ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】量子力学の世界

2006年03月28日 20時18分36秒 | 読書記録2006
量子力学の世界 はじめて学ぶ人のために, 片山泰久, 講談社ブルーバックス B-101, 1967年
・湯川秀樹の愛弟子による書。読んでみると、何の変哲もない量子力学の入門書に思えますが、発行年を考えるとこの本は、一般向けの量子力学入門書としてはかなり早くにでたものと考えられます。当時の人びとにとっては相当目新しい本だったのではないでしょうか。
・量子力学分野の研究をしているA教授と、その友人であり量子力学に興味をもった門外漢のB氏との会話形式で話は進む。 
A「なるほど、コーヒーを飲んでいる気もちで量子力学をか。これはちょっと難題だね……。」」p.19
会話形式なので、文章はやさしく話はサクサクと進みますが、そこで扱われる概念はヘビーです。なかなか一度読んだだけで、目に見えない世界の様子を頭に描くのは難しく、きちんと理解するためには2~3回読み返しが必要かもしれません。
・「核の分裂・融合反応が人類の得ることのできる最後の火とはかぎらない」p.17
・「この進歩の原因はいったいなんだろうと考えてみた。たしかにいろいろの要素はあるのだが、どんな科学の分野をつきつめていっても、結局、電子とか原子、分子というところまでいくらしい。(中略) 電子や原子をよく知ろうと思ってしらべると、今度は量子ということばにつきあたる。つまり、現代社会をゆり動かす巨大な理論的支柱、というよりは大黒柱の一本に、この量子力学があたるのではないだろうかと考えた。」p.20
・「1884年、女学校の教師をしていてそろそろ還暦を迎えようとしていたバルマーは水素のスペクトルのなかにあらわれる四つの可視光線、赤、青、ふたつの紫の間に簡単な関係があることに気がついた。」p.72
・「昔、ギリシアでは自然の美しさは整数であらわされるという考えがあった。その証拠として、美しい音をかなでる弦の波が整数倍の波長をもつことがあげられた。」p.92
・「電子の波はその行動をシュレーディンガー方程式とよばれる数式によって定められることになった。」p.95
・「古い理論は皮袋であり、新しい理論は望む酒である。」p.97
・「ざっとふりかえると、まず熱せられた物体の光のことから量子の考えが生まれ、次に光電効果をとおして光量子にまとめられた。問題は原子の出す固有な光に移り、原子の模型に関係して電子が問題になる。ここで筋はふたつにわかれて、一方で電子をつっこんで考え、他方ではもう一度光のスペクトルを考え直して、量子力学の骨組みとなるふたつの理論が生まれるが、結局それは同じものだったということだね。」p.99
・「量子力学では原理的に測定できる量をオブザーバブルとよんでいる。位置、時間、運動量、エネルギー等すべてオブザーバブルである。」p.110
・「つまり、こういってよいね。電子は"粒子"であるとする。ところが"粒子"として確かめられるはずの位置と運動量が同時には確かめられないから、"粒子"とはいい切れない。そこでこの不確かさを認めていろいろの場合の電子の動きを考えると"波"の性質が説明できるというわけだろう。」p.111
・「大分ややこしくなったけれど、つまりは量子力学は単に不確かさを主張するのではなくて、今までと別の確かさをつかまえた。それが状態とよぶものだ。それは相互に邪魔せずに測れるものを、そろえればそろえるほど、不確かさなしにきめられるというわけだね。」p.117
・「この考えはおかしいのではないか、というのがアインシュタインの意見だ。彼は同じ電子について相手を変えずに、位置も測れるし運動量も測れることを示して、それぞれの量に関係した"ある"という要素が確かめられる以上、そのふたつの同時存在をゆるさない量子力学は間違っているといい出した。」p.120
・「電子はたしかにその変わりかたが今の場合問題にならぬように見えるけれど、われわれが本当に知りたいのはこの次に何が起こるかということだ。それなしに電子の存在は意味をもたない。」p.122
・「量子力学にはふたつの柱がある。ひとつはエネルギー図を書くこと、もうひとつは確率分布をあたえる状態をきめること。このふたつがおぎないあっていろいろな問題を解いていくわけだ。」p.135
