ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】二重らせん

2007年04月09日 22時25分08秒 | 読書記録2007
二重らせん, ジェームズ・D・ワトソン (訳)江上不二夫 中村桂子, 講談社文庫 わ-10-1, 1986年
(THE DOUBLE HELIX, James D. Watson, 1968)

・ワトソン本人による、1953年のDNAの二重らせん構造発見までの回想録、と言うよりも人間ドラマと言った方がしっくりきそう。一部専門的記述も含まれるが、一般向けに書かれたもの。こんなことまで書いちゃっていいのだろうか、と思うほどざっくばらんな内容。一般世界からは縁遠い『研究者』の生活を垣間見ることができ、専門外の人にも興味深い内容ではないでしょうか。
・一般の人には混同されそうだが、『DNAを発見した』(前の話)わけでもなく『遺伝の仕組みを解明した』(後の話)わけでもなく『DNAは二重らせん構造であることをつきとめた』ことによりノーベル賞を受賞。しかしこの仕事が25歳の時のもの(若い!!)だったとは。今回初めて知りました。
・「彼(フランシス)が物理学を離れて、生物学に関心をもつようになった原因は、主として有名な理論物理学者、アーヴィン・シュレディンガーが著した「生命とは何か」を1946年に読んだことにあった。」p.22
・「今回のようなイタリアの学会のために、わざわざ念入りに準備して講演に来る人がいるとは思われなかった。そういう集りは、決まったように、イタリア語を知らない招待者が少しばかりと、おおぜいのイタリア人がいっしょになって開かれるものだが、来訪者にとって唯一の共通語である英語で早くしゃべられると、ほとんどのイタリア人はついていけなくなってしまうのである。こういう集会は、つまるところ、名勝旧跡への遠出がヤマであって、お座なりの意見以外に、ほとんど得るところがないものである。」p.37
・「私は科学に対して、はっと目を開かれる思いだった。モーリスの話を聞くまでは、遺伝子とはつかみどころがない不規則なものではなかろうかという心配があった。しかし、いま、遺伝子は結晶しうることを知った。つまり、遺伝子とは規則正しい構造をもったものであり、正攻法で解決できるということだ。」p.40
・「コペンハーゲンへ帰ってみると、ポーリングの論文がのっている雑誌がアメリカから届いていた。それに大急ぎで目を通し、すぐ読み返してみたが、むずかしくてほとんどわからず、議論のおおよその印象をつかんだだけだった。」p.44
・「しかし、自然界の与える解答は単純なものであるにちがいない、という私の持論はビリーにはぜんぜん受け入れられず、」p.122
・「若い理論科学者、ジョン・グリフィスと何度か話しているうちに、その規則性は重要なことなのではないかという疑いが、彼(フランシス)の頭のなかでカチリと音をたてた。」p.127
・「明日またグリフィスの部屋へ行ってみようと思ったが、いまは彼の興味がぜんぜん別のところにあることを思い出した。恋人がいるようなときには、科学の未来などどうでもよいのは、わかりきっている。」p.132
・「興奮状態の数時間が過ぎると、その日はもう仕事が何も手につかなかった。フランシスと私はイーグル亭へ出かけて行った。夜の開店と同時に、われわれはそこでポーリングの失敗を祝して完敗していた。(中略)まだわれわれに勝目があったわけではないが、とにかくノーベル賞は、まだポーリングの手に渡ってはいないのだ。」p.162
・「突然、ロージィが私たちのあいだにあった実験台の向こうを回って、私に迫ってきた。私は彼女が逆上して私をなぐるのではないかとこわくなり、ポーリングの論文をわしづかみにするや、大急ぎで開いたままのドアのほうへ身をひいた。」p.165
・「すなわちいちばんの障害物は塩基であった。それらが外側に出ているかぎり問題はないけれども、なかへ押しこめるとなると、不規則な塩基配列をもった二本またはそれ以上の鎖をどうやってきちんと並べるかというぞっとするような問題が生じてくる。」p.176
・「が、結局、彼(フランシス)も簡潔な論文のほうが効果的なことを認め、つぎのような一文に落ち着いた。「われわれが仮定した特異的塩基対は、ただちに遺伝物質の複製の仕方についての、ある可能な機構を示唆するものであることは、むろん、われわれ自身気づいているところである」」p.216
・「「われわれは、デオキシリボ核酸(DNA)の塩の構造を提案したいと思う。この構造は、生物学的にみてすこぶる興味をそそる斬新な特質をそなえている」、という書き出しで始まる900語の論文を彼女(妹)がタイプするあいだ、フランシスと私は、身を乗りだすようにしてのぞきこんでいた。原稿は火曜日にブラッグ卿の部屋へ届けられ、四月二日、水曜日には『ネイチュア』誌の編集部あてに送付された。」p.217
・「自分の不治の病を知りながら泣き言もいわず、その死の数週間前まで高度の研究をつづけているロザリンドの姿をみて、だれもが、その厳しい勇気と誠実さに強く心を打たれたのである。」p.223
・「なにがなんでもDNAと思い込み、何を考えていてもすぐにDNAの方に頭がいってしまった当時の自分を思い出すと、あれが結局は自分が勝利をおさめた理由だと思う。」p.230

?きんかい【欣快】 よろこばしく快いこと。愉快。喜び。「欣快の至りです」

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