猛スピードで母は, 長嶋有, 文春文庫 な-47-1, 2005年
・数年前、芥川賞をとったときには「室蘭の高校を出た」ということで地元の話題になりましたが、その後音沙汰無く存在を忘れかけていたところ、また先日、大江健三郎賞を受賞したということでまたちょっと話題に上りました。そんな訳で読んでみた。
・『サイドカーに犬』(文學界新人賞)、『猛スピードで母は』(芥川賞)二編収録。懐かしさを含んだ家族のドラマ。正直いって全く期待せずに読み出したのですが、これが思いのほか面白かった。独特のセンスを感じます。室蘭についての記述はモロに地元なので、これが全国の人たちに読まれていると考えるとなんだか変な感じ。「水族館の隣が団地」なんて地元じゃない人には違和感あるでしょうけど、実際ホントに隣は団地だし入場せずにトドが見れるのです。
・「いや、まったく不安を感じなかったはずはない。はじめの数日間は、冷蔵庫をあけるときだけ心細さを感じた。」p.11
・「そのころ私と弟の間では、なぜか麦チョコがはやっていた。買ってくれた大人たちは気付いていなかったが、当時売られていた麦チョコには「ムギーチョコ」と「ムーギチョコ」の二種類があった。気付いたのは弟だ。」p.17
・「洋子さんはちゃんとレジでお金を払った。」p.18
・「二人でいるときの父は無口だった。ぼんやりとしているようにみえるが、近づくとさーっと音がするような気がした。まったくの無我の境地ではなくて、何かを考えつづけているような気配がした。」p.53
・「空はいつも曇っている。慎の暮らすM市は北海道の南岸沿いの小都市だが、背後を背の低い山が囲んでいた。だから海から流れてくる雲が停滞しやすいのだといつか先生が教えてくれた。だが慎の印象では低くたれ込めるような曇天ではなく、空全体が白っぽいひんやりとした日が多いように思う。」p.85
・「団地はM市の海岸沿いの埋め立て地に立てられた五階建てでABC三棟、少しずれながら並んでいる。当てたのはC棟の四階の四号室だ。外壁は淡いクリーム色で屋根の色だけ赤青緑と色分けされている。」p.87
・「靴屋では慎はいつも母を苛々させた。 「ちょうどいい?」と問われても、きついのかぶかぶかなのか、きついのが我慢できるのかできないのか、自分のことなのに自信がもてない。」p.88
・「「『ジルベルトとかぜ』」母は抑揚を付けて朗読するのが苦手だった。「かぜくん、ねえ、かぜくん!」という主人公の台詞の部分と「もちろんかぜは、しっているんだ」という地の文章の部分はまったく同じ調子だった。しかしそのせいで母の朗読は妙な憂いを帯びた。」p.91
・「団地のすぐ近くには市営の水族館がある。(中略)二重の金網越しにだが、入場せずに毎日トドの様子を見ることができる。」p.105
・「「サクラ メス 三歳 体重推定百キロ」とある。」p.107
・「「なんで」 「なんででも」母はそういうと両手の平をあわせてみせた。母が珍しく口にした教訓めいた物言いよりも、その手を広げた動作の方が印象に残った。」p.124
・「暗い館内にコの字型に配置された水槽はほとんどに「冷水系」の看板が付けられている。どの魚も地味で垢抜けない。」p.126
・「古い観覧車は窓ガラスもないむき出しのゴンドラで、揺れるときいきいと錆びた音がするのでスリルがあった。」p.128
・以下、解説・井坂洋子『水の面を眺めるように』より「長嶋有は女の人になれる作家であり、子どもにもなれる。」p.164
・「ところで、「サイドカーに犬」は小四の女の子が(父の恋人の)洋子さんという異文化に触れる話。表題作は小学五、六年生の男の子の成長物語だが、長嶋作品をこんなふうにひと言で片づけるのはとても無謀だ。」p.164
《参考リンク》
室蘭水族館のアイドル、トドのサクラ死ぬ 室蘭民報2006年9月15日付朝刊より
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2006/200609/060915.htm