・「結局、量子力学は一匹の猫の偶然的な運命を認めながら、一匹の猫の背後に多数の猫を想像して、避けられない必然の未来を追及しているのだというわけだ。」p.138
・「このような一方的な時間の向きを指定する基本的な法則は何もない」p.140
・「これを彼(ノイマン)は混合状態と名づけた。もし、観測者が気づかずにいれば、こういう経過によって混合状態はますます純粋状態からはなれて、相手に対する知識は乱雑になる。これが時間の向きが出てくる仕組みだというわけだ。」p.142
・「つまり人間の自意識が自然を支配しているということになるね。」p.144
・「気体の中では分子がバラバラな運動をしているために、統計的な取りあつかいができた。逆の場合は固体で、ここでは分子が規則正しくならんでいて、非常によくしらべられておもしろいことがたくさんある。ところが、中間の液体は一番しまつにおえなくて、特別な場合をのぞいては、これといった結果が出ていない。」p.172
・「世界と反世界が遭遇すると、瞬時にばくだいなエネルギーとなって消えることも空想できるわけだ。」p.211
・「朝永は寛大にも、無限大の質量を本当の質量の値に、無限小の電気量を本来の値に見たててやる方法を考えた。これなら本当の観測とつじつまは合う。この読みかえのことは"くりこみ"と名づけられた。」p.216
・「江崎ダイオードの出現は、不純物による製造上の欠陥をなくしてしまった。まだじゅうぶんには実用化されていないが、トランジスタの壁を破る可能性をもったものだ。」p.218
・「絶対零度の近くの液体ヘリウムでは、すべての原子が最低のエネルギー状態につまると思われる。専門用語ではボーズ凝集といっている。」p.224
・「ここまできてはっきりすることは、固体のなかの現象は大部分は電子と音子のエネルギーのやりとりだという点だ。つまるところ、エレクトロニクスは最後には、電子と光子や音子の交渉をどう技術化していくかという問題になっているくのではないだろうか。」p.225
・「知識は古くなる。大切なのは知識を生み出す考え方である」p.237
・「電車のなかで起こっている現象を見て相対性理論を用いたり、モーターの設計に量子力学を使っても無意味である。(中略)古典物理学も現象によっては完全に正しいのだ。」p.240
・「私たちはいつも何かの理論や法則を完全に正しいものと思いこんでしまうくせがないだろうか。(中略)私たちは完全と不完全、正しさとまちがいをいつも単純に割り切りはしないだろうか。(中略)永久の真理という考えは、少なくとも20世紀では反省しなければならない。」p.240
・「量子論を作る際に起こった古典物理学の抵抗と、量子力学を生み出す時のボーアの古典論の使いかたをくらべてくれたまえ。ここにひとつの教訓がある。それは限界を考えない立場と、限界を知ってそれの長所を利用する立場との差がどのくらい違うかである。」p.242
・「もっと広くいえば科学のいろいろな分野では、結局違った問題に向かって同じような考え方をあてはめているのだ。(中略)量子力学は電子という仲介者を使って、いろいろな科学の分野、無機化学、有機化学、高分子化学、生物学、医学、電子工学、物性物理学、素粒子物理学、宇宙物理学等々を結びつけた。電子はあくまでも仲だちであって、量子力学のはたした役目は、人間の考えがどんなに似ているかを明らかにしたことではないだろうか。(中略)私たちは科学をひとつの知識としてうけとりがちではないだろうか。知識はいつかは古くなり役立たなくなる。本当に大切なのは、その知識を生み出していくものだ。量子力学で学んでもらいたいことは、それについての個々の知識ではなく、その考え方だと思う。」p.245
・「私たちはいやでも応でも科学をうけ入れていかねばならない。すると、科学の進歩が幸福か不幸かという問題は、結局それを支配していく人間の態度にかかってくる。」p.248
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コメント (2)
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