちは、グル狙いのアマチュア写真家。場所は決まっている。

これがバズーカ。高そう。

どうやらこの時間には、何処にも姿は見えないようで彼らも待機しかないようだ。あわよくばのこちらとは違い、朝から何時間も粘っているのだが、凄い執念である。そこから暫く行くと今度は違う人だかりがあった。これは間欠泉待機の人たちであった。ここは上がる時間が決まってるので、それに合わせていたのである。丁度上がったのでその様子を。

これだけのもである。一言、ショボイ。最後にれではあんまりなので、冬らしい光景を。

 

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