・数年前、芥川賞をとったときには「室蘭の高校を出た」ということで地元の話題になりましたが、その後音沙汰無く存在を忘れかけていたところ、また先日、大江健三郎賞を受賞したということでまたちょっと話題に上りました。そんな訳で読んでみた。
・『サイドカーに犬』(文學界新人賞)、『猛スピードで母は』(芥川賞)二編収録。懐かしさを含んだ家族のドラマ。正直いって全く期待せずに読み出したのですが、これが思いのほか面白かった。独特のセンスを感じます。室蘭についての記述はモロに地元なので、これが全国の人たちに読まれていると考えるとなんだか変な感じ。「水族館の隣が団地」なんて地元じゃない人には違和感あるでしょうけど、実際ホントに隣は団地だし入場せずにトドが見れるのです。
・「いや、まったく不安を感じなかったはずはない。はじめの数日間は、冷蔵庫をあけるときだけ心細さを感じた。」p.11
・「そのころ私と弟の間では、なぜか麦チョコがはやっていた。買ってくれた大人たちは気付いていなかったが、当時売られていた麦チョコには「ムギーチョコ」と「ムーギチョコ」の二種類があった。気付いたのは弟だ。」p.17
・「洋子さんはちゃんとレジでお金を払った。」p.18
・「二人でいるときの父は無口だった。ぼんやりとしているようにみえるが、近づくとさーっと音がするような気がした。まったくの無我の境地ではなくて、何かを考えつづけているような気配がした。」p.53
・「空はいつも曇っている。慎の暮らすM市は北海道の南岸沿いの小都市だが、背後を背の低い山が囲んでいた。だから海から流れてくる雲が停滞しやすいのだといつか先生が教えてくれた。だが慎の印象では低くたれ込めるような曇天ではなく、空全体が白っぽいひんやりとした日が多いように思う。」p.85
・「団地はM市の海岸沿いの埋め立て地に立てられた五階建てでABC三棟、少しずれながら並んでいる。当てたのはC棟の四階の四号室だ。外壁は淡いクリーム色で屋根の色だけ赤青緑と色分けされている。」p.87
・「靴屋では慎はいつも母を苛々させた。 「ちょうどいい?」と問われても、きついのかぶかぶかなのか、きついのが我慢できるのかできないのか、自分のことなのに自信がもてない。」p.88
・「「『ジルベルトとかぜ』」母は抑揚を付けて朗読するのが苦手だった。「かぜくん、ねえ、かぜくん!」という主人公の台詞の部分と「もちろんかぜは、しっているんだ」という地の文章の部分はまったく同じ調子だった。しかしそのせいで母の朗読は妙な憂いを帯びた。」p.91
・「団地のすぐ近くには市営の水族館がある。(中略)二重の金網越しにだが、入場せずに毎日トドの様子を見ることができる。」p.105
・「「サクラ メス 三歳 体重推定百キロ」とある。」p.107
・「「なんで」 「なんででも」母はそういうと両手の平をあわせてみせた。母が珍しく口にした教訓めいた物言いよりも、その手を広げた動作の方が印象に残った。」p.124
・「暗い館内にコの字型に配置された水槽はほとんどに「冷水系」の看板が付けられている。どの魚も地味で垢抜けない。」p.126
・「古い観覧車は窓ガラスもないむき出しのゴンドラで、揺れるときいきいと錆びた音がするのでスリルがあった。」p.128
・以下、解説・井坂洋子『水の面を眺めるように』より「長嶋有は女の人になれる作家であり、子どもにもなれる。」p.164
・「ところで、「サイドカーに犬」は小四の女の子が(父の恋人の)洋子さんという異文化に触れる話。表題作は小学五、六年生の男の子の成長物語だが、長嶋作品をこんなふうにひと言で片づけるのはとても無謀だ。」p.164
《参考リンク》
室蘭水族館のアイドル、トドのサクラ死ぬ 室蘭民報2006年9月15日付朝刊より
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2006/200609/060915.htm